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2024年2月14日 (水)

稲葉振一郎「不平等との戦い─ルソーからピケティまで」(10)~第8章 不平等ルネサンス(3)─資本市場の完成か、再分配か

 これまで、モデルで考えてきたが、現実には、資本はある人のところにはあり、ない人のところにはないというように偏在している。そこで三通りのやり方が考えられる。
 ひとつ目は、成り行きに任せて、各自が鋭意努力して資本蓄積をしていくに任せるというもの。資本市場がない場合は時間がかかるし、あてにならない。。二つ目は資本市場を完備させることで、いったんできてしまえば即効性があるが、銀行や株式市場などの制度を整備させるのは相当大変で、現実の経済によっては不平等の改善に役立たない場合もある。三つめは、国家権力が出動しての無財政的な再分配政策で、その方法として資本、しさんそのものを再分配するやり方と所得や消費支出等のフローを再分配するやり方があるが、前者は革命となってしまうので、後者ということだが、相応のコストがかかる。
 現実には、二つ目と三つ目ということになり、そうなると前章のモデルの資本市場が欠けた場合の発想にたつ議論となる。つまり、不平等と低成長を克服するため戦略として、資本市場の改善か財政的再配分かの方向性が出てくる。技術革新が持続してプラス成長の定常状態がある一方で、資本市場が欠如しているか、著しく弱い場合には、資本の分配の格差の縮小傾向が弱く、かつ、初期における分配が不平等であればあるほど、長期的な生産水準も低くなる。資本市場がなく、資本の分配が不平等であればあるほど、資本の社会的な利用効率は悪く、社会的な総生産は低くなるので、定常状態においても初期の不平等の悪影響が解消されず、持続してしまい、そこでは分配と生産の分離が成立しない。これはかつての古典派の想定とは逆の不平等な方が生産力が低下し、成長率が悪くなるという結論になる。このことは、逆に資本市場の不在が原因ということになると、これに対しては資本市場の改善という戦略の有効性が強調されることになる。何と言っても財政的再分配は市場の外側からそれを歪める財政介入であり、社会的生産拡大という観点からは悪手だからだ。公平よりも効率、平等よりも生産の最大化を政策目標として重視するのであれば、ベストの対応は市場の整備ということになる。
 しかし、ピケティたち理論家はこの立場をとらない。彼らの多くは、先進諸国の格差の主要部分を賃金格差、労働所得の格差とみなし、物的・金融資本からの所得の格差、資本の所有それ自体における格差、そして資本を所有する人所有しない人との格差を二次的なものとみなしている。人的資本に対する投資は物的資本に対する投資よりも市場的な取引が格段に難しいと考えているからだ。というのも人的資本は、あくまでも人の能力であり、知識や情報としても人が使いこなすものとしてあるものだから、その所有者から切り離して「もの」として流通させることができるものではない。人的資本については奴隷制でもないかぎり丸ごとの売買市場はない。賃金は労働という商品の価格というよりも、人的資本のレンタル代と言える。これに加えて、人的資本に対する投資コストファイナンスするための市場、例えば教育訓練費用を融通する(学費ローン)市場というものは考えられる。このような人的投資には強い不確実性と外部性が存在するために、人的投資特有の不確実性を克服する、より洗練された資本市場を構築するという戦略よりも、政府による強制的再配分によって費用負担能力のない人々にも教育訓練を給付するという戦略の方が、結果的には効率的な人的資源の活用、社会的生産力の最大化、より高い成長をもたらしうる、という議論が成り立つ。その一方で、彼らは1990年代に、政策的に再配分公教育が有効でありうるという政策論だけでなく、効果的な再配分政策が政治的に選ばれ、成長を生むことは可能だという政治論にまで踏み込んでいる。

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