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2024年2月

2024年2月29日 (木)

ウォーレン・バフェットの「株主への手紙」2023(2)~バークシャ・ハサウェイの株主の皆様

 ここから、いよいよ本文です。

 バークシャーには 300万を超える株主口座があります。 私は毎年、この多様で絶えず変化する株主の皆さんにとって有益な手紙を書く責任を負っています。皆さんの多くは投資についてもっと知りたいと思っているでしょう。
 何十年にもわたってバークシャーの経営に携わってきた私のパートナーであるチャーリー・マンガーも、この義務を同じように考えており、今年も私が皆さんといつものやり方でコミュニケーションをとることを期待していました。 彼と私は、バークシャーの株主に対する責任に関して同じ考えを持っていました。

***********

 作家は、求めている読者をイメージすることが有益であり、多くの場合、多くの読者を惹きつけることを望んでいます。 バークシャーでは、より限定されたターゲットを設定しています。それは、転売を期待せずにバークシャーに貯蓄を託す投資家、例えば、余剰資金で宝くじを買ったり、“話題の”株を買ったりするような人々ではなく、農場や賃貸物件を購入するために貯蓄をするような人々です。
 バークシャーは長年にわたり、たくさんのこのような「終身」株主とその後継者を惹きつけてきました。 私たちは彼らの存在を大切にし、彼らには毎年、楽観主義とシロップのようなドロドロを提供する投資家広報担当者やコミュニケーション・コンサルタントからではなく、CEOから直接届けられる良いニュースと悪いニュースの両方を聞く権利があると信じています。
 バークシャーが求めるオーナーをイメージする上で、私は幸運にも妹のバーティという完璧なメンタルモデルを持っています。 彼女を紹介しましょう。
 オープナーにとって、バーティは賢くて賢明で、私の考え方に挑戦するのが好きです。 しかし、私たちが怒鳴り合いの喧嘩をしたり、関係が壊れかけたりしたことは一度もありません。 これからも決してそんなことはないでしょう。
 さらに、バーティと3人の娘たちは、貯蓄の大部分をバークシャー株で運用しています。 その所有期間は数十年に及び、バーティは毎年私の手紙を読んでくれています。 私の仕事は、彼女の質問を予想して、正直に答えることです。
 バーティは、皆さんのほとんどと同じように、多くの会計用語を理解していますが、公認会計士の試験を受けるほどではありません。彼女はビジネス ニュースを追いかけて、毎日4紙の新聞を読んでいますが、自分自身を経済の専門家だとは思っていません。 彼女は非常に分別があり、評論家は常に無視すべきであると本能的に知っています。 結局のところ、もし彼女が明日の勝者を確実に予測できたとしたら、その貴重な洞察を惜しげもなく披露し、それによって競争者の買いを増やすでしょうか? それは、金鉱を見つけて、その位置を示した地図を近所の人に渡すようなものです。
 バーティは、良くも悪くも、インセンティブの力、人間の弱さ、人間の行動を観察するときに認識できる「教え」を理解しています。 彼女は誰が“売り”をしているのか、そして誰が信頼できるのかを知っています。 要するに、彼女は愚か者ではないのです。
さて、今年バーティは何に興味を示すでしょうか?

2024年2月28日 (水)

ウォーレン・バフェットの「株主への手紙」2023(1)~チャーリー・マンガー - バークシャー・ハサウェイの設計者

 2024年2月24日、バークシャ・ハサウェイのホームページに、ウェーレン・バフェットの「株主への手紙」の2023年版が掲載されました。
 これから、その全文を日本語にして、ここで掲載していきたいと思います。ただし、下手な訳、というよりも直訳に近いだろうから、読みにくいと思われた人は、原文を当たってみてください。
 下のURLにあります。
https://www.berkshirehathaway.com/letters/2023ltr.pdf
 今年は、バフェットの長年の盟友であったチャーリー・マンガーが亡くなった追悼から始まっています。
 それでは、少しずつ訳していきたいと思います。このような拙い翻訳を始めて10年以上となりますが、以前は全部終わったところでまとめてアップしていましたが、数年前から、ある程度進んだところで、その都度アップするようにしました。そのため、仕事の都合や翻訳のペースによってアップの時期が一定しませんが、我慢してお付き合いください。
 本文の前に、その追悼文から

 

チャーリー・マンガー - バークシャー・ハサウェイの設計者
 11月28日、100歳の誕生日を33日後に控えたチャーリー・マンガーが亡くなりました。生まれも育ちもオマハですが、人生の80%をオマハ以外の土地で過ごしました。そのため、私が初めて彼に会ったのは1959年、彼が35歳のときでした。1962年、彼はマネー・マネジメントを始めようと決心したのです。
 その3年後、彼は私に言いました!- 私がバークシャーの経営権を買ったのは愚かな決断だった。しかし彼は、私がすでに行動を起こしていたのだから、間違いを正す方法を教えてくれると断言してくれたのです。
 次に述べることで、チャーリーと彼の家族は、当時私が経営していた小さな投資パートナーシップに一銭も投資しておらず、その資金を私がバークシャーの買収に使用したことを心に留めておいてください。 さらに、私たち二人とも、チャーリーがバークシャー株を所有することになるとは予想していませんでした。
 それにもかかわらず、チャーリーは 1965年に私にすぐにこうアドバイスしました。「ウォーレン、バークシャーのような会社をまた買収しようとするな。 しかし、バークシャーを支配した以上は、公正な価格で購入した素晴らしいビジネスをバークシャーに加え、適性な価格で素晴らしいビジネスを購入することを諦めろ。 言い換えれば、きみのヒーローであるベン・グレアムから学んだすべてを放棄するのだ。 それはうまくいくが、ただし、それは小規模で実践された場合に限られる。」 その後、私は後ろ髪を引かれる思いで彼の指示に従いました。
 それから何年も後、チャーリーはバークシャーを経営する私のパートナーとなり、私の古い習慣が表面化したとき、何度も私を正気に戻させてくれました。 彼は亡くなるまで、ずっとこの役割を続け、私たちは、初期に投資してくれた人たちとともに、最終的にはチャーリーと私が夢見ていたよりもはるかに良い暮らしを手にすることができました。
 実際のとこ、チャーリーは現在のバークシャーの「設計者」であり、私は彼のビジョンを日々建設していく「ゼネコン」の役割を果たしました。
 チャーリーは決して自分の手柄を立てようとはせず、代わりに私に敬意を表し、賞賛を受けさせてくれました。 ある意味、彼と私との関係は兄のようでもあり、愛情深い父親のようでもありました。 自分が正しいとわかっていても、彼は私に主導権を与え、私が失敗しても、決して、私の間違いを思い出させませんでした。
 物理的な世界では、偉大な建物はその建築家と結びついていますが、コンクリートを打った人や窓を取り付けた人はすぐに忘れられてしまいます。 バークシャーは素晴らしい会社になりました。 私は長い間建設スタッフを担当してきましたが、 チャーリーは建築家として永遠に認められるべきです。

 

2024年2月27日 (火)

野矢茂樹「言語哲学がはじまる」(6)~第5章 『論理哲学論考』の言語論

 『論理哲学論考』は、生死について、価値について、倫理について、論理についてなどといった哲学が取り組んできた様々な問題は、自然科学のように世界のあり方を探求すれば答えが出るものではなく、また数学のように考えるだけで答えが出るものではない。このような哲学的問題はそもそも思考の限界を超えようとする人間の知的衝動の所産なのだという。そこで取り組むのは、思考の限界を見定めるということだった。ただし、ここでの思考とは言語的思考のことで「論理空間」と呼び、言葉にならない漠然とした思いのようなものではない。「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」と言う。その最大の特徴は、明確に言語優位の考え方を打ち出したところにある。
 ラッセルは、分の指示対象として命題を考え、明大は信念や判断によって構成されていた。信念や判断という心の動きから出発して、命題を構成し、それが言葉に意味を与えるという順番。『論理哲学論考』はこの順番をひっくり返す。言語が思考を成立させるのであって、言語以前の思考という考えはない。だから、矛盾したことや無意味なことは考えることができない。逆に言えば、それ以外のことなら何でも考えることはできる。とはいうものの、思考が言葉に意味を与えるのであれば、思考内容な言葉であれば有意味ということができる。しかし、『論理哲学論考』はその逆のことを言っている。
 『論理哲学論考』は「世界は成立していることがらの総体である。」「世界は事実の総体であり、ものの総体ではない」から始まる。これは、さきのラッセルへの批判であると著者は言う。ラッセルは偽な文の指示対象を確保するために、まず偽な命題の存在を認めた。それに対して、世界は成立していることがらである事実の総体であるとすると非現実のことは存在しない。では、存在するのは事実のみであるのに、非現実の可能性を考えることができるのはなぜだろう?ウィトゲンシュタインは言語があるからだという。
 われわれは「富士山に小惑星が衝突した」という非現実のことを考えることができる。このなかの「富士山」「小惑星」「衝突する」といった要素については様々な事実から取り出すことができる。これを対象と呼ぶ。事実を分解して、その構成要素である対象を取り出す、つまり分節化する。そして、これを組み立て直して「富士山に小惑星が衝突した」という可能な事実を構成するというわけ。
 このように現実に存在する対象を組み立てたら、できあがるものも当然現実に存在することになる。現実に存在する事実。可能な事態ではない。つまり、本当に富士山に小惑星を衝突させることになってしまう。そこで、対象の可能な組み立てを考えるには、対象そのものを組み立てるのではなくて、対象の代理物を組み立てることになる。それが言語だ。「富士山に小惑星が衝突した」という文は富士山に小惑星が衝突したという可能的な事態を表現する。現実の対象を代理する言葉をさまざまに組み合わせると、それがさまざまな可能性を表現する。可能性とは、言語が表現するものとしてのみ、成り立ちうる。
 以上の議論をまとめると次のような手順といえる。
現実事実を対象に分節化する

対象を語で代理する。

語を組み合わせることで可能的な事態を表現する。
 ただし、対象を分節化するという第一のステップは可能的な事態を考えるという第三のステップを必要とする。対象を分節化するのに、それによってどのような可能的な事態が考えられるのかも了解されねばならないという。例えば、「ミケがソファの上で寝ている」という事実があるとする。この事実から「ミケ」という対象を分節化するには、ミケがソファの上でなく、床の上だったり布団の上だったり、あるいは寝ているのではなく、歩いていたり、あくびをしていたりする可能性も了解されているはず。そのような可能性が理解されていないで、ミケはただソファの上で寝ているだけの存在であるとしたら、ミケはソファと一体化し、寝ているという状態だけの存在ということになる。「ミケ」という対象は、他の可能的な事態の中に現われることを想像することができる。そのような可能性を解していなければ、「ミケ」を一つの対象として取り出すことはできない。対象とは必ず何らかの事実のもとにありながら、さまざまな可能的な事態のもとに現われるという仕方で、事実から切り離された存在となる。これは、個体だけでなく、性質や関係も同様だ。したがって、まずむ現実に成立している事実を対象に分節化してから、その後で可能的な事態が思考可能になるのではなく、対象が分節化されるときは、その対象がどのような可能的な事態に現われうるのかも同時に理解される。ある対象について、それがどの可能的事態に現れうるかということをウィトゲンシュタインは「論理形式」と呼ぶ。
 「ミケ」や「寝ている」の論理形式はどうか。世界において我々が出合うのはすべて現実に成立している事実であって、非現実の可能的な事態に出会うなどということはありえない。「富士山に小惑星が衝突した」という可能性は現実には存在しないし、ただ「富士山に小惑星が衝突した」という文が表現するものとしてあるだけである。「富士山」という固有名、「…は小惑星だ」「…は…と衝突した」などの述語を有意味に組み合わせる仕方でのみ、何が可能的な事態なのかが捉えられる。ある語について、他のどの語と組み合わせて有意味な文が作れるかということをウィトゲンシュタインは「論理形式」と呼ぶ。
 われわれは、ただ事実に取り囲まれているだけで、それを言葉で表して、しかも文が語に分節化されてはじめて、非現実の可能性を表わす組み合わせを作ることができる。それゆえ、語の論理形式と対象の論理形式は一致する。さらに、有意味な文の全体と思考可能な事態の全体も一致する。これにより、対象に分節化された世界が言語以前に成立していて、それが言葉に意味を与えるというラッセルの考え方は否定される。
それなら、どういう組み合わせが有意味なのかという論理形式の理解は、どういう文が有意味なのかという理解に基づくことになる。そのどういう文が有意味なのか、どうなるのか?それについて、ウィトゲンシュタインは、有意味の最終的な根拠はわれわれの言語使用にあるという。言葉は、実際に使えているのなら有意味だと、ウィトゲンシュタインは言う。。語の論理形式は実際の言語使用から了解される。「富士山」という固有名や「…は噴火する」「…は…と衝突する」という術語が文から切り離されてくるときには、その語の論理形式、すなわちそれらの語を使ってどういう文が実際の言語の実践で使用できるのかが了解されていなければならない。そして、語の論理形式は、その語の対象の論理形式としても捉えられる。対象の論理形式は、その対象がどのような可能的な事態に現れうるかということだから、このようにして思考可能な事態が捉えられる。
 整理すると次のようになる。
文から語が分節化されるとき、語の論理形式も了解されている。

