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2023年10月 6日 (金)

轟孝夫「ハイデガーの哲学─『存在と時間』から後期の思索まで」(7)~第5章 後期の思索

 ハイデガーは『存在と時間』刊行後、「存在」を「存在者全体」の生起と捉え直し、この「存在者全体」についての知を「形而上学」と呼んだ。そしてこの「存在者全体」は、実質的にフォルクの共同体を意味していた。その後、1936年になると、ハイデガーは自分の思索の表現を大きく変化させる。「存在の真理」とか「性起」といった後期の思索を特徴づける用語が現われ始めるのである。一般に極度に難解とされる後期思想は、この時期以降のものだ。
 ここではまず、「性起」に代表されるハイデガーの後期思想に特徴的な言い回しに注目し、そのような述語を導入することの意義を明らかにする。それらの語彙は基本的には、それまで「存在」や「存在者全体」と呼ばれてきた事象に含まれていながらも、それらの言葉によっては的確に表現できていなかった諸契機を明示する。このことは、このような言葉を用いるようになった後期において、「存在」に含まれる諸契機がより明確に自覚されるようになったことを示している。
 後期の思索では、「存在」の意味が余すところなく明らかにされると同時に、それまで「存在忘却」として特徴づけられてきた西洋の伝統的哲学の思考様式が、存在の歴史として一定の時代区分に沿って、より具体的かつ明確に捉えられるようになる。
1.「性起」の思索
 後期の思索において、ハイデガーは自身の立場を形而上学と呼ぶことはなくなる。形而上学は、古代ギリシャ哲学以来の「存在忘却」を本質とする西洋の知の伝統に対する呼称として、克服すべきものと位置づけられるようになったからである。また、中期で多用された「存在者全体」という語も用いられなくなり、その代わりに「存在の真理」が基本となっていく。「存在者全体」というと、我々はどうしても存在者の集まりをイメージしてしまい、存在の生起に含まれる出来事性や運動性が噴け落ちてしまう。しかも、存在者の集まりというイメージの集まりは人間とは切り離され、人間の前に立てられた対象として捉えられている。ハイデガーはこのような捉え方を避けるため、「存在者全体」は人間を圧倒し巻き込むものであり、さらには人間自身の営みが「存在者全体」に包含されていることを強調したのだった。そうしないと人間を含まない静止したものと捉えられてしまう危険を拭えなかった。「存在者全体」という言い方には、そのような問題点があったのだった。
 『存在と時間』刊行後、ハイデガーはそこで論じられなかった「存在の意味」を論じようとしたが、その際に、主観の前に立てられた対象というようなものではない「存在」をいかにして表現するかに悩んだ。そもそも西洋の伝統的な学問は、基本的に対象について何かを語るというものだ。したがって、「存在」を語るには、そういった伝統的な学問の姿勢を放棄するところから始めることになる。「存在」を「存在者全体」の生起として捉えることが、「存在」が対象的なものではなく、我々を取り巻く「世界」そのものであることを明示するという意図を持っていた。しかし、ほとんどの読者は「存在者全体」がそれまで「存在」と呼んでいた事象を言い表わすものであることみ把握できない。そのため、「存在者全体」も対象化して捉えられてしまうことになってしまった。そこで、ハイデガーは「存在」の語り口を改める。1936年の『哲学への寄与論稿』で、端的に「存在は性起として生起する」という言い方をしている。「性起」という語には何ものかがおのれ固有のものへと立ち返る出来事、おのれ自身になる出来事というニュアンスが込められている。ハイデガーが「性起」という語を用いた理由を著者は、次のように考える。
①「存在」は将来、現在、過去へのひろがりとして生起する。ハイデガーは「存在」がこのような時間のひろがりとして生起する事態を「性起」と呼んでいる。「存在」は時間として生起することにおいて「存在」である。また、「時間」は「存在」を形作ることにおいて「時間」である。両者はこのような仕方で相互に帰属し合っていて、このように相互に帰属し合うことによって、まさにそれぞれの「固有なもの」を実現する。「存在」と時間が共属しあいながら、一つの事象を形作っていること、このような事態を「性起」として捉える。
