轟孝夫「ハイデガーの哲学─『存在と時間』から後期の思索まで」(6)~第3章 中期の思索
ハイデガーは『存在と時間』を刊行して間もなく、現存在の分析を介して「存在」にアプローチするというやり方では、「存在」が主観による公正の産物、ないしは意識内部の出来事であるかのように誤解されることを懸念するようになった。それで、このやり方を放棄して、「存在」の生起を直接語ることを試みるようになっていく。このような「存在」そのものを直接的に示すための試行錯誤を経て、ハイデガーが主観性の哲学の影響から脱却し、「存在」という事象にふさわしい語り口を見出したという核心に到達したのは1936年になってからだとハイデガーは言う。これを画期として、それ以後を後期、そして『存在と時間』刊行後からそれまでを中期とわけるのが一般的になっている。著者も、その区分に従っている。
この時期、ハイデガーは「存在」と呼んでいた事象を「存在者全体」として捉え直す。それによって、「存在」の生起が単なる意識の表象ではなく、むしろ現存在を取り巻く「世界」そのものの生起であることを強調して示そうとした。
一方、ハイデガーにとって「存在」という事象が明確になればなるほど、それについての語りが既存の学問知による語りとは異質の性格のものとなっていく。
1.「形而上学」の時代
ハイデガーは『存在と時間』刊行後、そこでは正面から論じられなかった「存在」を「存在者全体」として主題化するようになる。
例えば、そこに「鳥がいる」というとき、それは鳥が「飛んでいる」とか「木にとまっている」という存在様態を伴って現われていることを意味している。しかもこのような存在様態は「餌を捕る」とか「巣で休む」といった、その鳥の存在様態と一定の規則性をもって連関している。またこのような様々な存在様態のうちには、「木」や「餌」や「巣」などといった他の無数の存在者との関係も同じように含まれている。すなわち鳥の「飛んでいること」という「存在」の生起のうちには、このような「飛んでいること」以外の鳥のさまざまな存在様態と結びついた存在者すべてとの関係性が孕まれている。この「存在者すべて」は任意のものではなく、ある種類の鳥が存在することと本質的に結びついている。すなわち、その鳥の「存在」が生起する「場」を形作っている。
ハイデガーが「存在者全体」として捉えようとするのは、この例のように存在者が存在することの背景をなし、このような「存在」を可能にしている「場」そのものである。これは、「存在」の生起と共に開ける「時-空間」を指している。ということは、「存在者全体」は『存在と時間』と問い求められた「存在の意味」を明瞭に示したものと言える。「存在の意味」という言い方では、「存在」は意識の表象と同一視されてしまう。ハイデガーは「存在者全体」という言い方にすることによって、「存在」が意識内部の現象ではなく、またわれわれの側に立てられた対象でもなく、我々を取り巻く「世界」そのものの生起であることを示そうとした。
著者は、『存在と時間』の後、ハイデガーが「存在者全体」の考察を展開したものとして、1928年夏学期講義『論理学の形而上学的な始元根拠─ライプニッツから市出発して』をあげる。ハイデガーは、ここで「存在者全体」を捉える知を「メタ存在論」と呼んでいる。このメタ存在論は『存在と時間』の基礎存在論を徹底するところから出発する。『存在と時間』で取り上げられた現存在の存在様態やそこに含まれる構造的契機はすべて「存在」との関係性を示すものであった。つまり、現存在の本質を捉えることは、「存在」そのものを捉えることになる。したがって、基礎存在論としての現存在の実存的分析は、それを徹底すると、たしかに「存在者全体」を主題とすることに行き着く。また、ハイデガーは「存在者全体」の考察を形而上学と呼んでいる。形而上学と呼ぶことにより、近代の主観性の哲学から明確に距離を置いて、「存在への問い」が石工的主題の内容を記述するものではなく、人間を取り巻く「世界」を主題としているのだということを鮮明にしたのだった。