事実から対象が分節化されるとき、対象の論理形式も了解されている。

対象の論理形式は語の論理形式をもらってきたものだ。

語は対象を代理したものだ
 ウィトゲンシュタインは、われわれがどのように言葉を使っているかという事実をみるが、それを論理的に説明するのではなく、記述する(解明する)ことに努めている。
 フレーゲのような語の意味に対しては意義のような内包的側面を考えることはなく、語の意味は指示対象だとする。その点ではラッセルと同じだが、指示対象を捉えるときには語と対象の論理形式が了解されていなければならない、という点で異なる。
「富士山は噴火する」が有意味であることは、「富士山」の論理形式も「…は噴火する」という術語の論理形式も部分的に明らかにする。
 そうだとすると、「富士山」の論理形式を明らかにするためには「…は噴火する」の論理形式の分かっていなければならない。つまり、ある語Aの論理形式を理解するとは、その語と他の語B、C、D…との組み合わせが有意味な文を作るかどうか理解しているということなので、語Aの論理形式を理解するためには、他の語B、C、D…の論理形式も理解していなければならないことになる。他の語についても同様だ。ということは、一つの語の論理形式を理解するためには、結局はその言語含まれるすべての語の論理形式を理解していなければならないことになる。語の論理形式が分からなければ対象の論理形式も分からない。したがって、対象を分節化することもできないのに、指示対象も定まらないから、その語の意味も分からないことになる。結局は、「富士山」という一つの語の意味を理解するためには、日本語のすべての語の意味を理解しなければならないことになる。これを全体論的言語観と呼ぶ。
 われわれの言語使用の実態は、このようなことになっている。論理的な説明を試みると、部分が先が、全体が先かという循環論に陥ってしまうが、全体が部分からできているだとという単純な構造ではなく、部分は全体との関係で意味を持っていて、部分と全体が緊密に結びついているという。それは、幼児が言語を習得しているありさまをみれば分かる。
 語の意味が分かると、それをもとに論理空間を構成できるようになる。語の意味を理解するとは、その語の指示対象と論理形式が分かるということだから、論理形式の理解をもとに、有意味な文を作り出すことができる。有意味な文は可能的な事態を表現しているので、可能な事態を列挙することができるようになる。現実の世界では、これらの可能な事態のどれかが成立している。「富士山は江戸時代に爆発した」という事態は現実の事実として成立しているが、「富士山は明治時代に爆発した」は事実ではなく可能的な事態にとどまる。論理空間では可能的世界を列挙するが、かといって存在するわけではない。存在するのはわれわれが生きている現実の世界だけだ。可能的な世界は、ただ言語が表現することにより思考可能な世界として立てられる。
 このように現実世界以外の可能的世界が存在するわけではない。事実以外の可能的な事態も存在しない。可能的な事態が指示対象になることはできない。存在しないものを指示することはできないからだ。ところで、語の意味は指示対象だ。指示対象である個体も性質も関係も、現実に成立している事実から分節化されたものだから、現実に存在している。語の理解には論理形式の理解が伴う。現実世界以外の可能的な世界は、ただ言語が表現することによって思考可能な世界として立てられる。だから可能的な事態が指示対象になることはできない。存在しないものを指示することはできない。決して可能的な事態が言語以前に存在して、それが文に意味を与えるのではない。著者は「a」、「b」、「c」、「点灯している」の4つだけの世界を例として考える。「a」、「b」、「c」の3つの点だけがあって、それぞれが点灯したりしていなかったりする。この4つの対象を有意味に組み合わせて作ることのできる可能的な事態は次の3つになる。
A…「aは点灯している」
B…「bは点灯している」
C…「cは点灯している」
この3つの可能的な事態から作られる論理空間は、どの可能的な事態が現実に成立しているかによって、つぎの8つの可能性を列挙する。
世界W1…A-成立、B-成立、C-成立
世界W2…A-成立、B-成立、C-不成立
世界W3…A-成立、B-不成立、C-成立
世界W4…A-成立、B-不成立、C-不成立
世界W5…A-不成立、B-成立、C-成立
世界W6…A-不成立、B-成立、C-不成立
世界W7…A-不成立、B-不成立、C-成立
世界W8…A-不成立、B-不成立、C-不成立
 ここで、「aは点灯している」という文は「aは点灯している」という可能的な事態を表現し、それは単に可能的な事態を述べるだけでなく、この現実世界が「aは点灯している」という事態が成立している世界なのだということを述べている。文は、論理空間に列挙された可能的な世界の中で、それが真になるような可能的な集合を特定する。つまり、「aは点灯している」という文は、現実世界がW1、W2、W3、W4のいずれかだということを述べている。このように分は現実世界がどのようであり得るかに関して、論理空間から可能な世界を取り出すものとなっている。これは、フレーゲの言う真理条件と呼ぶものだ。これは、「aは点灯している」が事実として入力するとW1~W8が成立するか不成立かを出力する関数、それを真偽に置き換えると真理関数と言える。このようにして作られる真理関数の全体こそが、何事かを「語っている」すべてなのだ。真偽は、それが表現している可能的な事態が現実に成立しているどうかを調べることにより、知ることができる。それにより真偽が確定したら、真理関数によって論理空間の真偽が確定する。真理関数は世界のあり方を調べることにより真偽が確定する文なのだ。
 『論理哲学論考』が言う「語る」とは、世界のあり方を記述するということで、それは世界のあり方に応じて真偽が言えるということで、真理関数こそが世界のあり方を「語る」文であるということなのだ、
 このようにして、『論理哲学論考』は「語りうる」ことを規定し、それに基づいて哲学問題を語りえぬものとして、まっとうな「語り」から除外する。『論理哲学論考』の最後近くで、次のように言っている。
 「だがもちろん言い表わしえぬものは存在する。それは示される。それは神秘である。」

2024年2月26日 (月)

野矢茂樹「言語哲学がはじまる」(5)~第4章 指示だけで突き進む

 フレーゲは語の意味は文の意味以前に確定すると考える要素主義を批判して、文の意味との関係においてのみ語の意味は決まるという文脈原理を提唱し、また指示対象という外延的側面だけでなく意義という内包的側面も考えるべきだと論じた。ところが、ラッセルは文脈原理を拒否して平然と要素主義的に考え、また、意義という側面を認めず指示対象だけで言葉の意味を捉えようとする。
 まず、著者は指示対象が存在しない固有名は無意味かと問いかける。例えば、19世紀に太陽系で水星より太陽に近い惑星があると考えられてバルカンと名づけられていた。しかし、現在では、そんな惑星はないとされている。その場合、「バルカンは地球より小さい」という文は無意味になる。それは「バルカン」という固有名が無意味だからだ。
 また、「日本の初代内閣総理大臣」について、フレーゲは個体を指すので固有名としたが、日常言語では固有名とされないので、ここでは個体指示語と呼ぶ。これは固有名のように指示対象を持たない場合には無意味ということになる。例えば、日本の初代大統領。とはいえ、日本の初代大統領について、たしかに間違っているとしても、意味は分かると言えなくもない。これに対して、フレーゲなら、意味に指示対象と意義という二つの側面を考えることから、日本の初代大統領には指示対象はないが、意義はあると論じる。しかし、実はこのことはフレーゲの議論の核心を揺るがす問題を秘めている。すなわち、言葉と世界の基本的関係は文の真偽にある。文脈原理に従えば、固有名と述語の指示対象は文の真偽との関係で決まる。このように指示対象のレベルで世界に錨を下ろしているからこそ、意義のレベルが考えられるわけだ。そこで、指示対象がなくても意義だけはあるというと、世界に下ろした錨を断ち切ってしまうことになってしまう。これに対して、ラッセルは一貫して意義という側面を認めない。日本の初代大統領が有意味だとすると、指示対象を持つ、つまり日本の初代大統領は存在するという。これはリアルに存在するわけではなく、実際に指さしなどで指示することはできない。そこで、ラッセルは第二形態へと進む。
 それについては、論理学で考えると、「猫はよく寝る」は「すべてのXに対して、Xが猫であるならば、Xはよく寝る」とう意味になる。一方、「猫が寝ている」はすべての猫ではなく、そういう猫がいるということだから、「あるXが存在して、Xは猫であり、かつ、Xは寝ている」という意味になる。このように論理学の体系では「すべて(all)」と「ある(some)」という論理語が中心的役割を果たす。そこでラッセルはallとsomeに定冠詞theを加える。定冠詞theはただ一つの対象を表わすことを示すものだ。そこで「the初代内閣総理大臣は好色だ」という文は、「Xは初代内閣総理大臣だ」と「Xは好色だ」といいう二つの命題関数を用いて分析できる。そのときも初代内閣総理大臣は主語ではなく、「Xは初代内閣総理大臣だ」という命題関数に読み替えられる。定冠詞theはただ一つの対象を表わしているので「the初代内閣総理大臣は好色だ」は「あるXがただ一つ存在し、Xは初代内閣総理大臣であり、かつXは好色だ」と分析できる。そうすると、「the初代内閣総理大臣」を個体指示語として捉えるのではなく、命題関数を用いて、全体をただ一つ存在するという趣旨の文に読み替えたことになる。
 そして、日本の初代大統領という表現について考えてみると、「the日本の初代大統領は好色だ」は「あるXがただ一つ存在し、Xは日本の初代大統領であり、かつ、好色だ」と分析される。そこで、日本の初代大統領が存在するというのは偽だから、この文は全体として偽ということになる。無意味だったら真偽は言えないので、この文は偽だが有意味なのだ。それで、「日本の初代大統領は好色だ」は偽となり、有意味とされる。この文が偽となるのは「Xは日本の初代大統領だ」という命題関数に当てはまる対象が存在しないから。それは、「the日本の初代大統領」という表現を個体指示語ではなく「…は日本の初代大統領だ」という命題を用いた文として分析したからだ。個体指示語だったら日本の初代大統領は存在するとしなければならないが、「Xは日本の初代大統領だ」という命題関数を用いた仕方で分析されれば、その命題関数に当てはまるものがないとしても、日本の初代大統領という表現が無意味になることはない。命題関数なら当てはまるものがなくても無意味にならない。これがラッセルの二次形態だ。このような読み替えを記述論理と呼ぶ。
 このように記述理論が受け入れられ、ラッセルは指示対象だけで言葉の意味を考えようとする。固有名、述語そして文に対して指示対象だけで説明できるとしたら、とくに文の意味は真か偽の二つしかないことになる。これについて、固有異から考えてみる。「初代内閣総理大臣と伊藤博文は同一人物だ」という文は、「初代内閣総理大臣」と「伊藤博文」は指示対象が同じで、したがって同じ意味ということになり、置換可能となるはずだが、フレーゲは認識価値が違うという意義を持ち出して、それを否定した。それに対して、記述理論は異議に訴えない解答をすることができる。「初代内閣総理大臣」という語は個体指示語と考えず、「初代内閣総理大臣と伊藤博文は同一人物だ」し「あるXがただ一つ存在し、Xは初代内閣総理大臣であり、かつ、Xと伊藤博文とは同一人物だ」と分析することができる。伊藤博文という固有名は伊藤博文という人物を指示する。そして「初代内閣総理大臣」は「Xは初代内閣総理大臣だ」という命題関数に読み替えることができる。Xに個体を入力して真偽が出力される。ここではすべて外延的に捉えられる。
 しかし、例えば宵の明星(フォスフォラス)と明けの明星(ヘスペラス)は両方とも指示対象は金星だが、初代内閣総理大臣と伊藤博文の場合のようにはいかない。それは、フォスフォラスもヘスペラスも固有名だから記述理論が使えない。そこで、ラッセルは第三次形態に進む。「フォスフォラス」も「へスペラス」も、すべて述語として分析していく。「フォスフォラスとへスペラスは同じものだ」という文は、「あるXがただ一つ存在し、Xはフォスフォラスであり、かつ、Xはヘスペラスだ」と分析される。これなら、「初代内閣総理大臣」の時と同じやり方で処理できる。これは他のすべての固有名に及ぶことになる。ラッセルは固有名は述語として読み替えられると主張する。例えば、「伊藤博文」という人物を知っているとして、何を知っているのだろうか。初代内閣総理大臣とか、かつての千円札の肖像だったとか、ハルビンで暗殺されたとか、その他にもあるが、結局、このような記述の束でしか捉えていない。だとすれば、このような記述の束を列挙して、それに「ただ一つ存在する」ことを意味するtheをつけて確定記述にしたものが「伊藤博文」という語の実質だという。
 そうなると、今までふつうに固有名されているものが、実は確定記述なのだとすれば、固有名がなくなってしまうことになる。そうなれば、命題関数に入力する個体を表わす表現がなくなってしまう。そうすると、命題関数に入力する個体は何なのか、そしてそれを表わす本当の個体名は何なのかが問題となる。ラッセルが注目するのは、「あれ」とか「これ」という指示語だ。目の前にミケがいるとき、その姿を「これ」として指示する。何が指示されているかというと、今見えている姿だ。ミケという猫はその姿だけでなく、他の機会に出会われる様々な姿や、今年で3歳になるオスだとかいった様々な知識に関わっている。だから、正確に言えば「これもミケだ」となる。そこで今見えているその姿を指示する語である「これ」が本当の固有名というべきというのがラッセルの主張だ。固有名は指示対象が存在しなければ無意味になる。「バルカン」や「伊藤博文」が、その語の指示対象が存在しなくても無意味ではないように思えるのであれば、それは「バルカン」や「伊藤博文」が本当の固有名ではないということになる。それに対して、「これ」や「あれ」という指示語は指示対象がなければ無意味になる。何もないところを指示して「これ」とか「あれ」と言っても、それは意味がない。そうなると、固有名の指示対象となるのが個体だから、本当に個体と言えるのは「これ」とか「あれ」という指示語で指示されるものということになる。それは今見えているかぎりの「これ」であり、直に経験しているもの、そしてその経験を超えたものをいっさい含まないもの、それが本当の個体ということになる。
 そうなると、他人と私が同じものを指示することはできないということにならないか?言葉と世界のつながりをラッセルは指示関係に見る。そして彼は要素主義的に考えるので、語の意味は意味以前に語だけで決まる。それゆえ、固有名と個体の指示関係が言葉と世界のつながりの基本になる。この、言葉と世界の関係がとこで成り立つかを問い詰めていくと今私が経験しているものを「これ」とか「あれ」として指示することに行き着く。それは、コミュニケーションを不可能にしてしまう。そして、固有名が「これ」と「あれ」だけで他は述語ということになる。それはつまり、世界を記述する言葉のほほすべては述語ということになる。
 文の意味を考える。フレーゲの議論では、文の指示対象は真と偽の二つだが、意義という祖君も考えなければならないとされる。ラッセルは意義という側面を認めないので、指示対象だけを考えようとする。したがって、文の意味は真と偽の二つだけということになるかというと、ラッセルは文の意味は命題だという。「ミケは猫だ」という文では、「ミケ」は個体を指示するが、「…は猫だ」という述語の指示対象について、ラッセルは「ねこだ」という性質を指示すると考える。その性質という事実を表わす命題を述語は指すという。そうだとすると、命題は存在するということになる。著者は、一般観念説と変わらないし、それでは個別性と一般性のギャップの問題も再び表われるという。これを批判したのがウィトゲンシュタインだ。

2024年2月25日 (日)

