今井むつみ「ことばと思考」(2)~序章 ことばから見る世界─言語と思考
ことばは世界への窓である。私たちは日々の生活の中で、特に意識することなく、ことばを通して世界を見たり、ものごとを考えたりしている。そこで、あらためて、ことばが私たちの日常にどのような役割を果たしているか、もしことばがなかった世界はどうなっているかなどと考えることはない。しかし、ここでは、そういうこと、ことばは私たちの世界の見方、認識の仕方と、いったいどのようなかかわりをかたを持っているかを考えてみる。たとえば、私たちは「水」がどのようなものかを知っている。しかし、「水」ということばを未だ知らない赤ん坊は、それを「水」ということばを知っている大人と同じように理解していないのだろうか。「水」ではなく「water」として知っている場合、同じように理解しているのだろうか。
言語学によると、ことばというのは世界をカテゴリーに分けるという。ここでは、カテゴリーを同じ種類のモノの集まりとしておく。モノを同じ種類に集めることができるためには、モノを種類としてとらえることが前提となる。つまり、私たち目の前の「ミケ」を猫として捉えることができから、他の「タマ」を猫として同じ種類として捉えることができる。そこには、「ミケ」とか「タマ」をそれそれぞれ個体の名前だけでなく、猫というカテゴリーのことばを持っているということでもある。そして、このように同じということで括っていくことにより、世界を整理している。ことばが指し示すカテゴリーはモノに限らない。さまざまな動作を動詞ということばによる基準をもとにカテゴリー化している。あるいは空間の位置関係、例えば左右とか前後とか、もカテゴリー化している。
私たちが見ている世界は、ことばが切り分ける世界そのものなのだろうか。そうだとすると、世界にはたくさんの言語があり、世界をどのように切り分けていくかは、言語によって異なってくる。私たちが見ている世界が、ことばが切り分けている世界であるのなら、異なる言語を話す人たちは、世界の見方や思考のあり方が異なるはずだ。ところで、この「思考」というのは、これからのキーワードなので、それについて説明が続く。一般に、思考というと、じっくり思案、熟慮すると思われている。心理学では、「思考」は人が心の中(脳)で行う認知活動すべてを指す。したがって、ことばを未収得の乳児も動物も思考するのである。これに対して「認識」というのは、人が無意識に日常生活の中でしていること─目で見て、耳で聞いて、手で触れて、それを記憶し、それを思い出すという一連のプロセス、端的に言えば「○○と分かる」─を指す。この「○○と分かる」という場合の○○は、ことばで表わされるものであることが普通だ。ここで最初の問いに戻った。私たちはことばを使うことなく、網膜に視覚情報として入ってきたという意味で見た何かを分かるのだろうか。また、ことばを持たない乳児や動物の分かり方と、私たちの分かり方は同じなのだろうか。
この本では、日常的に私たちが行っている活動─つまり、見る、聞く、理解する、記憶する、そこにない情報を推論で補うこと─に焦点を当て、言語が私たち人間の日常的な思考にどのような動きをし、知性の形成にどのように関わっているのか、という独自の視点を持ち込み、それを通して、思考と言語の関係という問題に、新たな枠組み、新た考え方を提示することを目指している。
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