②「存在」の生起とは、ある固有の「時-空間」、すなわち「世界」が生起することだった。例えば鳥が飛んでいることは、とりがそのように飛ぶことが起こり得る「世界」の生起を伴っている。したがって、鳥が飛ぶという事態に立ち会っている現存在も、同時にそのようなことが起こりうる「世界」の内にいることになる。『存在と時間』で述べられていた「世界-内-存在」として、現存在が生起してということだ。このように「性起」には、「存在」の生起によって現存在が現存在として生起すること、そのようにして現存在がおのれ固有のものを獲得するという事態も含まれている。そこで、ハイデガーは、「存在」を「性起」と呼ぶことによって、「存在」と現存在との一体的な性器を表現しようとした。
③「性起」という語には、そこにおいてそれぞれがおのれ固有のものを獲得するというニュアンスが込められている。ハイデガーは「性起」によって性起させられるもの、言い換えると、「性起」によってまさにそれ自身となるものとして、神、人間、世界、大地の四つをあげている。「性起」とは、これらの四つのものがそれぞれおのれ固有のものを獲得し、それ自身として現出するという出来事を意味している。「性起」によって性起させられる神、人間、世界、大地の四つの契機は本質的な連関を形作りながら「存在」の生起を構成する。
このように「存在」を「性起」と呼ぶことによって、これまではうまく言い表わせなかった「存在」に含まれる諸々の契機を明示化することができた。「性起」という語の使用は、「存在」という事象を語るにふさわしい言葉を見出そうとする『存在と時間』以来の一貫した努力の延長線上に位置づけられる。
2.「存在の歴史」
 ハイデガーは『存在と時間』刊行後、そこで果たされなかった「存在の意味」の解明に着手した。この「存在の意味」は中期になると「存在者全体」として主題化され、後期には「性起」として捉えられるに到った。しかし、『存在と時間』で果たせなかったのはそれだけではなかった。ハイデガーの「存在への問い」には、「存在」という事象を直接、解明するという側面と共に、「存在」を隠蔽し、その生起を妨げている伝統的な思考様式の特質を明らかにするという目的があった。彼によると伝統的な存在論の基本的方向性は古代ギリシャのプラトン、アリストテレスによって定められた。そこでは、根源的な存在としての「ピュシス」が隠蔽され、以後、西洋哲学の存在論では真の「存在」は問題とされなくなった。それがハイデガーの描く存在論の歴史である。1936年以降、彼は古代ギリシャ以来の西洋哲学の存在忘却的な知を「形而上学」呼ぶようになる。形而上学の位置づけは中期とは180度の転換ということになる。
 このような批判の対象である形而上学で問題とされてきた存在を「存在者性」と呼んで、ハイデガーの言う「存在」とは区別する。この「存在者性」は二重の仕方で表象されてきた。まず「存在者性」は存在者を存在者たらしめている一般的なもの、共通的なものと理解されてきた。それがエッセンティアすなわち本質と呼ばれる。これとは別に何かが現に存在するエクステンティアが形而上学の「存在者性」という二重性だ。形而上学はこのエクステンティアの本質の根拠を探求し、最高原因として「神的なもの」に辿り着く。形而上学は、二重の「存在者性」つまり存在論と神学におけるが相互に依存しながら形成裂けた統一と言える。神学が、ある存在者の現実存在の根拠を探求するとき、その存在論の本質は存在論で捉えられたものが前提とされている。逆に存在論において考察された存在者の本質は、それが現実に存在するかどうかについては、究極的に神学が表象する最高原因に依拠している。形而上学がこのように存在論と神学の相互連関により形成されているのは、存在者をエッセンティアとエクステンティアという二つの観点から捉えてきたからだ。この議論の本質について、ハイデガーは、この世界のすべてのものを、神を頂点とした因果連関の網目によって捉えることができるという、西洋的学問を根元で支えている合理性の基本構造を示すものだという。
 このように古代ギリシャ哲学の勃興以来、「存在の真理」はそれとして適切に基礎づけられることなく、存在はつねに「存在者性」として解されてきたと、ハイデガーは言う。ハイデガーはこのような形而上学全般を「存在」の不在として捉え直し、「存在の立ち去り」と呼ぶ。これは「存在忘却」と同じものと考えていい。この「存在の立ち去り」は形而上学において「存在者性」が存在者の根拠とみなされることと表裏一体と考えられる。「存在者性」が存在者の根拠であるということは、「存在者性」を把握すれば、存在者を掌握し支配できるということだ。「存在の立ち去り」により、存在者は人間による計画的な計算と操作的な支配に委ねられることになるからだ。このように、ハイデガーは「存在の立ち去り」による存在の歴史を作為性の支配と特徴づける。