野矢茂樹「言語哲学がはじまる」(4)~第3章 「意味」の二つの側面

 これまでのフレーゲの議論に従えば、固有名の意味はその語の指示対象(個体)で、述語の意味は個体として入力して真偽を出力する命題関数だった。では、文の意味は何か。ここでは合成原理が働き、文の意味は文を構成する語の意味が決まれば決まる。それはどういうものか?
命題関数は個体から真偽への関数と言える。「Xは猫だ」はXにミケを入力すれば真を出力する。ということは、「ミケは猫だ」という文において、それを構成する語である「ミケ」と「…は猫だ」の意味が決まったら決まるものというのは、「ミケは猫だ」が真である、だ。つまり、「ミケは猫だ」の意味は真だということだ。フレーゲの採った道は、ここまでの議論は「意味」と呼ばれることのひとつの側面にすぎないとすることで、「意味」にはもうひとつ側面があるという。それは外延と内包という考え方の延長にある。 例えば、「Xは素数を言ってください」と言われて、「2,3,5,7,11,13…」といつまでも言えるのに、素数の定義を知らない子どもがいたらどうだろうか? 私たちはその子どもは素数の「意味」を理解していないと考えるでしょう。 「2,3,5,7,11,13…」という具合にその概念に当てはまる対象を「外延」と言い、「素数とは1と自分自身以外に約数を持たない数だ」といった定義を「内包」と言う。フレーゲは意味の外延的側面を”Bedeutung”(日本では「意味」と訳されることが多いが、本書では「指示」「指示対象」と訳している)、内包的側面を”Sinn”(日本語では「意義」と訳され、本書もそれに倣う)と呼んだ。指示対象はその言葉が何を指すかであり、意義はその言葉がその指示対象をいかに指すかだと言える。ここまでの文の意味は真か偽というのは指示対象という側面、つまり外延的意味に関してのことだという。われわれが、通常、文の意味ということでもつ直感は内包的意味に関わっている。外延的意味は言葉と世界を結びつける基礎であり、指示対象を押さえことにより、言葉と世界との関係が捉えられ、その上で、それが「いかに」結びついているのかが言われうる。文の意義は、文の指示対象は真か偽であるのに対して、その文がいかにして真ないし偽になるのかということだ。例えば、「Xはダイヤモンドだ」と「Xは最も硬い宝石だ」という文章があった場合、Xに同じものを代入すれば真偽は同じになるが、その検証方法は違う。「ダイヤモンド」は「最も硬い宝石」は外延的には同じであっても、その内包的意味、すなわち意義が違うというわけだ。この意義は論理学では真理条件と呼ばれる。
 ここから「文を構成する語の意義が決まれば文の意義が決まる」という「意義の合成原理」と「文の意義との関係においてのみ語の意義は決まる」という「意義の文脈原理」が導かれ、無限に新たな文を生み出せるになるという。
 ここで問題になるのは固有名だ。固有名については指示対象だけを考えればいいような気がするが、それだと「意義の合成原理」が成り立たない。合成原理が成り立たないと、新たな意味の産出可能性を考えられなくなる。それで、フレーゲは固有名にも意義があると考えた。フレーゲは「伊藤博文」だけではなく「初代内閣総理大臣」も同様の指示表現とみなして、これを「固有名」だとしている。固有名が指示対象という外延的意味しか持たないのであれば、「伊藤博文」と「初代内閣総理大臣」は同じ意味だということになる。そうであれば、どちらの固有名を使っても文全体の意味は変わらないことになる。「伊藤博文は初代内閣総理大臣だ」という文と、「伊藤博文は伊藤博文だ」という文の意味は同じということになる。これはおかしい、フレーゲは、それが違うのは認識価値の違いだと言う。「伊藤博文は伊藤博文だ」には何の情報量もない。伊藤博文のことを知らない人でも、「伊藤博文は伊藤博文だ」と言うことはできる。それに対して「伊藤博文は初代内閣総理大臣だ」には情報量がある。このことを初めて知った人知識が増えたことになる。このように知識を増やしてくれることを認識価値と呼ぶ。「伊藤博文は伊藤博文だ」には認識価値がないが、「伊藤博文は初代内閣総理大臣だ」には認識価値がある。その違いを捉えるには、固有名の意味を指示対象だけで考えていたらだめで、固有名にも意義という内包的側面があるからだ、とフレーゲは言う。では、固有名の意義とは何か?固有名の外延的意味である指示対象は個体だから、内包的意味である意義はその個体がいかに指示されるかということになる。「伊藤博文」はその指示対象である人物が歴史上の人物という様態で提示されるのに対して、「初代内閣総理大臣」は総理大臣という官職の初代人物としての様態で提示されることになる。このように固有名にも意義があるのは明らかである。
 しかし、著者は、必ずしもフレーゲの固有名の意義の説明に納得していない。そこから、ラッセルを見ていく。

野矢茂樹「言語哲学がはじまる」(3)~第2章 文の意味の優位性

 そもそも対象の把握は事実の把握とともになされるので、事実と切り離して対象だけを考えるということはされない。例えば、ミケという一匹の猫を見るとき、ミケは必ず何らかの状態にいるか何らかの動作をしているわけで、ミケが寝ているという事実に出会う。ミケという対象だけに出会うということはない。同じように、ミケは猫だという事実にも出会う。しかし、ここまでの議論では、われわれは世界の中で一般的猫に出会うことはないとしてきた。でもミケは猫だという事実には出会う。ミケは寝ているにしても、ミケは固有名だが、寝ているは一般性をもっている。そういうわけで、事実の中には一般性をもった構成要素が含まれている。
 ところで、前章の一般観念説が袋小路に陥ったことについて、フレーゲは、一般観念説が出てきた根底には要素主義、つまり、文は語の意味がつながって形成されるという考え方があるとして、要素主義を批判して文脈主義を主張する。つまり、語の意味を考えるにも、語を文から切り離してひとつひとつの語を単独で考えるのではなく、文全体との関連において考えるべきだという。つまり、語の意味は、文以前にその語だけで決まるのではなく、文全体との関係において決まる。
 では、文は、この章の最初で述べた世界と事実の関係はどうなのか?ミケは寝ているという文はミケが寝ているという事実を表わしている。それでは、文の意味は事実であるのか?文には真もあるが偽もあるし、ミケが寝ているという文は特定の事実をさしていないといった難点(個別性と一般性のギャップ)から、文の意味は事実、つまり、文と事実の関係が指示する関係にある、というのは難しい。そこで、問いを次のように手直しする。真な文でも偽な文でも成り立つような、文と事実の関係は何か。真にも偽にもなるということが、文が事実に対して持つ関係だという。このような真偽を文と事実の基本的な関係と考えると、個別性と一般性のギャップを考慮する必要はなくなる。ミケが寝ているという文は、ある場面での特定の事実のもとで真になったり偽になったりする。個別の事実に対して、一般性をもった文が真になることはおかしいことではない。
 前章で「猫」の意味は猫の一般観念だという考えはなくなった。文脈原理を受け入れ、文と世界の基本的関係は真偽であることを前提とすると、「猫」の意味はどう考えられるのか?「ミケは猫だ」という文では「猫」は述語として用いられている。この文から「ミケ」を取り去ると「…は猫である」となる。「猫」という語(一般名)を文との関係で捉えるのなら「猫」という名詞よりも、このような文から取り出した形となる。つまり、猫という一般名の意味は何かではなく、「…は猫である」という述語の意味は何かというのだ。この形の「…」にはミケだけでなく、タマでもポチでも入れられる。ポチを入れれば「ポチは猫である」という文は偽ということになる。これは、「…」を変数とする関数ということもできる。それゆえ、これを命題関数と呼ぶことができる。
 指示対象説は「猫」という語の意味を文から切り離して、それ単独で「猫」という語の指示対象を求めた。それに対してフレーゲはこれを「…は猫だ」という述語として捉える。これは文の一部であることを意識したものだが、これだけでは文脈原理に従っているというほどではない。「…は猫だ」という述語の意味を「Xは猫だ」という個体から真偽への関数として捉える。ポイントはここにある。真偽は語ではなく、文に対して言われることである。文脈原理に従って、述語の意味が、まさに文との関係において捉えられている。
 固有名の意味は指示対象である。これには文脈原理は当てはまらないだろうか?対象を指さして名づければ、それで固有名の指示の対象が定まるというほど、単純なものではない。例えば、私が何も知らされずに理化学研究所の計算科学研究センターに連れて行かれたが、そういう場所だとは知らされていないで、そこに箱のようなものがずらっと並んでいるところに案内されるとする。それはスーパーコンピュータなのだが、私はそのことを知らない。そこで、「これが富岳だ」といわれても、私は何が富岳なのか分からない。そもそも「これ」が何を指しているのか分からない。何かよく分からない対象を指して、「これが××だ」と名前を与えても、それだけでは何が「××」と呼ばれたか分からない。では、何を分かっていればいいのか、それもはっきりしない。したがって、固有名の意味は文との関係において決まる。つまり、固有名の指示対象は文との関係において定まる。
 文脈原理は文の意味を基本において、そこから語の意味を捉えていこうとする考え方だが、本書の冒頭の問いである新たな意味の産出可能性とは、どのようにつながるのだろうか?要素主義では、一般観念説が袋小路に陥ったりして、それがうまくいかない。それだけではない。要素主義は、それぞれ語の指示対象を明らかにするが、それだけでは「ミケ」「寝ている」という語があるだけで、それらをどう組み合わせればよいのかは分からない。これに対して、命題関数の場合は、「寝ている」は「Xは寝ている」という関数として、Xには個体が変数として入るという組み合わせができる。このように要素主義は語の意味を基本として、そこから文を組み立てようという考え方だから、語の意味は分かったとしても、そこからどうやってちゃんとした文に組み立てれはいいかという問題が残される。一般観念には組み合わせが示されてはいない。それに対して、命題関数は分の一部として取り出されたものだから、Xのような変数のところに個体を入力するということになっている。このように文脈原理の考え方では部の意味を基本として、そこから語の意味を捉えようとするので、語を文に組み立てるのもやりやすい。
 最も単純な文型は固有名と述語から成るものだ。「ミケは猫だ」というように。文はそれだけではない。「猫はよく寝る」というように。このような文を組み立ているには、固有名と述語だけではなく、論理の言葉も必要だ。「猫はよく寝る」という文の場合、「ミケはよく寝る」ならば、固有名+述語だが、「猫」は固有名ではない。では何か、これも「…は猫だ」という述語なのだ。したがって「Xは猫だ」という命題関数として捉えられる。「猫はよく寝る」の「猫」は「…は猫だ」という述語なのだ。「猫はよく寝る」は「猫」が主語で「…はよく寝る」が述語に見えるが、命題関数の考え方からは、「猫」も「Xは猫だ」という命題関数を意味する述語となるので、「猫はよく寝る」は二つの述語を組み合わせた文になる。そうすると
 「Xは猫だ」に当てはまるものはすべて、「Xはよく寝る」にも当てはまる。 
これを論理学に近づけると 
 すべてのXに対して、Xが猫であるならば、Xはよく寝る。
と書くことができる。何かある個体Xについて、それが猫だったら、それは間違いなく寝る、というわけだ。この「ならば」を二つの命題関数をつなぐ論理定項と呼ばれる。固有名、述語、論理定項を組み合わせると色々な文を作ることができる。
このように文を構成する語の意味が決まれば、文の意味は決まるという考え方を合成原理と呼ぶ。新たな意味の産出可能性を考えるときに、合成原理が必要になってくる。ただし、この合成原理が要素主義に向かうと袋小路にはまってしまう。では文脈原理はどうか、というと合成原理と並び立たないようにも見える。ここで要素主義は、文の意味に先立って語の意味が定まるという考え方だ。そうすると、言葉を学ぶことも、文の意味を理解する前に語の意味をすべて理解して、それから文の意味の理解へと進むということだ。しかし、われわれの言語理解はそうではない。文の意味を知らない状態で語の意味だけを学べばいいとは思わない。

2024年2月23日 (金)

野矢茂樹「言語哲学がはじまる」(2)~第1章 一般観念説という袋小路

 本書は著者が様々な問いを投げかけ、それについて様々な例を出しながら解き明かしつつ、そのプロセスで新たな問いが生まれ、その問いにまた例を出しながら解き明かしていく、その繰り返しのプロセスが魅力となっている。その問いかけの最初として、冒頭に「どうして言葉は無限に新たな意味を無限に作り出せるのか」を問う。これについて、「猫が富士山に登った」という例文を提示して、この問いを考え始める。実際に、こんなことはありえない荒唐無稽な文だが、意味はすぐ分かる。それは、文で使われている単語、「猫」も「富士山」も「登った」も分かるし、文型も分かるからだ。「猫が富士山に登った」は既知の語を既知の文法に従って作った文だから、初めて読んでも意味が分かる。こうして、新たな意味の産出の問への答えが見つかる。これを要素主義という。
 ところが、その単語、例えば「猫」の意味は何なのかと問われると、答えるのが難しい。猫を知らない人に猫を言葉で説明しようとすることを考えれば、その難しさがわかる。まず、「猫」も「富士山」も、ある対象をさした、その名前である。「富士山」は固有名で、「猫」は一般名と分けられる。固有名は富士山という固有名詞、特定の一つの個体を指す。このように語の意味を指示対象とする考え方を指示対象説という。これが、一般名にも成り立つかというところで問題が生じる。そこで、一般名の指示対象とは何かという問いが生じる。「猫」という語の指示対象は何だろうか。猫という動物?では実際にどこに存在しているのか?現実に猫一般を実体として指すことはできない。実際に指示することのできるのは、ある特定の個別の猫でしかない。ならば、一般の猫の意味をどうやって理解しているのか、という問いが生まれてくる。それに答えようとしてジョン・ロックが持ち出したのが「猫」という言葉は心の中の一般観念を表しているという考えだ。世界で出会う猫はすべて個別の猫で、これは心の外の世界で、ロックは、猫の指示対象は心の中にあるという。心の外で出会う個別の猫は、大きさ、色、毛の長さ、尻尾の形等さまざまだ。心の中は、そのような個々の猫たちから多様性を剥ぎ取った一般的な猫の観念が形成される。これを抽象と呼ぶ。観念とはイメージのようなもので、これを一般観念説と呼ぶ。
 これを批判したのがバークリーだ。一般的な猫をイメージできるのかという反問だ。これを受けてフレーゲは、さらに、心の中に猫の一般観念が形成されたとして、そのイメージがはっきりしていないと、他人がどのような意味で一般名を用いているか分からない。そこで、他人が猫と言っていると、自分と同じ意味で言っているかどうか分からないことになる。こうして、コミュニケーションが不可能になってしまう。
一般観念説には、別の批判がある。世界は心の外だというが、心の中だって世界の一部で、例えば、私が猫を見てきわいいと心の中で思ったことも世界に含まれる。そうなると、心の中で形成されたものが一般的だとは限らないことになる。そこで、心の外と中を区分して、個別と一般と分けることは成立しなくなるわけだ。
 このようにして、一般観念説は袋小路に陥る。そこで登場するのがフレーゲの説だ。

2024年2月22日 (木)

野矢茂樹「言語哲学がはじまる」

11112_20240222232401  「どうして言葉は無限に新たな意味を無限に作り出せるのか」という問いを考えるプロセスで、様々な問いが生まれ、それについて様々な例を出しながら考え、そこからさらに問いが生まれ、その繰り返しを重ねる。そのプロセスにおいて、フレーゲ、バートランド・ラッセル、ウィトゲンシュタインという言語哲学の系譜を明らかにしていく。対象や事実があって、それを表わすのが言葉であるという常識に異を唱え、言葉の意味は文脈から成り立つと考えたフレーゲ。それを批判して言葉とは対象を指し示すものと考えたラッセル、それを批判して対象というのは人が言葉という枠組で現れると考えたウィトゲンシュタインという思想のドラマは劇的でもある。
 しかし、何よりも本書の魅力は著者はさまざまな疑問を受け止めつつ、さまざまな例を出しながら少しずつ謎を解き明かしていく過程にある。 だから、フレーゲ〜前期ウィトゲンシュタインの議論を一通り知っているという人も面白く読めると思う。

 

2024年2月21日 (水)

