轟孝夫「ハイデガーの哲学─『存在と時間』から後期の思索まで」(3)~序論
ハイデガーは『存在と時間』で自身の思想的立場を表現するに当たって現象学や解釈学など既存の哲学的方法に依拠した。またそこで扱われた思想的モチーフには、過去や同時代の哲学者から引き継がれたものが多かった。この本には、他の哲学者から受けた影響が分かりやすい形で示されている。それゆえ、何を言っているかがまったく意味不明な好機の著作と比べると、『存在と時間』は相対的に理解しやすいように感じられる。この一見分かりやすいことから、『存在と時間』はハイデガーの著作の中でも唯一無二の人気を誇っている。一方、『存在と時間』は頽落とか世人という人間の非本来的なあり方、またそれとは対極的な死への先駆、覚悟という本来的なあり方について語られているので、人々は思い思いの仕方で現代文明批判や人生論をそこから読み取ろうした。このような特色から、『存在と時間』の読者は「存在の意味の解明」という本来の意図には触れることなく、好みの主題を引き出して論じることができる。ところが、『存在と時間』刊行後のハイデガーは「存在への問い」を独自のコトバで語るようになる。そうなると、『存在と時間』の表現に慣れ親しんだ読者は、彼が何だか訳の分からないことを語り出したように感じてしまう。そして、後期のハイデガーは秘教的とか神秘主義的などと評するのだ。著者は、『存在と時間』の人気は、「存在への問い」、ひいてはその固有性を前面に押し出した後期ハイデガーへの無関心と表裏一体のものだという。
これって木田元のハイデガー解釈の批判と言ってもいい?
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