そして、次の1928年冬学期講義『哲学入門』で、「存在者全体」を主題とする学の説明が行われる。さまざまな種別をもつ「存在」をその統一性において捉える。「存在了解はある領域から別の領域へと外に越え出ていくのではなく、たとえば自然と歴史の了解において、いわば直接的に行ったり来たり振幅している」と言う。自然と歴史はそれぞれ別の領域として切り離されているのではなく、両者はある統一を形作っているという。ハイデガーは、「存在者全体」という概念によって、領域に区分される以前の自然と歴史の統一的全体、すなわち歴史の生起における自然の存在を捉えようとした。実際、気候などの自然現象を了解することは、そのもとで必要となるおのれの行動を了解することそのものなのだし、天災地異なども人間の運命と切り離すことはできない。形而上学という呼称が古代ギリシャ哲学に由来することから、そこへの還帰というモチーフが打出されていて、「存在者全体」についての考察を、古代ギリシャの「ピュシス」についての知を取り戻すことと位置付けている。ピュシスは自然と訳されるギリシャ語だが、ハイデガーは我々が普通に自然と理解しているものでは汲み尽くせない内実を読み取って、「存在者全体」とほぼ等しい意味を読み取っている。その具体的内容については、翌年冬学期の『形而上学の根本概念』講義で説明される。すなわち、「ヒュシス」はもともと生長を意味していた。ハイデガーは、この生長とは、「単に切り離された出来事としての植物や動物の生長、すなわち植物や動物の発生と消滅というだけでなく、季節の変化のただ中での、また季節の変化によって支配された、昼と夜の転換のただ中での、星辰の運行のただ中での、嵐、天候、諸元素の猛威のただ中での発生や消滅の生起としての生長である」と説明している。我々は自然というと存在者の集合体と捉えがちだが、ハイデガーは生長という動的側面で捉える。上記引用では、生長が周囲の存在者と連関していることに注意が促されている。鳥の「飛んでいること」の例で、「存在」が「存在者全体」のうちで生起するということを示している。「存在者全体」は存在者の動的な「存在」を、それと本質的に連関している周囲の存在者すべてとともに捉えたものであった。つまり、「存在者全体」とは、存在者の「存在」とともにおのずと形づくられるものなのだ。なお、「ピュシス」は自然と言っても、そこに人間やその活動も含まれる。例えば、気候や天候も自然災害は、人間の運命を左右する。また、そうした気候や天候が何であるかは、常に人間の営みにどのような影響を与えるかという観点から理解されている。このことから明らかなように、「自然」はたしかにそれだけで切り離して捉えられているのではなく、人間の運命と密接に絡み合って了解されている。一方、人間は単に「存在者全体」に支配され翻弄されているだけの存在ではない。人間は「存在者全体」によって支配されながらも、その「存在者全体」を開示し、またそれを語るという独特な仕方で存在する。すなわち、「ピュシス」は人間自身がそれによって徹底的に支配され、かつ人間が支配できないような全体的支配を意味するが、これによって支配された人間は、その全体的支配について常に語っている。
以上で見たように、ハイデガーは1920年代の終わりになると、「存在への問い」を「存在者全体」についての考察として定式化するようになった。同時に、このような考察は、古代ギリシャの「ピュシス」への還帰という意味ももつものでもあった。このような古代ギリシャの「ピュシス」という異教的なものへの還帰が唱えられるということは、ハイデガーにおいてキリスト教の哲学的基礎付けというモチーフが放棄されたことを意味する。ハイデガーは「神的なもの」の本質がキリスト教の神とは根本的に相容れないことを自覚するに至ったのだった。
2.中期の神論
ハイデガーの「存在への問い」は、元来、「神的なもの」をその超越性を損なうことなく捉えることができる存在概念の格率を目指すものだった。しかし、『存在と時間』では存在の解明が為される前に中断されてしまい、そのことに触れられなかった。そこで、1929年の「根拠の本質について」の脚注で『存在と時間』の現存在の分析は「神」を主観的に論じていないだけで、現存在の「神」との関係について何らかの決定をしているわけではないと説明している。現存在がその本質において「存在」の生起する場であり、現存在にとっては本質的なこの「存在」への関係性を、ハイデガーは、現存在が「存在」を超え出ていくことと捉えてそれを「超越」と呼んでいる。