ヴィンフリート・メニングハウス「美の約束」(7)~Ⅳ存在が意識を規定する─外見の良さの人格効果

 美しさと美的評価についてのダーウィンとフロイトの系譜学は、哲学的美学が高度に文化的な人間の能力として分析するのが常だった知覚判断結合の進化にとって、包括的なモデルを提供する。これを規定しているのは、美しさに内在する性的魅力刺激と昇華する力という葛藤であり、美しさによる選択と繁殖成功という太古の連関の中断、いや傾向的にはその逆転であり、それゆえ、人生にとって不安定に揺らぐ価値と曖昧な機能を持つ魅力へと美しさが謎めいた変化を遂げることである。1970年代以降、大量のデータによる検証が試みられた。その結果、美しいとされるのはコンセンサスによる真実という前提に従い、美的判断は形態原理したがって膨大なデータ処理により、判断理由として特定の概念を必要とせずに、快不快率と相関させる。それらが信じられ、共有されるかぎりで、各個人への現実の影響甚大な部分となる。
 外見的特徴は、他者とのちょっとした接触や知り合いになるという状況で、最初の、そしてしばしば唯一の情報である。内発的な外見の評定が本質的二他のあらゆるコミュニケーションを調節する。第一印象の純粋に美的な情報内容は、震源の行動にとって根深い制御機能を持つ。かわいい赤ん坊は、両親から微笑みかけられ回数も多く時間も長い。赤ん坊にとってかわいらしさは、手のかかる新生児にたいする攻撃を効果的に減らし、質的に生存機会を改善するのに有利である。身体的魅力は、人間が種としても個としても進化する上で中心的な適応性能である。逆に身体的魅力の不足は、適応不足や不適応に結びつく。それゆえ、美貌は、決して単に皮相なものにすぎないわけではない。それは人生の機会や人生の履歴を、結局は人格を形成する。外見のよい人は、この世に生を受けてからずっと、その愛想、知性とコミュニケーション能力、社会的上昇と職業的成功のチャンスについて下される判断がその外見と深く結びついていることを、敏感に、そして至るところで経験してきたので、そのような肯定的な属性のすべてを具現化し、実際に期待に一致した神格特徴を発達させる。

2024年2月20日 (火)

ヴィンフリート・メニングハウス「美の約束」(6)~Ⅴダーウィンとカントにおける美的「判断」

 ダーウィンが性的選択の進化論を吟味した結果、次のような物語が生まれた。美的な区別の能力は、傾向的には動物界全体で発達し、それゆえ太古の遺伝として人間に伝えられたものである。その第一の適用領域は、自らと同じ種の身体特徴、すなわち成熟して生殖能力を身体の性的二形性で、その機能は配偶行動と繁殖成功のコントロールである。人間においては、美的判断能力の適用範囲と機能の広範囲の拡散が形成されたる文化的に作られた装飾は、身体の外見を変更し、社会的コミュニケーションの一部となっている。そして、本源的な性的対象からの離反が進んで、美的な判断と性的選択の連関は間接的なものとなり、脆くなる。美的自己描出は社会的コミュニケーションで自己の有利な位置づけに結びつく、一方直接的身体とセクシュアリティーの機能が薄まってゆく。カントに代表される哲学的美学は、美的快を性の快から抑圧的に区切る、対象の純粋に形式的なものを顧慮して趣味の事柄で気にいるか否かの反省的判断を下すのみだという。
 カントによれば、美的判断は快の感情として感じ取れるが、この快の感情は本質的に自己触発である。美しい対象の快に満ちた表象は、決してこの対象に接して得られた快でもその対象のための快でもない。そうではなくて、主観が表象によって自己自身を感じ、自己自身を強め再生産させる快である。それゆえ、行為を動機づける因果性をもっている。この美的な快を感じる主観を、自己の能力の自己再生産的な興奮の状態を保持するように努める。人間における美的選好は、性的身体に限定されるものではなく、むしろ付加的に多くの文化的事象による記号的コミュニケーションをコントロールする。一度だけの快の絶頂を避けて、自動的に自己更新し、継続する。
 ここで、前にもどってⅠ「美しさのために」─アドニスの栄光と悲惨 に戻ると、そこで語られているアドニス神話のさまざまなモチーフ―「純粋」で「空虚」な美しさ、「欲望されるもの」であり、構造的に弱者の立場であるということ、ナルシシズム的な自己充足性、ファルス機能の減退と脱セクシュアリティの傾向、そしてその「早世」―は、ダーウィンの美的淘汰論やフロイトの仮説との関連で繰り返し登場する。たとえば「欲望されるものであること」はダーウィンの進化論によって「驚くべきやり方で裏書きされる」とされ、「脱セクシュアリティの傾向」は「進化生物学的な「物語」から完全に抜け落ち」ながら「人間特有の美の効果という「物語」において不可欠の地歩を占めている」と評価され、アドニスの死はリビドーの「自殺的な昇華」をめぐる「フロイトの思弁を立証する物語」として再読される。さらにアドニスの形象は「自己保存の懸念をも度外視する」男性の美貌病理(「アドニス・コンプレックス」)として現代に対する病理学的診断を裏付けるものとなる。

2024年2月19日 (月)

ヴィンフリート・メニングハウス「美の約束」(5)~Ⅳフロイトの仮説─人間の美しさの根源的な文化性

 フロイとは美について「美の派生が性的感覚の領域からである」と言っているが、この点でダーウィンの進化論的な立場に立っている。すなわち、性的選択は対象を美的基準に従って区分する。その基準の発生源には嗜好がある。フロイトとダーウィンは出発点は重なるがそこからの結果は大きく異なる。フロイトは美しさというものは性的興奮を刺激するものからきているが、我々は性的興奮を呼び覚ます性器そのものを美しいと見なすことはできない、と言う。このような二律背反的は人間に特有のものである。クジャクのような場合と違って、性器がある特定の外見をしているために人が美しいと呼ばれることはない。フロイトにとって美しさというのは、セクシャリティという目的のための媒介的な機能である。もし、人間の性器そのものが美しいのであれば、性的興奮と美的興奮は一致する。しかし、両者の間には亀裂がある。そこから美的なものの機能的固有価値と美による昇華の可能性が開ける。その可能性とは、性的興奮が美しくない性器に走ることを、二次性徴と身体の全体像に喚起される美的快が阻む場合である。その時、性的生殖はダーウィン的な機能を停止し、繁殖成功を妨害し、高次の文化に味方する力に転じる。そこに美の自律化の道が開ける。フロイトはクジャクの飾り羽と人間の肌の裸出との間には断絶があるという。裸出した肌への進化は、それと並行して被服の文化がなければ、なしえなかったし、少なくとも生存不可能だった。そこで性的なものが文化的秘匿を義務づけられることになる。クジャクの飾り羽のような可視的なものと人間の肌のように衣服により秘匿され不可視なものの差異は、パートナー選択に新しい状況を生み出した。想像的なものに隠された部分を補完する役割が割り当てられたからである。その結果、性的身体の美しく魅力刺激するものが部分的に想像界へ転移させられることになる。これにより、美的魅力が性的目標を直接追求することから外れる可能性が生じた。人間の性行動は、動物とはカテゴリーが異なり、秘匿する被覆という並行する身体像の想像化に縛られている。
 羽や毛皮が裸の肌と人工的な被覆の二元性となることにより、装飾的な性的記号システムは身体固有の魅力刺激と人工的な補完へと二重化し、それが美的淘汰の構造変化を起こした。オスのクジャクは、メスのクジャクがどのような基準で選択するのかを知る必要はない。オスが必要なのは、飾り羽を持つことだけである。オスはそれ以上の変化を加えることができない。これに対して、人間の場合は、人工的に自らを飾るのであり、異性の嗜好を知らないといけない。そうでなければ、装飾理苦労は効率が悪いし、進化的安定化もできない。異性の視線、自分の身体のハードウェア、つまり見える装飾だけに効果があるだけでなく、ソフトウェアにも組み込まれる。精確な自己観察が求められるばかりでなく、異性の美的選好も知られ、自らの装飾実践の自己統御に利用される。そこで、選択された対象の側に、美的選好と自己観察、自己産出の間に精神的なフィードバックループが生じる。こうして、美しい対象の自己観察は多様な新しい美の効果を開拓することになる。フロイトは、それをナルシシズム的な自己愛と呼んだ。
 たとえば、人間は二足歩行をすることにより身体を直立させるようになる。そのことは、四足歩行において鼻が、相手の性器の高さに位置し、嗅覚により性的刺激を得るメカニズムから離れることを意味する。それは、視覚による遠隔からの刺激の比重が相対的に高まる。二次的な性装飾の視覚的な魅力刺激は、条件反射の力を弱めることと引き替えに相対的な恒常化を果たしている。性的な刺激に比べると、美の享受が提供するのは、穏やかに恍惚とさせる感覚の性質となる。それは性的な結合に移行しなくても、自己充足的にも享受でき、文化的な成果を促す刺激の機能となっていく。フロイトは、ここに文化プロセスの始まりを見ている。性的目標に到達するため、美に対する人間の欲望は、必ずしも目で見ることから始まり、手で触れ、臭いを嗅ぐことを経て、ついには性的合体へと結びつく必要はない。欲望は美の領域全般を超越化する。美しい身体への美的な快は、性以前のもの、極端な場合は非性的なものとなる。美の快が強力で純粋であればあるほど、そして対象が美しければ美しいほど、関心が性器から全体の身体形姿に移る。美の快は性的に興奮させる質とは無関係に、本質的に昇華された快でもある。この昇華は、美的知覚の新しいもの、人間独自のものである。美の志向は、人間の文明化全般の巨大な力の一つとして規定される。
 ダーウィンは、人間が美しさに向かって遺伝的に発達することを、人間が未だ一夫多妻制の集団で生活していた原始時代の現象と考えた。文化と一夫一婦制が進歩する、それとは逆に、種として美しくなるための可能性が消えると見ている。フロイトの思考はここから始まる。彼は人間の身体を、最初から被覆と直立歩行と嗅覚を刺激する性分泌液の価値下落によって文明化されたものとして見る。この美の主要機能は、相変わらず、配偶機会を増大させるままだが、子どもの数の量的な最大化とは結びつかない。最も美しい対象は、自己充足に向かう傾向により、脱セクシュアリティー化を促進する。

2024年2月18日 (日)

ヴィンフリート・メニングハウス「美の約束」(4)~Ⅲダーウィン以後の魅力的な容姿の進化論

 ダーウィンの後の新しい進化論は、1970年代に身体的魅力の経験的研究が行よれることによって進展した。
 まずは、ハンディキャップ説。この説によれば、性的装飾の発達は適応度テストである。例えば、巨大な尾羽による制限にもかかわらず生き延びたクジャクのオスは、それによって優れた生存資質を示したことになり、それゆえ繁殖にとって高品質であることが明らかになる。肥大した尾羽というハンディキャップは、性的装飾のやっかいな付随減少ではなく、むしろ逆で、ハンディキャップのために装飾があり、それが増大的に固定化するプロセスがある。装飾という無駄のコストを費やしても、それを克服できるほどの卓越した適応性を表わしている。このハンディキャップ説は、ダーウィンの自然淘汰と性淘汰の区別を実用選択と信号選択の区別として再定式化している。役に立つ身体変異の選択は、直接に生存能力を高めるが、それに対して、信号の選択は、部分的な自己障害という回り道を選んである種の質を表示し、その質が表示に必要なコスト以上に多くの利点ほもたらす。
 この説を人間の場合に当てはめると、例えば女性の乳腺の周囲に発達した装飾的な脂肪組織は、至高の資源豊かさの顕示だ。若い女性がその胸を成長させていく時期に食物に不足しなかったことを示している。エネルギーを胸と腰の皮下脂肪に無駄遣いしたにもかかわらず思春期を耐え抜いた女性は、その装飾が大きければ大きいほど、それだけ卓越した一般適応度を証明している。ただし、それなら肥満体形でも同じことがいえるわけで、そこに恣意性があることを否定できない。それが美的評価と言えるかもしれない。
 また免疫学的観点からの説もある。個体群の寄生被害の度合いと性的装飾の度合いとの間には相関関係があるという。その結果、性的装飾は、有機体が自らの発達を阻むものすべてに勝利したことを伝える信号ということになる。美しければ美しいほど、彼らの免疫システムは無傷で、完璧な対称形の身体特徴を作り上げようとしている形態形成プログラムが、有害な変異や環境条件が発達を阻むべく繰り出すストレスや障害に屈することなく実行される。その美しさは、それゆえ発達安定の指標であり、有機体の厳しい宿命に打ち勝った勝利を知らせるもので、負荷が大きいほど、それに打ち勝った凱旋は大きい。人間の身体において、美しさと寄生抵抗および免疫力との相関関係は、とくに二つの魅力特徴に適用される。肌がきれいであることと顔や身体部位の対称性である。吹き出物や傷のない肌は臓器疾患から免れている表れであり、日々の美容努力の結果でもある。免疫学説は、美しさを特定の病気にり患しておらず、それらの病気に対する抵抗力が高いという信号を発する否定的な健康記号として取り扱う。それは性的生殖力の直接の表示にも関わっている。女性の美しさは、繁殖帆テンシャルの外面表示、すなわちストレートに数多くの子孫を約束する積極的な健康記号ということになる。しかし、きれいな肌の女性や対称性のプロポーションの女性が多産ということはデータでは検証できない。
 これらの説は創造力豊かな大胆な仮説に走る特徴があるという。
 これらがダーウィンと共有している基本前提は、今日の文化的状況のもとでは大きな制約がかかる。人間は、自らが次々と作り出す環境に、もはや圧倒的に自然適応ではなく、知性に裏付けられた文化適応だけで対応するので、遺伝子的に固定された原始の行動モデルは、変化圧から解放されているため、かつての適応性をすでに失っていても、それだけ妨げられることなく存続できる。これに対して、個別的に行動の遺伝子決定論があるということではない。これらの適応は、文化的に獲得された全く新しいメカニズムと並んで、それと無関係に作用し続けるか、あるいはうまく統御されたり、それどころか禁止されたりする、少なくともその本来の水準で新しい水準で上書きされない限り、それは残っている。原始的気質と過激に変化した文化環境の構造的な同期化は、人間のセクシュアリティを動物界の事象から原理的に区別する。19世紀以降、西洋諸国などで出生数と乳児死亡率が激しく減少し、社会的地位が高く、教育水準が高ければ、子供の数が少ない傾向が見られるようになった。これを、クジャクのモデルとは正反対の結果が生じる。美しさは構造的に子供の数の減少と相関している。ここでは性的装飾にかかるコストが制限的資源の役割となっている。多かい社会的競争と高いファッション支出は、正統的なクジャクモデルに従えば繁殖成功を増大させる手段であり方法であるが、その元来の目的に対して自立し、目的のために必要な資源を文字通り費消する。ファッション関係の支出は、近代化とともに増大し、それゆえに子育てに必要な尽力と資源との競争が激化する。ということは、近代的な人間の文化条件において、増大した美しさ指向は、選好による自己継続を妨害し破壊する。

2024年2月17日 (土)