そして、近代の技術や文化は作為性の支配に基づいている。作為性とは作ることであり、それはたしかに人間の振舞ではある。しかし、この作ることが存在者を操作可能と解釈することに注意が必要で、あるものを操作可能と見なすことがなければ、それを作るという発想は生まれてこない。このように存在者が操作可能ということになれば、古代ギリシャの「ピュシス(自然)」の解釈も変質し、自分で自分を作ることと解釈され、そこに制作というニュアンスが入り込む。そこにユダヤ-キリスト教的な創造説の神以外のあらゆる存在者が神の被造物という考え方が入ってくると、すべてのものが作られたものだという信念が強化される。そこで、創造者がもっとも確実なものであり、あらゆる存在者は被造物として、確実な神を原因とした結果であると解されるようになる。こうして、存在者が存在するという尋常でない事柄が平凡で分かりやすいものへと押し込められてしまった。
3.後期の神論
 著者は、ハイデガーの初期から中期に至る思索を根源的な「神性」の探求と特徴づけていた。その探究の根底には、人間の意のままにならず、むしろ圧倒的なものとして人間がそれに従うほかないようなものが人間の生にとっては本質的であり、そのようなものこそが生にその本質的な意味を与えることができるという彼の直観が潜んでいた。後期の思想になると「存在」の生起の構造が詳細に分析されるようになり、そこで「存在」と「神性」の本質的な連関から、「神性」に深く立ち入ることになった。神、人間、存在という三者の関係について、あらかじめ神と人間という存在者があって、その間で存在が生起するということではなく、存在が生起することにより、神が神として、人間が人間として、はじめて生起すると言っている。
 ハイデガーは神々は存在を必要としていると言う。神々が存在する、ではなく、存在を必要とすると言っているのは、神々を対象的なものと捉えることを避けるためで、神々は直接的に人間に現われてくるようななにかではなく、あくまでも存在の圧倒性が神々として経験される。このようにそもそも存在の生起なくしては神々の経験あり得ないということから、神々は存在を必要としていると言い方になる。一方、人間については、人間は存在に属していると述べる。これは、人間が存在によって襲いかかられ、あるいはそれに委ねられており、そのことによって人間ははじめて人間となることを指している。
 たとえば、河川の存在を考えてみよう。河川は天から与えられた水を集め、流れている。河川はときには大雨で氾濫を起こし、またときには旱魃で細々とした流れになる。河川は人々がそこで作物を育てる田畑を潤している。河川はそこで魚を養い、その魚を人々や鳥獣が捕獲する。その流れる河川を人々は船を使って往来する。このように河川が示すさまざまな「存在」の様態、さらにはそれと密接に結び付いた風土、そのうちで「人間」はある固有の生活様式を築いてきた。人間に恵や災厄をもたらす河川の「存在」の威力が「神」として感謝され、また畏怖されてきた。
 このように「人間」と「神」は「存在」の生起において、それぞれの固有性を獲得する。これは、「存在」という出来事を介して「神々」と「人間」の区別と対話が成立し、そのことによって「神」と「人間」が、はじめてそれ自身となることを表わしている。このように「存在」、すなわち「性起」を媒介とした「神々」と「人間」との関係について、「生起」は「神」を「人間」に与える。というのも、「生起」の威力こそ、「神」の本質をなすものだからだ。これは、言い換えれば、「神」に対して、それを崇敬する「人間」が与えられるということである。このような関係において、「人間」はおのれの存続を確保するために、「生起」の圧倒する力としての「神」に逆らうことはできない。これは「人間」が「神」に唯々諾々と従うことを意味するのではなく、むしろ「神」から自分の望むものを獲得しようとする駆け引きという様相である。このような関係性をハイデガーは「応酬」と表現する。
 これに対して既存の宗教は、存在者から出発して、その存在者をすべてのものの原因である最高の存在者に結びつけるというもので、宗教それ自身が形而上学と同様の構造をもっていることになる。それで、ハイデガーは宗教を形而上学的なものとみなす。そのため、根源的な「神性」は覆い隠されてしまっている。ハイデガーは、「神」について真に思惟するためには、まず形而上学的な対象化的な思惟から脱却し、「存在」の生起をそれとして思惟することが必要だと説く。

 

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