そして、「超越」の超え出ていく先としての「存在」が圧倒的なもの、神聖性であることが示唆されている。この超越の解明は、実質的に「存在」そのものの解明ということになる。つまり、事実上、「神」が「存在」という問題に属するのだった。この「超越」という神学的背景をもつ術語が用いられているのも、「神」との関係が視野に入っているからだ。したがって、この時期、「存在者全体」を考察する「形而上学」は、それ自身「神」についての考察なのである。もともと、伝統的な形而上学は、超越的な存在を探求する神学を意味するものであった。それを踏まえて、この時期のハイデガーは、おのれの思索を形而上学と呼んだのだった。
超越の先の「存在」が圧倒的であるとはどういうことか。『論理学の形而上学的な始元根拠─ライプニッツから市出発して』の中で、ハイデガーは「存在と超越の本質からのみ、そしてただ超越の本質に属したまったき分散において、またそのような分散に基づいてのみ、こうした圧倒する力という存在概念は理解できる」と言っている。これは、超越の本質に属した「分散」が、現存在によって「圧倒する力」として経験されるということ。この「分散」は「被投性」に基づくと言われている。つまり、存在者の「存在」が生起することにおいて、現存在は「時-空間」のひろがりへと否応なしに晒されており、またその際、現存在はおのれが選んだわけではない身体へと委ねられている。このような事態が「存在」の圧倒性として経験される、ということだ。言い換えれば、「分散」とは現存在が「存在者全体」の生起に巻き込まれ、それによって支配されている状態のことで、現存在はそのときおのれを「存在者全体」に圧倒された非力な存在として経験する。ここでは、現存在が「存在」を経験することが、現存在が「存在者全体」によって圧倒されることと捉え直されている。
また、現存在は「存在」の生起の場であることをおのれの本質とする存在者である。このことは、現存在が「存在」なしにはそれ自身でありえないことを意味している。逆に言えば、「存在」も現存在なしには「存在」として生起することはない。これまで見てきたように「存在」がある意味において「神的なもの」と捉えられるのだとすれば、「存在」と現存在の関係は、「神的なもの」と現存在との関係にも当てはまることになろう。つまり、現存在は「神的なもの」の生起の場であることになる。その一方、「神的なもの」は現存在なしには生起しえないことになる。このような神と人間の相互依存的な関係に言及する一方で、ハイデガーにとって、真の「神」はキリスト教の神ではないことが自覚されるようになっていく。『存在と時間』刊行後、上述のような「圧倒する力」のうちに神性の本質を見るようになると、ハイデガーはこのような神性がキリスト教の神性とは異なることを明瞭に意識するようになる。そのことは、「ピュシス」という古代ギリシャの故郷的なものに対する積極的な評価に象徴的に示されている。1935年夏学期の『形而上学入門』講義において、キリスト教があらゆる存在者を神名よって造られたもの、すなわと「被造物」と捉えることによって「存在」の本質を根本的に覆い隠しているという。それはこういうことだ。たとえばある人がキリスト教の聖書を神の啓示と真理として受け止める場合、その人は「なぜそもそも存在者が存在し、むしろ無があるのではないか」という問いをどのように問うたとしても、あらかじめある答えを前提としている。その答えとは「存在者はそれが神自身でない限り、神によって創造されている」というものだ。そしてここでは、「神自身は創造されない創造者として「ある」と捉えられている。」しかしハイデガーによると、このような信仰を持つ者は、信仰者としておのれ自身を放棄しないかぎり、「存在への問い」を真に問うことはできない。「存在」とは元来、おのずと立ち現われ、現存在を圧倒する力、すなわち「ピュシス」として現存在を支配するものだった。しかし存在者が神による作り物とされると、このような「ピュシス」は完全に視野の外に置かれ、無化される。キリスト教では、神もそれ以外のものも単なる存在者として捉えられたうえで、その関係性が創造として語られている。ここではハイデガー的な意味での「存在」はまったく視野に入ってこない。
3.ハイデガーの芸術論