ヴィンフリート・メニングハウス「美の約束」(3)~Ⅱファッションの従った進化─ダーウィンの美的淘汰論

 ダーウィンは『人間の進化と性淘汰』の中で、美的な身体「装飾」についてと「嗜好」と「美の感覚」が性的身体の進化に対して持つ選択機能について論じている。ダーウィンといえば『種の起源』で唱えられた生存競争による自然淘汰が有名だ。環境に適応できたものが生き残る自然淘汰だが、自然淘汰説では説明できない生物界の現象、主に生存競争にとっては不利あるいは無意味に思えるような美的現象を、『人間の進化と性淘汰』で論じている。例えば、クジャクのオスは尾羽が肥大化し、美しい装飾のようになっている。しかし、これは生存という効用でみれば、機敏な動きの障害となり、外敵に襲われた時に逃げにくい。常識で考えれば生き残りにくい。つまり、ダーウィンが特に注目するのは、美しい装飾が身体を鈍重にして逃げ足を遅くしたり、あるいは派手すぎて敵にとっての視認性を高めたりと、生存競争において不利にはたらく事例があるということで、これは、自然淘汰説からは逸脱している。このようなオスの身体の形質を説明することはダーウィンの「難題」であったが、これを「美は解決する」。自然界においても美は死の危険を伴うものなのだという。
 しかし、尾羽が大きく、より美しいオスがメスから交尾の相手として選ばれる。そういうオスの子供が、大きい尾羽を受け継ぎ、それによりメスに選択され、その積み重ねが尾羽の大きいオスが大きくないオスを淘汰していく、という自然淘汰に反するという現象。何よりも、クジャクのオスは、生存の危険という高いコストを払ってまで、大きな尾羽という美を獲得しようとするのか。それは、このケースからメスへの求愛において勝ち残り、たくさんの子を残すことになるオスが持つ有利さは、長い目で見ると、外的な環境に対して完璧な適応をすることによって得られる利益よりもむしろ大きいのだということになる。性淘汰説はこのような闘いで他のオスむに勝つことよりもメスを惹きつける力を持つことの方が重要である、ということを言う。
 そうすると、クジャクのオスはメスに選ばれて、惹かれることが重要ということだから、選択するメスがオスをどのように評価するか、それゆえオスの評価者としてのメスは優れた美的感覚を持ち合わせているはずである。この場合、選択の動機として美の知覚は常に価値づけの契機であるということ。つまり、装飾を見るということは、価値評価に飛び移り、装飾の持ち主に対する態度を決める。端的にいうと美は同時に善であると言えるわけだ。この場合の善とは、性的な装飾が配偶相手の選択と生殖の成功のための利点であるということだ。装飾は、世代を超えて生き残りの利点をもたらすという我だ。ダーウィンは、このようにして性淘汰は自然淘汰に重なることになるという。
 ダーウィンは、このような配偶の選択における装飾の習慣は人間社会にも当てはまるという。いわく、苦労して身を飾り立てる習慣は、その内容は多種多様に異なっていても、普遍的に見られる。その価値は大きい。というのも、生存のためには役に立たない習慣が、時間や費用や痛みといった犠牲を払ってまで維持され、発展したから。そして、この自分自身を飾り立てることの一般的なモデルを求めることができる。つまり、何が魅力的かということに関して、個人や文化によって違いはあっても、その間に共通した核がある。歴史的にも古代ギリシャから今日まで、顔や身体のプロポーションの、特に肌の色や髪質などについての評価は、ほぼ一致してきた。例えば、かつては全身を覆っていた体毛を取り去ることであり、女性の細いヒップと張り出したヒップと張り出したバストである。そして、これらは自然淘汰の観点からは無駄であり、有害にもなり得る。体毛の除去は耐寒や皮膚を守る機能の放棄であり、このような体形の女性は運動機能を犠牲にしている。それにもかかわらず、そういう嗜好を、他の個体との差異化のために強化していく。このような傾向は、ダーウィンの性淘汰説の説明と重なるのだ。
 しかし、このことを逆から見れば、女性が体形をエスカレートさせていくというような傾向は、魅力的な美しさの絶対的標準はないということでもある。もし誰もが同じ鋳型でつくられヴィーナス像のようであったとしたら、美などなかった。人は、そんなときは、変化を求める。その変化が得られた途端に、標準を少し超えて誇張した特徴の女性に惹かれるものだ。ダーウィンのモデルは次のような物語を含んでいる。最初はクジャクのオスとメスの間に大きな違いはなかった。それでも、メスはいくつかのオスに他のオスよりも長く強い色彩の尾羽があることに気づいた。メスが繁殖期に複数のオスから相手を選択する機会を得たとき、目立つ個体を優遇することが多かった。目立ったオスの個体は遺伝性の身体的形質を平均以上に次世代へ伝えることができた。尾羽の相対的な誇張をメスが選ぶことは、世代を重ねるたびに、だんだんと基準価値を釣り上げて、極端になっていった。装う側と評価する側の両者によるフィードバックループが生じ、特徴の共進化が自然的な適応に比べて速く進行する(ランナウェイ淘汰)。それをまたメスが選択するという相互の押し上げにより、とうとう豪華な飾り羽という完成態に遺伝的に定着したのだった。それは日常生活では有益ではないものの、メスを興奮させ魅了するという重要な働きを成し遂げる。嗜好により選択するということは、決して対象を美的な基準に従って区別するだけにとどまらない。それがむしろ原因となって、選好性に一致した美しさが対象に形成され、増進的に強化されるようになる。
 この場合、オスのパターンは納得できるが、メスが選択してフィードバックループに参加する理由はどうなのか。進化論的な説明はこうだ。たとえ、不合理なほど奇抜なオスでも、そこから子供を授かるかぎり機能する。つまり、その子供は母親から美的選好を受け継ぎ、性的に優遇される子供を産むことによって、フィードバックループに参加する。
 また、このフィードバックループではオスの側が能動的に求愛するために装い、これに対してメスは受動的で、ただオスを選択するという差別的な構造をしている。オスはメスを選択するのではなく、求愛する。メスは求愛してくるオスのなかから選択する。オスがメスを配偶の気分に駆り立てるためには、広げられた飾り羽があるだけでは、他のオスではなく自分というオス選択してはもらえない。メスはそこで競合する様々な飾り羽の違いを細かく比較する。そこに美の差別化の契機がある。このようなメスが求愛されるのはオスの生殖細胞に仕える役割のためであり、同様にオスが選ばれるのも、メスの投資が失敗しないように、種に固有の期待の範囲内でどれだけオスが寄与できるかによってである。すなわち、どちらの性も、自らの繁殖成功のために他の性からできるだけ大きな寄与を得ることを目的としている。あるいは、逆に言えば、どちらの性にとっても、子ども一体にかける自らの消費を最小化することによって、それだけたくさんの資源を次の子どもたちのために残しておくことが経済的なのだ。
 しかし、このようなオスの熱心さとメスの選り好みという図式は、人間には当てはまらない。装う側と選択する側という分化がなく、オスもメスも装う。そしてまた、人間の場合、女性がより美しい性とみなされるが、だからといって女性がより強く求愛する役割を担っているわけではない。これは、ダーウィンの性淘汰説が当てはまらない。それは、人間が文明社会を形成するようになったからだという。オスとメスの双方が性的な魅力特徴を発達させ、双方が美しい相互性において選びもし、選ばれもする。その制度的な現れが一夫一婦制のシステムだ。これは、性淘汰が美しさを増強するシステムを制限する。実際に、美男や美女が、そうでない者に比べて、より多くの子孫を残しているわけではない。文明化に伴い、人間の場合、美しさによる選択が無力化してきている。性淘汰のシステムが機能するのは一夫多妻制の場合だという。
 このように美しさが選択における優位さでなくなったのは、人間が知性を持ったからだ。知性が身体に代わってあらゆる適応性を全般的に引き受ける。有利な身体的変異を発達させた個体がそれをしない個体よりも生存が有利になることによって成り立つ身体変異の淘汰は消失する。人間の環境は人間自身の手で作り変えられるようになるが、人間の身体が加速する環境変化に適応的な遺伝変異のメカニズムにより対応することは見られない。遺伝的変化には数百年の年月を必要とするが、文明の変化のスピードはずっと速い。

2024年2月16日 (金)

ヴィンフリート・メニングハウス「美の約束」(2)~緒論

 「美」は、多くの言語において、何よりもまず傑出であり、外見の抜きん出た魅力を意味している。「美」は理論的に美的評価の中心特徴であるばかりではない。その知覚それ自身が、積極的な感覚質を持っている。美がどこに客観的につなぎ止められても、その知覚には情動的な次元があり、それは主観的に美的快として感じ取られる。美はそれゆえ内在的にそれ自身が報酬となる。さらに、美には行為を動機付ける力がある。それによって接近行動を喚起する。性的身体において、接近の目標は、しばしば単なる観察の快楽にとどまらない。芸術作品やその他の美しい対象の場合、あらゆる種類の美しい対象を他のものよりも優遇して長く鑑賞し、何度も繰り返して見ようと試み、場合によっては入手しようとすることに行為の帰結がある。
 美しいものへの快は常に単なる感官の情動以上のものである。それは感官の知覚を認識的な働き、情動の占拠、実践的な行動結果と結び付ける。それゆえそれは、カントにとってわれわれの全能力の卓越した共働作用の方法である。判断という契機、見たものや聞いたものの評価という契機がなければ、われわれは知覚した対象に「美しい」という称号を認めることはないだろう。そしてこのように知覚と判断が結びつくことによって、同時に可能的な接続行為が統帥される。そのような認識と情動と実践の内包するものがいかに違っていようとも、それは美的知覚に固有の反響空間を構成する。この反響空間こそ、美から発せられて観察者にその魅力を根拠づける約束の地平の範囲を限定するのである。この約束には歴史がある。それどころか、自然史と原史もある。この研究は、この約束の基本規定とその歴史の重要データを調査する。
 そこで本書が注目するのが進化論である。進化論は、動物における「美的」パートナー選択という広く知れわたった現象に対して、次のような説明を見出した。特に魅力的な性的「装飾」を持った個体が好まれるのは、それと配偶すると、選んだ動物に豊富な子孫の自己継続を約束するからである、と。美的判断力は、それに従えば、可能的な性的パートナーの記号に裏付けられた「評価」として形成された。その機能とは、異性の「美」を、いかにして自己繁殖の成功を最大化させるかという鍵となる。
 人間でも美しい身体の魅力は誰にも説明する必要はない。それにもかかわらず、いかなる論理に従ってある種の魅力指標が進化の中で選択されるのかは大いなる謎である。スタンダールは美の約束を幸福の約束と名づけた。それが本書の題名の由来だろう。

 次の、Ⅰ「美しさのために」─アドニスの栄光と悲惨では、ギリシャ神話のアドニスという美少年のエピソードについての考察が延々と記述される。そこで、私は戸惑った。緒論と別の話をしている、と。実際、実質的な本論としての議論はⅡから始まる。このⅠは、ギリシャ神話の知識がなかったり、こういう芸術談義に慣れない人は、スルーしてⅡから読み始めた方がいいと思う。そして、いったん最後まで読み通してから、ここに戻ってくると、本書で語られている内容がアドニスの神話から見出すことができるのに気がつくだろうと思う。

2024年2月15日 (木)

ヴィンフリート・メニングハウス「美の約束」

11114_20240215232501  10年前に読んだ本の再読。とは言っても、最初に読んだことは全く記憶にないので、初めてよむのと同じだった。伝統的な美学は、花やギリシャ彫刻の美しさについて饒舌に語る一方で、自然美や身体美と不可分であるはずの<性>という領野にたいしては徹底して冷淡であった。伝統的美学の対象から除外されていた、容姿や身体、ファッションにまつわる美を、本書は敢えて対象に論じる。そして、この<不純>な美的対象を解明するにあたって著者が考察の中心に据えるのが、これまでの美学理論がまったく論及することのなかった教説、すなわちダーウィンの進化論とフロイトの性淘汰説にほかならない。例えば、クジャクの尾羽が発達した飾り羽は、たしかに美しいが、話して生存に適しているのか。重く目立つ尾羽は天敵に見つかりやすく、見つかったら逃げるのに邪魔になる。しかし、目立つことでメスに注目され、より多くの子孫を残すことができる。このことは人間にも当てはまるのか、というと。クジャクでは美しく身体を飾るのはオスであり、メスに選ばれるために飾る。人間社会では、むしろ、美しく身を飾るのはメスの方であって、動物とは異なる。だからといって女性がより強く求愛する役割を担っているわけではない。これは、ダーウィンの性淘汰説が当てはまらない。それは、人間が文明社会を形成するようになったからだという。オスとメスの双方が性的な魅力特徴を発達させ、双方が美しい相互性において選びもし、選ばれもする。その制度的な現れが一夫一婦制のシステムだ。そのことが、さらに進展していくと、身体の美そのものを性的なものと切り離して、純粋な美として称揚する、例えばギリシャ彫刻のようなものが現われてくる。そのシンボルを本書ではギリシャ神話の美少年アドニスのエピソードに見る。これって、24年組の少女マンガが好んで描いた少年愛のモチーフ、例えば「トーマの心臓」や「風と木の詩」を論じたものと重なる気がする。

2024年2月14日 (水)

稲葉振一郎「不平等との戦い─ルソーからピケティまで」(1Ⅰ)~第9章 ピケティ『21世紀の資本』

 ピケティの『21世紀の資本』の論点は次のようなものだ。第一に、ピケティは人的資本の中での格差より、むし物的資本を持てる者と持てない者の格差の方に関心を集中させる。彼は従来の研究者が上位10%の富裕層の動向に注目して所得格差の主要因は大企業のトップ経営者の報酬に見られるように、労働所得の拡大であると論じていたところに、上位1%の富裕層に注目するならば、資産所得のシェアの急激な拡大は目を見張るものであると指摘した。第二に、人的資本に注目する潮流は、「クズネッツ曲線」的な歴史観に対して親和的だった。すなわち、市場経済のメカニズムそれ自体は、格差を拡大するとも縮小するとも一概には言えず、状況次第でいいろな可能性があるという。これに対してピケティはクズネッツ曲線それ自体に大きな見直しを迫った。クズネッツ曲線の背後に一貫した経済メカニズムや生産技術の発展傾向ななどがあるとは考えないで、市場経済は格差を温存ないしは拡大する傾向にあると考える。20世紀半ばの先進諸国での所得格差の縮小は、成長における人的資本のウェイトの拡大の成果であるという1990年代の不平等ルネサンスの考え方を批判する。彼は、これは純然たる政治的な力学の結果だという。20世紀前半の二つの世界大戦とその間の長期不況が、労働者大衆の戦時動員、戦争協力への対価として、また不況や戦災からの復興の一環として、本格的な福祉国家体制を西側先進諸国にもたらした。それ以上に重要なのは、このような福祉国家的政策を支える政治的意思決定中枢に、労働組合や労働者政党が組み込まれていったことだ。第三に、ピケティは20世紀におけるインフレーションの展開を重視している。インフレーションは資産価格を大幅に減価させることを通じて、分配の不平等を改善することに寄与したという。インフレーションは貨幣が大量に供給されて物価が上がるという現象が続くことだ。これにより貨幣価値は下がる。ここで重要なのは、借金、お金の貸し借りという債権債務関係において、インフレは借金の実質価値の目減りを引き起こして、債務者の返済負担を減らす。ここで、貸し手である債権者、つまり資産家や投資家から借り手である債務者へと所得移転が生じる。そして、最後に利子率>成長率という不等式は、理論的に必然的な法則性などではなく経験的に善く見られる傾向だということ。歴史的にみれば常態と言える。それが例外的に利子率を成長率が上回ったのが20世紀という時代だった。中でも目覚ましかったのが第二次世界大戦後の先進諸国の高度成長と、その後20世紀末のNIEsのような新興工業国の事例だ。これらの高度成長はインフレーションと合わせて相対的な格差の縮小、それ以上に絶対的な貧困の克服に大きく寄与した。戦後の西欧や日本の高度成長は、戦後復興、つまり戦争によって破壊される前への原状復帰を初期局面として含んでいたため、つまり物財や人命は失われても、知識・技術・システムは失われていなかったから、速かったのは当然だった。

