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2024年2月18日 (日)

ヴィンフリート・メニングハウス「美の約束」(4)~Ⅲダーウィン以後の魅力的な容姿の進化論

 ダーウィンの後の新しい進化論は、1970年代に身体的魅力の経験的研究が行よれることによって進展した。
 まずは、ハンディキャップ説。この説によれば、性的装飾の発達は適応度テストである。例えば、巨大な尾羽による制限にもかかわらず生き延びたクジャクのオスは、それによって優れた生存資質を示したことになり、それゆえ繁殖にとって高品質であることが明らかになる。肥大した尾羽というハンディキャップは、性的装飾のやっかいな付随減少ではなく、むしろ逆で、ハンディキャップのために装飾があり、それが増大的に固定化するプロセスがある。装飾という無駄のコストを費やしても、それを克服できるほどの卓越した適応性を表わしている。このハンディキャップ説は、ダーウィンの自然淘汰と性淘汰の区別を実用選択と信号選択の区別として再定式化している。役に立つ身体変異の選択は、直接に生存能力を高めるが、それに対して、信号の選択は、部分的な自己障害という回り道を選んである種の質を表示し、その質が表示に必要なコスト以上に多くの利点ほもたらす。
 この説を人間の場合に当てはめると、例えば女性の乳腺の周囲に発達した装飾的な脂肪組織は、至高の資源豊かさの顕示だ。若い女性がその胸を成長させていく時期に食物に不足しなかったことを示している。エネルギーを胸と腰の皮下脂肪に無駄遣いしたにもかかわらず思春期を耐え抜いた女性は、その装飾が大きければ大きいほど、それだけ卓越した一般適応度を証明している。ただし、それなら肥満体形でも同じことがいえるわけで、そこに恣意性があることを否定できない。それが美的評価と言えるかもしれない。
 また免疫学的観点からの説もある。個体群の寄生被害の度合いと性的装飾の度合いとの間には相関関係があるという。その結果、性的装飾は、有機体が自らの発達を阻むものすべてに勝利したことを伝える信号ということになる。美しければ美しいほど、彼らの免疫システムは無傷で、完璧な対称形の身体特徴を作り上げようとしている形態形成プログラムが、有害な変異や環境条件が発達を阻むべく繰り出すストレスや障害に屈することなく実行される。その美しさは、それゆえ発達安定の指標であり、有機体の厳しい宿命に打ち勝った勝利を知らせるもので、負荷が大きいほど、それに打ち勝った凱旋は大きい。人間の身体において、美しさと寄生抵抗および免疫力との相関関係は、とくに二つの魅力特徴に適用される。肌がきれいであることと顔や身体部位の対称性である。吹き出物や傷のない肌は臓器疾患から免れている表れであり、日々の美容努力の結果でもある。免疫学説は、美しさを特定の病気にり患しておらず、それらの病気に対する抵抗力が高いという信号を発する否定的な健康記号として取り扱う。それは性的生殖力の直接の表示にも関わっている。女性の美しさは、繁殖帆テンシャルの外面表示、すなわちストレートに数多くの子孫を約束する積極的な健康記号ということになる。しかし、きれいな肌の女性や対称性のプロポーションの女性が多産ということはデータでは検証できない。
 これらの説は創造力豊かな大胆な仮説に走る特徴があるという。
 これらがダーウィンと共有している基本前提は、今日の文化的状況のもとでは大きな制約がかかる。人間は、自らが次々と作り出す環境に、もはや圧倒的に自然適応ではなく、知性に裏付けられた文化適応だけで対応するので、遺伝子的に固定された原始の行動モデルは、変化圧から解放されているため、かつての適応性をすでに失っていても、それだけ妨げられることなく存続できる。これに対して、個別的に行動の遺伝子決定論があるということではない。これらの適応は、文化的に獲得された全く新しいメカニズムと並んで、それと無関係に作用し続けるか、あるいはうまく統御されたり、それどころか禁止されたりする、少なくともその本来の水準で新しい水準で上書きされない限り、それは残っている。原始的気質と過激に変化した文化環境の構造的な同期化は、人間のセクシュアリティを動物界の事象から原理的に区別する。19世紀以降、西洋諸国などで出生数と乳児死亡率が激しく減少し、社会的地位が高く、教育水準が高ければ、子供の数が少ない傾向が見られるようになった。これを、クジャクのモデルとは正反対の結果が生じる。美しさは構造的に子供の数の減少と相関している。ここでは性的装飾にかかるコストが制限的資源の役割となっている。多かい社会的競争と高いファッション支出は、正統的なクジャクモデルに従えば繁殖成功を増大させる手段であり方法であるが、その元来の目的に対して自立し、目的のために必要な資源を文字通り費消する。ファッション関係の支出は、近代化とともに増大し、それゆえに子育てに必要な尽力と資源との競争が激化する。ということは、近代的な人間の文化条件において、増大した美しさ指向は、選好による自己継続を妨害し破壊する。

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