貞包英之「消費社会を問いなおす」(4)~第3章 私的消費の展開─私が棲まう場所/身体という幻影
前章で見てきた「賢い」消費は、消費社会と自分が誰よりも「賢く」付き合っていることを示すゲームという側面もあった。だから、自分が「賢い」消費者であることを他人にアピールするということに結びつくものでもあった。この意味で、「賢い消費」は不特定多数の他者と交わすコミュニケーションの一部に属していたと言える。このように見ると、「賢い消費」という消費のゲーム以外にも別の消費ゲームもあることがある。例えば「応援消費」といわれるものだ。消費が他者に対して意味をもつことを自覚的に利用したメタ的なコミュニケーションのゲームとして、例えば、環境にやさしい商品を買うという流行である。ここでは、自分が「正しく」消費していることを他者に表現するという意味では、「賢い消費」の亜種と言えなくもない。このように「賢い消費」のゲームは多様化している。もともとの「賢い」消費はコスパ志向という効率化を徹底する方向のも進んでいる。
ただし、消費には他者とのコミュニケーションではない面もある。それは貨幣を媒介とすることだ。そのことから、消費を不可逆で取り返しのつかない、またそれゆえに誠実なゲームにしている。モノを買う場合には嘘がつけない。消費される対象に相応の価格がついて、それに応じた貨幣を支払わなければ、購買は成立しない。その貨幣を獲得するためには社会的な代償(例えば、労働という多大な自由時間の犠牲)を支払うのだから、貨幣を支払う消費には慎重にならざるをえない。それゆえに人々が消費すると、そこに生まれや階層、教育に基づく趣味や思想が表現される。ということは、そこには他者の視線がまとわりつく。ただし、当人には合理的な選択によって購買したモノは、必ずしも他者には意味のあるものとはみなされないこともある。逆に、他の人にとって価値があったとしても、私が価値を感じられなければ、その消費は無意味なものとなる。この意味で、消費はコミュニケーションのゲームとは違って他者を相対的に置き去りにして、自己の快楽や満足を追求する私的なゲームの面が含まれている。それゆえにこそ、消費には終わりがない。このように、消費には、コミュニケーションとしての消費と私的な探求としての消費の両面がある。これらには優劣も時間的な前後関係もない。著者は、私的な探求としての消費の例として「盛り」という年少の女子たちの化粧や服装の流行現象をとりあげている。それは、安価に化粧品などを自分だけの仕方で利用し、どこにもない美を自分で作り出すというものだった。それは商品の本来の使用価値や交換価値といった価値に回収されない余白の部分、それが新たな満足や快楽を消費が開拓した現象だった。似たような現象としてオタクもそうだという。
このようにモノを活用して自分の快楽を満足を探求する消費は、モノを自己の好みや欲望に合致する分身に変える作業と言い換えることもできる。たとえ他の人に評価されなくても、自分にとってかけがえのない価値を持つ対象が、繰り返し消費で探求されていく。そのような分身の中で、とくに重要な対象となったのが身体である。「盛り」もそれにあてはまる。著者は、ここで意外なことに、都心の超高層タワーマンションを例としてとりあげている。そこでは、高層で街の騒音が届かず、壁や床が分厚く防音性や気密性が高く、セキュリティの高さなどがあって、室内では騒音や外気を遮断し、外部環境とか隔絶した、つまり他者を排除した空間が実現されている。しかも、室内はプライベートでリラックスした空間となっている。他者に干渉されず、私が私である空間は、都市においては高い代償を支払ってでも獲得したいものとなっているということだ。タワーマンションは、それまでの住居が利便性や価格で選ばれていたのに対して、私の棲まう場所の快適性という新たな価値を提示したものだったのである。
このような私が私であるという満足とは反対に、現在の自分以上になろうとする、いわば私を超えたいという欲望もある。そのような志向の例として、スポーツやドラッグを著者はあげている。
このような消費は、私であることの可能性を拡大している。そもそも資本主義は長い時間の中で、私たちの感覚や感受性を微細化し、新たな快楽や幸福を受け入れるように仕向けてきた。その一つとしてスポーツやドラッグ、あるいはファッションや化粧品の助けを借りて、私であることの可能性が拡張されている。他方で、このような私的消費の土台には不自由があるという。例えば、化粧やファッションが女性の特別な消費の対象となっているのは、それが女性に許された数少ない自由な活動の領域だからという面がある。あるいは、スポーツや筋トレに多くの男性が駆り立てられるのは、労働の場や家庭で自律性や男性性が脅かされているためという解釈もある。
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