稲葉振一郎「不平等との戦い─ルソーからピケティまで」(10)~第8章 不平等ルネサンス(3)─資本市場の完成か、再分配か

 これまで、モデルで考えてきたが、現実には、資本はある人のところにはあり、ない人のところにはないというように偏在している。そこで三通りのやり方が考えられる。
 ひとつ目は、成り行きに任せて、各自が鋭意努力して資本蓄積をしていくに任せるというもの。資本市場がない場合は時間がかかるし、あてにならない。。二つ目は資本市場を完備させることで、いったんできてしまえば即効性があるが、銀行や株式市場などの制度を整備させるのは相当大変で、現実の経済によっては不平等の改善に役立たない場合もある。三つめは、国家権力が出動しての無財政的な再分配政策で、その方法として資本、しさんそのものを再分配するやり方と所得や消費支出等のフローを再分配するやり方があるが、前者は革命となってしまうので、後者ということだが、相応のコストがかかる。
 現実には、二つ目と三つ目ということになり、そうなると前章のモデルの資本市場が欠けた場合の発想にたつ議論となる。つまり、不平等と低成長を克服するため戦略として、資本市場の改善か財政的再配分かの方向性が出てくる。技術革新が持続してプラス成長の定常状態がある一方で、資本市場が欠如しているか、著しく弱い場合には、資本の分配の格差の縮小傾向が弱く、かつ、初期における分配が不平等であればあるほど、長期的な生産水準も低くなる。資本市場がなく、資本の分配が不平等であればあるほど、資本の社会的な利用効率は悪く、社会的な総生産は低くなるので、定常状態においても初期の不平等の悪影響が解消されず、持続してしまい、そこでは分配と生産の分離が成立しない。これはかつての古典派の想定とは逆の不平等な方が生産力が低下し、成長率が悪くなるという結論になる。このことは、逆に資本市場の不在が原因ということになると、これに対しては資本市場の改善という戦略の有効性が強調されることになる。何と言っても財政的再分配は市場の外側からそれを歪める財政介入であり、社会的生産拡大という観点からは悪手だからだ。公平よりも効率、平等よりも生産の最大化を政策目標として重視するのであれば、ベストの対応は市場の整備ということになる。
 しかし、ピケティたち理論家はこの立場をとらない。彼らの多くは、先進諸国の格差の主要部分を賃金格差、労働所得の格差とみなし、物的・金融資本からの所得の格差、資本の所有それ自体における格差、そして資本を所有する人所有しない人との格差を二次的なものとみなしている。人的資本に対する投資は物的資本に対する投資よりも市場的な取引が格段に難しいと考えているからだ。というのも人的資本は、あくまでも人の能力であり、知識や情報としても人が使いこなすものとしてあるものだから、その所有者から切り離して「もの」として流通させることができるものではない。人的資本については奴隷制でもないかぎり丸ごとの売買市場はない。賃金は労働という商品の価格というよりも、人的資本のレンタル代と言える。これに加えて、人的資本に対する投資コストファイナンスするための市場、例えば教育訓練費用を融通する(学費ローン)市場というものは考えられる。このような人的投資には強い不確実性と外部性が存在するために、人的投資特有の不確実性を克服する、より洗練された資本市場を構築するという戦略よりも、政府による強制的再配分によって費用負担能力のない人々にも教育訓練を給付するという戦略の方が、結果的には効率的な人的資源の活用、社会的生産力の最大化、より高い成長をもたらしうる、という議論が成り立つ。その一方で、彼らは1990年代に、政策的に再配分公教育が有効でありうるという政策論だけでなく、効果的な再配分政策が政治的に選ばれ、成長を生むことは可能だという政治論にまで踏み込んでいる。

2024年2月13日 (火)

稲葉振一郎「不平等との戦い─ルソーからピケティまで」(9)~第7章 不平等ルネサンス(2)─成長と格差のトイ・モデル

 一つのモデルとして規模に関する収穫一定の生産技術の下での、労働能力において全く違いがない自営業者からなる経済を想定する。そこでは、手許で使用する資本の量がすべての事業者、すべての主体の間で等しくなる場合に、最大の生産量が達成される。というのも、まず社会的に見れば既に存在している資本と労働のすべてを使い尽くす(完全雇用)ことにより、最大の生産量が達成されると考えられるからだ。しかし、駒想定の下でそれが達成されるためには、各事業者の資本-労働比率が、経済全体での総資本と総労働の比率に一致していなければならない。ということは、各事業者の手許にあって生産活動に投入できる資本の量が等しくなければならない。実際には、ほとんどの事業者はそうはならない。そして、ポイントは資本に関する収穫逓減のおかげで前者の生産高が平均を上回る度合が、後者の生産高が平均から下回る度合いを相殺するには足りないのだ。それは、1人当たりの資本が増えるほど、その生産性は落ちていくからだ。平均以上の資本を持つ富者にとっては、自分の資本を全部自分で使うのが私的に最適だからで、このような非効率は、大体において資本の分配が不平等であればあるほど大きくなる。このモデルでは、少なくとも短期的には、分配が生産を規定している。
 そして、これが時間の流れの中でどのように展開するか、資本が蓄積されていけば、それぞれの経済主体、人々の所有する資本や経済社会全体での総資本の量も増えていき、その時々の資本─労働比率も変わっていく。
 このモデルでは主体の長期的な生活設計とそれに基づく行動を想定している。投資とは手持ちの財を今すべて消費してしまわず、将来に備えて取っておく、あるいは将来使えるものに変える。ここでは、経済成長を、ある程度長い期間を生きる主体が、その日その日の目先の利益ではなく、ライフサイクル全体での利益を最大化するように行動することにより実現されるプロセスと捉えられる。手持ちのお金を今消費してしまうか、貯めておいて1年後に使うがという、異時点間の選択をモデル化すると、それは将来の選択肢の現在価値を考えて、今現在の選択肢とその価値の比較を可能にするというものである。ここでの現在価値を算出するときに割引率が使われる。単純に考えれば、今確実に実現可能な選択肢の方が不確実な将来の選択肢よりも重視される。借金に利息がつく理由もそこにある。この場合の割引率は利子率に対応する。だから、収益率が割引率を下回るような投資は、やる価値がないと判断される。
 資本に関する収益逓減が成り立つということは、投資の収益は最初の内は高いが、資本が蓄積されるにつれて下がってくるということ。資本の収益率が割引率を下回ってしまうと、それ以上さらに投資することは利益を減らしてしまうに至る。これが資本の限界生産性である。
 このモデルでは資本所有の多寡以外に人々の間に違いはないと想定しているので、すべての人々の割引率は等しいということになる。
 このモデルで、資本市場が完全であれば、市場で決まる利子を支払えば足りない資本を借り入れられるし、自分には用のない資本を貸し出すことができるため、資本所有の不平等が、短期における資本の効率的な利用の妨げにはならないことになる。これに対して、資本市場が欠けている場合は、資本の貸し借りができないので、人々は手持ちの資本をフル活用せざるを得ないが、それはこれまで述べてきたように非効率となる。長期的に見て、資本蓄積の最適な水準は資本の限界生産性と割引率の一致点だが、それまでは投資していくことが利益になる。最終的にもともとの資産格差は保存される。これに対して資本市場がない場合は市場で行われる調整が一人一人がバラバラに行う。
 そして、このモデルになかった技術変革による総要素生産性が持続する内包的成長の下での所得と分配を考えてみる。技術革新は私的利益を目指す合理的選択をした結果であることを理論化しようとするモデルは1980年代後半から研究され始めた。
 新規さ牛が新しい知識・技術を伴い、かつそうした知識・技術が当の投資の主体以外の人々にもスピルオーバーして、社会全体で総要素生産性が向上してプラスの成長を定常状態として引き起こすというモデルを作ると、そこでは投資が個々の経済主体のレベルでは資本に関する収穫逓減が成り立っているのに、全体社会、総資本のレベルでは資本に関する収穫一定が成り立っているのである。となると、社会全体の資本の限界生産性が一定で下がることがなく、それゆえ、割引率と一致することがない。

2024年2月11日 (日)

稲葉振一郎「不平等との戦い─ルソーからピケティまで」(8)~第6章 不平等ルネサンス(1)─「クズネッツ曲線」以後

 「クズネッツ」曲線(逆U字曲線)とは、経済史上に見られる傾向で、人々の間の経済的不平等、例えば収入や所得分配の不平等は経済発展とともに拡大していくが、しかし、そのペースはいずれ緩やかになり、ついには逆転する、というもの。1950年代にウクライナからアメリカに亡命したクズネッツが提唱した。この時、アメリカは高度成長、大量消費の時代で、ヨーロッパや日本は、この後、本格的な高度経済成長に突入し、格差の縮小に向かっていく。格差は解消されるわけではないが、高度成長は底上げの底辺部分まで含めて全般的な所得上昇を実現して行き、貧困問題を不運な少数者の問題にしていった。むしろ貧困問題は国内問題からグローバルな世界規模の問題である南北格差として捉えられるようになる。つれは経済成長が達成されるまでの過渡的な問題として理解され、分配問題というより、絶対的な生産力が足りないという生産問題、成長問題として捉えられた。
 このような状態が20世紀末に変化する。先進諸国やキャッチアップを遂げた新興工業国において国内の経済的不平等が拡大し始めた。「クズネッツ曲線」の予測を外れる事態が起こりはじめた。これらの国では、高度成長がおわった1980年代頃から再び、所得格差の拡大が始まった。
 新古典派経済学では生産、成長の問題を分配の問題と切り離すことで、不平等は問題とされなくなった。この生産問題と分配問題の分離に対する批判は、分配パターンが市場における生成と資本蓄積・経済成長に対して影響を与える可能性があるということを意味する。実証研究において、各国の不平等度と経済成長率との間には、負の相関関係が見られる。つまり、国内的不平等等が変化すれば、その国の経済成長率は低くなる傾向があると指摘されている。そこから、国内の経済的不平等が経済成長を停滞させているのではないか、反対に、分配を平等にしていくことが、成長率を引きあげる効果を持つので゛はないかという議論が起こった。
 すでに見たように古典派経済学では、市場経済における底辺まで含めての所得の全般的底上げの可能性は強調されていたが、貧しい者と富める者との格差の縮小の可能性はそうではなかった。市場経済は不平等な分配をもたらすものであるし、むしろ不平等である方が、資本家に富が集中する方が経済はより成長すると考えていた。そして新古典派はニュートラルな立場で、様々な可能性を検討していた。これらに対してクズネッツ曲線は経済が成長することにより所得の分配は平準化していくと考える傾向だった。それは、市場経済はそれ自体に平準化の力があるという解釈と、市場経済の中で発生する不平等は市場経済とその外側との間で発生する不平等に比べれば小さいという解釈に分かれた。前者であれば、不平等をもたらすのは市場外的要因なのだから、平準化のためにそうした要因を取り除き市場の自由な働きを促進すればいいことになる。また、後者の場合は市場が不平等をもたらすのだから、積極的な市場への介入がなければ平準化は達成できないということになる。このいずれかという方向性ははっきりと決まらなかった。

2024年2月10日 (土)

稲葉振一郎「不平等との戦い─ルソーからピケティまで」(7)~第5章 人的資本と労働市場の階層構造

 古典派・マルクス派の経済学では、どのような財産、生産要素を保有しているのかが人々の属する階級をきめ、行動原理を規定していくと想定されていた。成長問題と分配問題とは不可分というわけだ。これに対して新古典派では、賃金水準が上がり、生存水準を上回るようになれば、当初は財産を所有せず、他人に雇われて労働者になるしかない無産者にも、資本を蓄積する機会が大きくなると考える。それ以外にも新古典派の想定を支えるものとして金融システムの発展をあげることができる。とくにもここでは信用取引を取り上げる。信用取引とは、異時点間取引ということで、例えばお金の貸し借り、Aはある金額を一定の期間経過後に一定の利息をつけて返済してもらうことを条件にBに貸し出した場合、貸し出しの時点と返済の時点、取引の開始時と終了時との間には、時差がある。ここで、Bは約束通りに返済しない可能性もある。Aは、その危険を冒してでもあえてBを信用して取引をする。
 古典派・マルクス派の想定の下では、投資の主体はすでに資本をもち、利潤を新規投資の財源に出来る資本家と地主だけだったが、金融市場が発展し、無産者でも理論的には、金融業者から資金を借り受けて、投資を行うことができるようになる。
 また、投資の大衆化には、株式会社と株式市場も貢献している。古典派が想定する典型的な企業は資本家が同時に経営者であり、会社を丸ごと所有して経営するものであった。ところが株式という仕組みによって、会社を丸ごとではなく、所有する株式の持ち分だけ所有することができ、株式を持つことで人は、会社があげた利益から配当を受けることができ、株主総会を通じて経営に参画することもできるようになった。そこで、無産者も資本家になる可能性が開けるということになる。
 このように、資本・富の分配が問題となる場合、階級間格差から個人間格差へと変化していったが、同じことは労働経済の領域でも言える。かつての資本家と労働者の関係は労働者の集団である労働組合と資本家の側は集団としての業界団体であった。ヨーロッパで19世紀までの労働組合運動をリードしたのは機械工など高度な熟練技能者たちの職能別組合であり、彼らはどこの職場でも通用し、かつ経営者に依存しない自身の技能によって企業の外側に生活基盤を置く存在であった。彼らは現在の職場が気に食わなければ容易に他所に移動するし、自己資本が貯まれば自ら経営者に転じるような存在だった。雇主たちは団結して組織で彼らに対応していた。それが19世紀末以降は、重工業が発展し、大企業が増えてきた時代の労働運動の主役は、巨大企業に対して、その企業の外側にはもはや容易に出られない労働者たちが企業の内側で団結するタイプの産業別組合になる。巨大企業では、技術もまた労働者が自らの熟練職能として支配できるものではなく、企業の経営者や専門技術者に占有され、知的財産となり、機械にともない資本設備とは切り離せないものとなる。そこでは、労働者の技能は職場での固有の経験に依存するところが大きく、職場を離れても通用するものではなくなってしまう。さらに、工場の生産設備が巨大で複雑なシステムと化し、一人の労働者の担う職務はそのほんの一部の断片にすぎず、かつ単純で熟練を必要としないものになっていた。そのような支配の下では、気に食わなければ他所へ行くということを労働者は雇主に言えなくなる。その代わりに、労働者が団結して気に食わなければ働かないというストライキが交渉手段として採られるようになる。それが20世紀後半の経済発展に伴い、伝統的に労働組合が基盤としてきた製造業の工場労働者の比率が減少して、商業・サービスあるいは事務労働者の比率が増えてくると、労働組合も変化する。組合の組織率が低下し、企業レベルでの組織である企業別組合に運動の重心がシフトしていった。これは、労使関係の主導権を握るのが労働者から雇主に移っていったプロセスとしても見ることができる。
 19世末ごろの巨大企業の労働者は長期雇用を志向するようになる一方で、不況などで一旦失業すると再就職まで長い期間を要するようになる。このような状況下で企業の側は長期的に雇って現場の中枢を担う基幹労働者は、景気が悪化しても簡単に解雇しないようになり、代わりに末端の労働者を基幹労働者とは別の身分で雇うようになる。例えば、正規と非正規という区別。そうなると、労働問題は労働者対雇主の対立ではなく、労働者同士の格差・利害対立に移っていく。
 ここまで見てきたようなロジックは古典派・マルクス派経済学によるものだ。これに対して新古典派の立場からは、違って見えてくる。すなわち、人間社会の中で市場が成立していない場面でも、人間は経済学が想定するような合理的意思決定を行うことが多い。それが「人的資本」という考え方だ。人的投資の違いが、その後の賃金、収入や労働条件の違いを生み出すのだという。このような見方をすると、労働市場の階層構造を労働者側の人的投資(訓練費用負担)能力の差によって説明する。これは、新古典派による分配問題と生産問題の分離という方向性に沿ったものだ。労働者間の所得格差は、労働対資本の構図ではなく、労働者間の格差になり、その労働者間の格差は、能力差と人的投資の差によるものとされる。それが意味するものは、第一にそれは資源の活用という効率的なものであり、第二に、その格差を放置しようと、あるいはその格差を修正するたに人的投資の分配を平等にしようと、資本市場が十分に効率的であれば、どちらでも差はないということになる。
 しかし、企業の側からも、そうとはいえない問題が生じてくる。このような労働者間格差は労働者を個人でバラバラなものとして見るものだが、職場の仕事にはチームワークも必要だし、このようなものでは実際の労働者のモチベーションは低いままで、生産性は高まらない。