ハイデガーは、中期以降、芸術への関心を明らかにする。例えば、1930年代半ばの「芸術作品の根源」や一連のヘルダーリンの詩作品の解釈である。ハイデガーは、存在者の「存在」をあらわにする点において芸術に優れた点があるという。これは、彼の拳固の本質についての考え方に基づいている。ハイデガーは言語の本質を「世界」の表明としての「語り」を蔵することのうちに見て取った。そのような言語の本質が、詩的言語のうちにもっとも純粋に体現されているとみなした。我々は、普通、言語を単なる意思疎通の手段にすぎないとみなしている。しかし、ハイデガーは詩作品は根源的な形態の言い表わすことの規範であり、「世界」の根源的な開示である。日常的言語はそこからの派生、あるいは頽落でしかない。これは、詩作品だけに限らず芸術全般も基本的には言語に基づくので言えることである。例えば。神殿という建築作品は、おのれの周囲に、人間の生を形作る軌道と連関の統一を取り集める。この軌道と連関のうちで「誕生と死、災厄と繁栄、勝利と恥辱、持ちこたえと没落が、人間にとって自分の運命の形となる」このような連関の支配的なひろがりを「歴史的フォルクの世界」と呼んでいる。この「世界」とは、人間の生にとって避けることのできない諸可能性の連関を示している。神殿における神への奉献や祈り、祭典などは、生の諸連関における神の加護を求めるものであるかぎり、神殿の存立は、そのような生の諸連関の支配を前提とする。ハイデガーは「芸術作品の根源」で、このような生にとっての根本的な出来事の連関を「世界」と呼んでいる。ところで、「存在者全体」には人間の歴史、運命が含まれている、ここでの「世界」は、「存在者全体」を構成する。ハイデガーは、神殿を取り巻き、神殿と本質的に連関しているさまざまな存在者を次のように列挙する。神殿は岩の上に建つことにより、岩の支える力を岩から汲み取る。神殿は嵐に対して持ち堪えることによって、嵐をその暴力においてあらわにする。石材のきらめきが日の光、天空のひろがり、夜の暗さをそれとして際立たせる。神殿が聳え立つことによって、大気の見えない空間が見えるものとなる。建築作品の安定が海の荒れ狂いを際立たせる。神殿の周りで、樹木と草、鷲と雄牛、蛇とコオロギがはじめてそのくっきりとした姿を獲得し、それがそれであるものとして現われてくる。ハイデガーは、このように神殿と共に立ち現われる事物についた語り、そのうえで、「ピュシス」と呼ばれるこのような諸事物の立ち現われの全体は、人間がそこに住まうところであることを指摘する。これが「大地」である。神殿は、それが屹立することによって、これらの諸事物が立ち現われ、この場所を「大地」として際立たせる。これは、神殿がそこに建っているという事態を、人間や動物、植物や事物があらかじめ対象として存在しているところに、事後的に神殿が置かれたというのではない。むしろ神殿がそこに建つことによって、事物にはじめてその姿が与えられ。また人間にも自分自身が何者であるかについての見通しが与えられるのだと言う。人間の運命は「大地」によってその内実が具体的に規定される。一方、「大地」もまた、人間の運命を規定する仕方において、はじめておのれの何たるかを示す。「世界」と「大地」は、そのような相互の緊張関係においてはじめてそれ自身でありうる。このような相互関係を「抗争」と呼んでいる。
このように芸術作品は目の前にすでに見出された世界の模写ではない。もちろん、作品には制作者だけでなく、それを受容するものも存在する。芸術作品が、大地と世界の抗争の開示であるということに応じて、受容者による作品の保護は、作品においてあらわになった大地と世界の抗争のうちに立つという意味を持つ。このことを「知」と呼んでいる。「知」とは大地と世界の抗争におのれ自身を晒し出して、それを持ちこたえる意志とか覚悟というものである。
このことは、芸術作品を媒介として、創造者と受容者あるいは受容者相互のあいだにある固有の「大地」と「世界」が共有されるのを示している。つまり、芸術作品はこのような仕方で人間の共同性を根拠づける働きをもつのである。ひいては「フォルク共同体」を基礎づけるものでもある。
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