2024年2月 9日 (金)

稲葉振一郎「不平等との戦い─ルソーからピケティまで」(6)~第4章 経済成長をいかに論じるか

 古典派、マルクス派とは蓄積する富=資本の保有階級である資本家とそうでない労働者階級という質的、不連続に違いに焦点を当てていたのに対して、新古典派は個人の富の保有の量的、連続的な違いに焦点を当てる。そこでは、財産をもたない貧しい労働者であっても、幸運や努力の結果財産を蓄積し、資本家に移行することもありうるので、財産の有無が質的な違いとはならない。
 経済では、フローとストックについて、生産されたものが消費されてなくなるのがフローで、生産されても当面は残る固定資産や耐久消費財のようなものがストックだ。所得とは金銭に換算したフローのことで、所得=生産=消費+投資という関係はストックとしての資本を増やすことになる。富、財産とは、フローでの所得をストックに置き換えた場合をいう。それはまた、労働を除いた生産要素のことでもある。資本主義経済とは、フローとしての消費財サービスだけではなく、ストックとしての資本や土地もまた値段をつけて売り買いする。ストックとしての資本や土地の値段について、古典派は志保も結局は生産されたものだから、総生産コストつまり投入された価値によって決まるという。それに対して新古典派は、資本は現在から将来にかけて生み出すであろう価値によって決まるという。つまり、資本や土地といった富はそれが所得の源泉になると期待されているからこそ、それに対して価値が割り当てられ、値段が付き、日常的には丸ごとの売買よりも、時間決めでの賃貸借の対象となるのだという。古典派では、このような意味での富つまり資本や土地を所有しているかいないかという質的、不連続的な違いが階級の違い、つまりは人々の間での行動の論理の違いを生むものとして想定されるに対して、新古典派は金銭換算してどの程度の富を所有しているのかという量的、連続的な違いが焦点となり、人々は同じような行動原理に服していると想定する。
 古典派の想定の下では、労働者の行動原理が投資志向ではないのに対して、新古典派の想定の下では、誰であろうと、どの階級に属していようと、投資が自己の利益にかなうと判断すれば投資する。古典派は、所得・富の配分のあり方の変化が投資に、ひいては経済成長に影響を及ぼす可能性があるのに対して、新古典派では、富・所得の配分どうであれ、経済紙界全体の富=生産要素の総量が変わらなければ、市場が十分に競争的で人々が自己利益を目指して合理的に行動すれば、富が効率的に活用されて、結果的に生産量が増える。
 そして、もうひとつの新古典派の重要なポイントは収穫逓減の法則だ。技術革新がない場合、出発点において資本蓄積が少なければ、資本主義経済では資本蓄積が進行し、それへと人々を駆り立てる動機は、当初は、資本蓄積をして資本装備率を上げれば、労働の生産性、ひいては生産量が伸び、利潤も増える。しかし、この伸びは資本蓄積が進行するにつれて落ちていく。そして最終的には、それ以上資本を蓄積し、生産量を増やすと、かえって利潤が減ってしまうという限界点に達してしまう。この議論は、ある条件の下では、市場における自由な競争が、富のより平等な分配へと自然に導くこともありうると解釈できることになる。
 以上をまとめると、新古典派経済学の興隆は、成長と分配の関係についての問題関心の衰退を招いたと言われている。しかし、ここまでの議論は、古典派も新古典派も、ゼロ成長の状態に向けて成長のプロセスを描いていて、本来的な意味での技術革新を論じてはいない。それは言い換えれば、現代の我々が問題とするような意味での経済成長、つまりは生産性と生活水準の持続的な上昇を理解することができない。

2024年2月 8日 (木)

稲葉振一郎「不平等との戦い─ルソーからピケティまで」(5)~第3章 新古典派経済学

 マルクスの時代の後、19世紀から20世紀にかけて、ジェヴォンズ、マーシャル、ワルラスのような新古典派経済学が登場する。
 古典派経済学では、土地の価格は需要と供給によってのみ決まるとされるのに対して、資本、労働、そしてほとんどの商品の価格は、長期的には経済全体の生産技術と人々の消費生活の構造により決まると考える。新古典派はこのような発想の逆を行く。古典派経済学は、資本と労働を主役に、経済を生産中心で捉えていたとするなら、新古典派は経済を交換中心で捉える。そして古典派が関心の焦点を資本と労働に置き、その価格形成を生産技術との関連で捉えようとしたのに対して、新古典派では市場、価格メカニズムを資本と労働を大量に投入した生産物の取引をではなく、人間には生産できない土地の取引をパラダイム、準拠枠として捉えようとする。ものに経済的価値が付与され、価格が付けられるのは、あくまでもそれが人によって欲され、取引されるから、つまりは需要と供給があるからだと考える。そこで出てくるのが、「収穫逓減」という発想であり、それを捉えるための「限界分析」という方法である。
 「収穫逓減」とは、たとえば農業を例にすると、一定の面積、一定の環境のもとでの土地に対して、労働や資本を投入して耕作し、農作物を作る場合、より投入を増やせば収穫は増えるが、その増え方は次第に鈍くなる。これが収穫逓減である。したがって、投入を増やした分だけ収穫が上がるわけではない、ということは投入当たりの収穫が段々と減っていくということで。それは、生産費用あたりの収穫、収入、そして利益が落ちていくということだ。収穫、生産が増えていくのであれば、総体としての収入は増える。しかし、それ以上に費用の方が増えていくなら、やがいは、それ以上生産すると利益減り始める限界点に到達することになる。つまり、利益を最大化する最適な生産量が存在するということだ。新古典派、これを農業に限らず、工業にも当てはまると主張する。新古典派は、実は、この理屈は生産者側だけでなく、消費者についてもあてはまるという。新古典派は、功利主義哲学を引き継いで効用という害門を用いて、消費者というより生身の人々の幸福の尺度、行動を導く基準とする。ここでは、人々は自分の効用を最大化する存在とみなされる。この最大化は最適化である。
 新古典派は最適化という行動原理の一般化によって人々の行動パターンの間の階級による違いが平準化される。古典派経済学では資本家と労働者という階級の違いが行動パターンの違いと捉えられていたが、新古典派では最適化に一元化され、パターンの違いは消滅することになる。経済全体が豊かになれば、誰でもが資本家になれるというわけだ。
 これは、マルクスが不平等の捉え方を古典派経済学からルソーに戻そうとしたところを、論点をずらすことにより、改めてスミス的な回答に寄せたものと言える。
また、新古典派のアルフレッド・マーシャルは「労働者階級は紳士になれるか?」という問いに「なれる」と答えようとした。その根拠となるのが「人的資本」という考え方だ。マーシャルは、労働の対価としての賃金で生計を立てる労働者も、実際には多種多様で、中には比較的高度な訓練を必要とする高賃金の熟練労働に従事する人々と、経験や知識を要せず簡単で低賃金の労働者の違いに注目した。その違いを人的資本の違いだとした。つまり、熟練技能を習得するための訓練を、時間と労力というコスト、そして学費や訓練期間中の生活費などのコストを投じる投資だと考えた。熟練労働者と単純労働者の賃金格差は、その能力に由来し、その能力の主因は訓練の有無にあり、そのために投じられたコストの違いということになる。つまり、訓練は労働者の能力を上げ、生産力を上げ、その分け前として賃金を上げることは可能だと考えた。そうであれば、労働者にも資本を蓄積していくことは可能であるし、またそれを経済全体の成長にとってプラスであるということになる。つまり、現に貧困なままの人々を人的資本の蓄積のチャンスなら誰にでもあるのだから、貧困は努力不足という議論につながるおそれもある。

2024年2月 7日 (水)

稲葉振一郎「不平等との戦い─ルソーからピケティまで」(4)~第2章 マルクス─労働力商品

 労働力というアイディア、そして労働力商品という概念は、資本家と労働者の間の不平等を説明するために導入されたものだ。自由な市場における取引は、双方の自発的な合意に基づいているのが普通なので、そこで交換されるもの同士はその限りで等価である。資本家が労働者を雇う場合も同様であるはずだが、資本家は儲けをふやし、労働者は貧しいまま。マルクスは、その理由を労働力商品の特異な性質に求めた。そのポイントは、労働力とは労働する能力、労働がそこから出てくる源として想定されていて、労働の営みそのものとは区別されているということ。マルクスはスミスの「労働」を「労働」と「労働力」を区別し、取引の対象となるのは「労働力」の方だと主張した。賃金は労働の対価ではなく労働力の対価だという。マルクスによれば商品の価格は市場における需給できまるが、長期的にはその生産に要したコストで決まる。そのコストの内訳には支払われた労賃も含まれる。この労働ベースで換算したコストを「労働価値」という。
 労働者の賃金が、彼の生計を支えるに足る水準を満たさないと社会は成り立たない。そこで、賃金の自然的な基準は標準的な家族の生計費にだいたい一致する。それを、マルクスは、賃金は労働力商品の価格である、という。その生計費の内実を考えると、衣食住や教養娯楽に支出するお金ということになる。つまり、マルクスの考える労働力商品の投下労働価値とは、労働者と家族が普通の暮らしの中で購入し消費していく商品総体の投下労働価値ということになる。そして、マルクスが言いたいのは、この労働力商品の投下労働価値と労働力商品が生み出す総労働価値とは全く別の量であるということだ。普通は、後者が前者を上回る。そうでなければ資本家は労働者を雇っても利益を出せない。この後者が前者を上回る分が「剰余価値」で、資本家の利潤の源泉なのだという。
 このように、マルクスは労働を特別視した。人間が経済的な価値を与えるもののほとんどは労働が関与して作り出されたものであるから、マルクスは、労働がものに経済的価値を与えられる特別なもの、価値の源泉であると考えた。しかし、労働によらない製品は少なくない。例えば自然から与えられるものがそうだ。そこで、労働が価値の源泉という主張は反証されてしまう。
 むしろ重要なのは、労働と労働力を別物と区別したことだ。そもそも、土地や資本の取引価格は丸ごとの売買価格ではなく、使用料である地代や利子なのだ、これに対して労働の場合の賃金とはどういうものなのかはっきりしなかった。土地や資本の使用に対する報酬が地代や利子であるなら、労働に対する報酬が賃金ということになるが、この場合、労働において、土地本体の価格や資本のまるごとの価格に対応するものは何かはっきりしない。そもそも、マルクスは労働力を資本ではなく商品であると言っている。つまり、労働力は土地や資本とは違って、売り渡されると消耗してしまうものだ、と考えていた。一方、労働者は、ある一定の制約つまり労働契約の下で、雇主によって人身を支配される存在である。労働者の自由は契約する際に発揮されるが、契約関係に入っている間は制約される。端的にいって、雇主と雇人の関係は、非対称な支配服従関係として身分関係だ。マルクスが雇用において売買されるのは労働ではなく労働力商品であるといったのは、このためだ。労働と労働者を切り離すことはできない。
 マルクスは、スミスたちの古典派経済学と同じように賃金上昇には限界があると考えていた。しかし、その理由を彼らとは別の床に求めていた。スミスたちは、賃金が労働者の生活水準ギリギリをあまり大きく超えないのは、賃金、収入が上がればより早く結婚し、より多くの子供を産み、それがやがては労働供給を増やし、需給バランスから価格は上がらなくなる、というわけだ。マルクスは失業者の存在により理由を説明しようとした。資本主義経済においては、厳しい競争が資本家に対して、つねに合理化の圧力をかけてくる。それで、資本家は、できるだけコストを下げようとする。そこで、労働強化をする。それは労働者の反発をうけるので、技術革新で生産性を上げようとする。機械による効率化により従来10人必要だった作業を5人でできるようにする。そうすると人員を減らして、賃金の支払いを減らすことができる。その結果、失業者が生まれる。
 まとめると、資本主義経済という商品のみならず労働、資本、土地までもが市場メカニズムに支配される社会では、経済的な不平等を生み出す中心的なメカニズムは資本蓄積、経済成長なのだ。貯蓄し、投資する主体は資本家だ。他方、労働者は賃金が生活水準あり上回ることはなく、貯蓄や投資をする余裕がない。そこで、労働者は自分の身ひとつ、手持ちの労働力で稼ぐしかなく、稼ぎの元手、収入源を投資して賦与していける資本家との間で、長期的では格差が拡大していく。マルクスは、私的所有と市場経済の社会では不公正なことが起こっているというルソー的な視点に立って不平等の批判をしようとしている。それは、スミスによってすり替えられた問いをルソーの方に引き寄せようとするものであった。

2024年2月 6日 (火)

稲葉振一郎「不平等との戦い─ルソーからピケティまで」(3)~第1章 スミスと古典派経済学─「資本主義」の発見

 アダム・スミスの『国富論』が画期的だったのは、浩瀚な「神の見えざる手」ではなくて、生産要素市場を見出したということ。つまり、市場で売買される商品を作りだすために投入される資源を生産力の源として、人間の「労働」、人間が生産できない自然である「土地」そして「資本」の三つを見出したうえで、それらが市場で取引されると考えた点にある。これらの生産要素の市場を価格メカニズムとして解釈し、そして経済を穀物とか鉄とか、あるいは農業とか工業とかといった具体的で個別的な物財や産業で捉えるのではなく、抽象的で一般的な視点で考えたところにある。例えば、「労働」についていえば、スミスが問題にしているのは、農業の現場での農作業だの家畜の世話だの、あるいは製造業の現場での熟練職人の手仕事や監督だの下働きの単純作業だのといった、あれこれの具体的な作業、仕事のことではない。そのようなあらゆる種類の作業、仕事は多様であっても煎じ詰めれば、人間がやることにすぎない。手仕事として見るなら、荷運びや畑の草取りといった単純作業は具体的な身体運動としては違うことをやっているとしても、時間当たりで見た疲労の度合などで測ると、ほとんど同じような休息や栄養補給で補償できるもの、つまりは同じ「労働」と見なすことができる。もっと複雑で予備知識や訓練を要するような仕事なら、単純に同一視、等価視できないかもしれないが、訓練や習得に必要なコストを、お金や時間といった同じ尺度で測ることができれば、同じ種類の「労働」に還元することができる。スミスは、賃金という価格で取引され、その需要が市場で調整されるものとみなしている「労働」とは、せんじ詰めれば、このような抽象的で一般的な、人間であれば誰でもできるような「労働」のことであって、あれこれの具体的な仕事、作業のことではない。そしてもこのような意味での「労働」「資本」「土地」か、それぞれ競争的市場において取引され、価格メカニズムに従ってその需給が均衡させられている、という風にスミスは捉える。「労働」の価格は賃金であり、「資本」の価格は利子で、「土地」価格は地代である。
 そして、スミスの系統を継ぐ古典派経済学では、すべての人々が市場の中で生きる社会は、人々がそれぞれ持っている資源の種類の違いに応じて構造化される。すなわち、土地を所有する地主、資本を所有する資本家、労働を所有する労働者の三大階級に社会は分かれる。スミス、賃金という価格の変化対応して、労働の供給が既存の労働の在庫調整、つまりは労働時間や仕事量の増減(例えば残業)にとどまらず、生産調整、つまりは労働人口そのものの増減(例えば、解雇、失業、)によって変化するという。あるいは賃金が上昇すると兎同社の所得が上昇し、生活水準があがく、結婚が早まり、子供が増えて人口が増える。そして、賃金上昇、労働者の所得向上には限度があり、生存水準を保つ以上のレベルにはならないという。このことは、労働者は賃金の一部を貯蓄して資本を生み出し資本家になる可能性を一般的に否定していることになる。労働は使ったら消耗するもので、賃金はその消耗を補填するだけで、それ以上の何かをくわえるものにはならない。それに対して、資本は減耗しても消耗し尽くされることはなく、利潤を生活のために使いなながら、貯蓄や投資にまわして増やすことができる。
 つまるところ、不平等はルソー的な構図では、所有権制度の下での持てる者と持たざる者との区分として定式化されたが、スミスなどの古典派経済学では、資本主義の下での、蓄積する富としての資本をもっているかどうか、資本蓄積の主体であるかどうか、として定式化し直された。これ以降19世紀から20世紀にかけて、資本主義経済の下での不平等現象は基本的に、この枠組みを軸として理解されるようになる。

2024年2月 5日 (月)

稲葉振一郎「不平等との戦い─ルソーからピケティまで」(2)~第0章 はじめに─ピケティから、ルソーとスミスへ

 ピケティが格差と不平等に着目した議論の出発点は18世紀のルソーとアダム・スミスに求められる。ルソーの『人間不平等起源論』はホッブスやロックの社会契約説への批判を目指したもので、彼らの議論を現実の解釈として受け入れた上で、それに対する道徳的な評価を逆転し、さらに彼らの議論の前提を暴いてその外に出ることを目指すものだった。彼によれば私的所有権制度の確立、さらにそこから帰結する分業の発展が、人間社会における富める者と貧しい者と無力な庶民との間の不平等の発展の基本的な原因だ。そして所有権の秩序が確立されるためには、集権的な統治能力、国家の確立が不可欠で、それは所有権の確立を目指す人々の合意つまり社会契約があった。ルソーはホッブスの議論の基本骨格を受け入れる。ルソーは人間社会、ことに文明社会における不平等の根底的な原因を、国家権力に裏打ちされた所有権制度に求める。ルソーは、なぜ人々が所有権の確立を欲し、そのために国家を樹立しようとするのか、についてのホッブスやロックの立論には充分な根拠がある、そして、生存、自己保存を求める人々が、自らの生計基盤である財産の安全を求めるのは当然である、と。それゆえ、ルソーは社会契約の否定、国家の否定、法と秩序の否定ではなく、よりましな国家、社会契約の可能性を求めて『社会契約論』を刊行する。
 アダム・スミスは、不平等の原因を私的所有に求める点ではルソーと同じだが、所有権が確立することによって人々が自分の財産の活用に安心して取組み、労働や投資に励むようになる、その結果、生産力が、ひいては成果さ水準が上がることを重視する。そうして社会全体の生産力が上がった結果、国家権力が法と秩序を確立し、そのもとで商業取引が発展した文明社会では、ルソーが言う通り不平等は拡大しているが、しかしその不平等な社会の中で最底辺にいる人々の生活は絶対的に改善している。それがスミスの捉え方だ。この二人の違いは、今日の成長か格差かという論争の原型を提供している。
 つまり、私的所有制度とその下での分業は不平等を生み出し、維持強化さえするが、それは道徳的に容認できるのかというルソーの問題提起に対して、スミスは私的所有制度とその下での分業は、人々がその財産を他人と自由に取引する市場メカニズムと組み合わせれば、不平等を解消しないまでも、全体として豊かさの底上げを可能にするから容認できると答えたということになる。この答えで、スミスはルソーの問いが、不平等それ自体が悪であることを前提していることには触れずに、不平等は豊かな者が貧しい者を搾取した結果であるから悪であると読み替えて、貧しい者をより豊かにする不平等であれば容認できると問題の本質をすり替えたとも言える。
 現在の我々が、日本で経済的不平等について論じる場合は、経済を動かしている仕組みは基本的に私的所有権制度の基盤の上に乗った自由な市場経済であるということが前提になっている。そのうえで、経済成長と平均的な経済水準の改善が達成されるためには、所有権と市場のルールを守った上での自由な競争が持続することが望ましいと考えられる。しかし、市場なおける自由な競争は、努力した者がそれに見合った成果を上げる、その結果としての格差だけでなく、純然たる運不運による成果の違いによる格差をも生み出す。つまり、市場の自由な競争は、放っておけば社会の中での不平等を拡大してしまう、と考えられている。それゆえ、格差や不平等を是正したいと思うのなら、市場における自由な競争に対して、何らかの制限や介入を行わなければならない。しかし、市場への過度な介入は生産力の上昇や経済成長の邪魔をしてしまっては、格差の是正、不平等の緩和によって目指される目標である底辺の人々の生活水準の改善を失敗させてしまうかもしれない。ここにトレードオフがある。

稲葉振一郎「不平等との戦い─ルソーからピケティまで」

11112_20240205001401  8年前に読んだ本の再読。この本は、当時、大きな話題となりベストセラーになったピケティの『21世紀の資本』が大部の専門書なので、なかなか取っ付きにくいため沢山の解説本が、いわば便乗本のように出版されたが、本書もそのひとつ。ただし、この本は『21世紀の資本』の『21世紀の資本』の内容解説というより、『21世紀の資本』の書かれた背景、あるいは前提がどのように考えられてきたかを考えたもので、『21世紀の資本』と切り離して、この本単独で読む価値があると思う。経済成長を進めれば、格差が生じるのは避けられない。しかし、不平等はよくない。この両者のジレンマのなかで、人々はどのように考えてきたかを追いかけたというのが、この本の内容。それを、きいただけでも興味がわいてくる。
 『21世紀の資本』において注目すべきポイントは自由な市場経済が浸透し、持続的な技術革新・経済成長が常態となっている先進諸国において経済的不平等が拡大していることに注目したが、同じように先進国内の格差に注目した経済学者の多くが資本所得より労働所得、物的投資より人的投資に注目したのに対して、ピケティは物的資本に注目したところにあるという。それは新古典派経済学的発想から、古典派・マルクス経済学への回帰とも言えることだった。

 

2024年2月 2日 (金)

武井弘一「江戸日本の転換点─水田の増加は何をもたらしたか」

11112_20240202232901  6年前に読んだ本の再読、とは言っても、この本のことは全く記憶に残っておらず、はじめて読むのと同じだった。
 “江戸期の社会は、地域での活動を中心とした循環型の社会だった。”と環境省の白書でもうたわれている。例えば、大都市である江戸の住民が排泄した屎尿を集めに、周辺から百姓がやってくる。屎尿は都市から農村へ運ばれて田畑の肥料となる。こうして育った穀物や野菜が都市へ運ばれて、江戸の住民の食卓にのぼる。それが再び排泄物となる。このように肥料と農作物とがリサイクルの循環ができていた。稲穂のたわわに実る水田を中心とした田園風景は里山という、日本人の郷愁を誘う豊かな自然環境の、エコな社会だった。このようなイメージに、エコで循環型のように思われがちな江戸時代の水田をめぐる農業生産について、それが持続可能ものであったかを問うことで、疑問を投げかける。
17世紀の新田開発によって、耕地面積だけでなく人口も増え、社会は経済成長を成し遂げた。コメを中心とした社会が成立し、その副次的な作用として豊かな生物相も形作られた。米の副産物である藁・糠・籾も資源として社会に流通していたことから、表層では持続可能な社会であったように見える。
 しかし、深層ではそういう社会づくりは実現できていなかった。村社会の中で、百姓は毎年、田んぼさえ耕していればいいというわけではなかった。新田開発により草肥を供給する共有地も田んぼにされ、自給できる肥料が足りなくなり、水田の持続可能性が危うくなった。金肥を施せば農業生産を維持できたが、金肥をつくるたに国内の山や海の資源まで投じられた。それどころか、強引な新田開発で生態バランスが崩れ(この時の森林伐採で土砂が流出し、それが海に出て海岸に大量の砂を堆積させた結果、それを抑えるために海岸に松原が植林されたという。日本の砂浜の松原は江戸期の環境破壊対策だったという)て、江戸中期からは水害や土砂流出の危機にさらされ、水田リスク社会という新たな難問に巻き込まれていった。一方、農村社会内部でも、金肥を調達するためには相応の費用がかかり、金肥を調達できる者とそうでない者の間に格差が生じ始める。金肥を調達できる者は生産量を維持し、できなかった者は生産量が低下するという循環が生じて、格差が拡大していくことになり、貧富の差がひろがり農村の共同体の維持も難しくなっていった。
 ということで、水田に支えられた江戸時代の社会は、その根底において持続可能ではなかった。その根底が顕わになっていく、その転換点が、新田開発がピークに達した18世紀前半だった。
 たまたま明治維新によって近代化政策に転換して、リン酸肥料や農薬の使用といった新技術が導入され(これで糞尿のリサイクルは崩れる)て、また輸出や産業化のための商品作物の生産が伸びるなど農業のあり方が変化して、結果的に産業として、かろうじて事業継続ができた、という。
 なお、江戸時代の将軍や大名等の領主は、百姓が年貢として納める米を財源としていた。なぜ、米を納めたのか鎌倉時代には国内で宋銭などの貨幣が使われていたし、16世紀の日本は世界有数の銀産出国であった。石高の前段階で、年貢などを課す基準として銭に換算された貫高が用いられ、戦国大名は貫高をもちいて家臣団を編成し、これに応じた軍事動員を行なっていた。それなのに、江戸時代は銭から米に転じて石高にしている。一つの理由は兵糧米を確保する目的があったということ。秀吉が天下を統一していく中で、軍を率いるために膨大な量の食料が必要だったので、その確保のために年貢が必要だったという。しかし、その他に国際情勢の変化も大きな理由だった。銭の輸入先である明では、基準通貨が銭から銀に移行し始め、銭の発行・流通が不安定になった。これに南米産の銀の大量流入が追い打ちをかけた。明は銀経済圏になり。日本への銭の供給が説絶えてしまう。貫高から石高への転換が生じたのか、この頃だった。

 

2024年2月 1日 (木)

小野塚知二「経済史─いまを知り、未来を生きるために」(8)~終章 経済成長の限界と可能性

 序章で問いかけられた三つの問いに対して、最後に簡単な答えを提示する。
 第一の問い、「経済はなぜ成長するのか?」に対して、人とは際限のない欲望を備えた動物であるから、その欲望を充足し続けることが、経済成長の原動力なのだと。そこで、前近代、近世、近代。現代の各時代について、際限のない欲望がどのようにして成長の原動力となったのかを考察してきた。そこから、経済は、人の際限のない欲望が充足され続けることによって成長したのだと結論した上で、その欲望がうまく充足された時期は、そうでない時期よりも高い成長率を示すことができる。このようにして、際限のない欲望を経済成長の動因と見ることにより、自己増殖の本性を備えた資本に経済成長の動因を求める見解よりも、より長い期間の経済成長や人口増加を説明できるし、また、資本の生成要因も説明できる。人の欲望の個別的・直接的な対象物ではなく、一般的かつ抽象的な対象物である貨幣をより多く獲得したいという仕方で、際限のない欲望が発現したのが資本だと言えるからだ。しかも、資本という概念は、当の欲望主体である人は、それをおのれの欲望の発現として端的に認識するのではなく、より多くの貨幣を獲得する方向におのれを衝き動かす何らかの外力として認識してきたと言うことを意味する。人が、際限のない欲望の主体であると自己を認識するよりも、むしろ資本という外力が自分に憑依しているという迂回的な認識の方を選んだということは、人類の歴史の中で非常に長い期間、際限のない欲望には何重もの規制装置が作用してきたことを反映していると考えることができる。言い換えるなら、人類が資本という概念を生み出し、資本主義的に生きていることは、そのこと自体が際限のない欲望を積極的に肯定する思想よりも、それを否定する思想の方が影響が大きかったことを意味している。少なくともこれまでのところは、人は、おのれが際限のない欲望の持ち主であることをすんなりとは認めたがらない傾向にあり、その欲望を資本という外的な存在に仮託してきた。
 第二の問い、「人類はいかにして十万年もの間、生存してきたのか?」については、本書では、人は際限のない欲望をもちながら、それを規制する仕組みをおのれの内的規範にも、また社会にも組み込むことによって、人が人として存在する条件である共同性を維持し続けることに成功したから、動物としてはきわめてひ弱で、特異な存在であるにもかかわらず、長く生存することができた、と答える。そのひとつの証拠は、前近代に、一瞬、際限のない欲望を介抱してしまった社会は滅亡したことに求めることができる。人は際限のない欲望を捨てることはせず、その欲望をわずかずつでも満たすために、絶えず、何らかの努力を続けてきた。共同性を維持したのもその努力の表われと言える。際限のない欲望がありながら、それを厳格に規制した上で、細々と生きてきたことが、人が長く生存できた原因であると考えられる。
 第三の問い、「経済は実際にいかに成長してきたか?」については、人が生存しづけることのできた理由は、際限のない欲望を野放しにせず、統御しながらわずかずつ満たしてきたからで、それだけなら、ほとんど感得できないほどの緩慢な成長の中で、富の非生産的な用法で枝を育てて、強大ではないが、つつましく洗練された文化を有する諸民族が地球のあちこちに、散在しているという状態が長く続いた。地球上のあらゆる場所に人が住み、条件の良い場所では、その土地の食糧生産力や水の供給力をはるかに超える高い人口密度で人が集住する都市が形成されるのは、人類が、慎ましく、ささやかな成長しかしてこなかったからではなく、幾たびか、つつましくささやかな成長を突破する革新を経験したからなのだ。とくに、近代と現代には、欲望の対象物をより効率的に産み出す方向に技術・生産力・生産組織が文字通り革命的に変化しただけでなく、欲望そのものも制約から解放され、さらに掻き立てられことによって、肥大化してきた。
 このように最初の問いに答えたが、これは今後も続くのだろうか、という視点であらためて問いを発する。

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