ヴィンフリート・メニングハウス「美の約束」(3)~Ⅱファッションの従った進化─ダーウィンの美的淘汰論
ダーウィンは『人間の進化と性淘汰』の中で、美的な身体「装飾」についてと「嗜好」と「美の感覚」が性的身体の進化に対して持つ選択機能について論じている。ダーウィンといえば『種の起源』で唱えられた生存競争による自然淘汰が有名だ。環境に適応できたものが生き残る自然淘汰だが、自然淘汰説では説明できない生物界の現象、主に生存競争にとっては不利あるいは無意味に思えるような美的現象を、『人間の進化と性淘汰』で論じている。例えば、クジャクのオスは尾羽が肥大化し、美しい装飾のようになっている。しかし、これは生存という効用でみれば、機敏な動きの障害となり、外敵に襲われた時に逃げにくい。常識で考えれば生き残りにくい。つまり、ダーウィンが特に注目するのは、美しい装飾が身体を鈍重にして逃げ足を遅くしたり、あるいは派手すぎて敵にとっての視認性を高めたりと、生存競争において不利にはたらく事例があるということで、これは、自然淘汰説からは逸脱している。このようなオスの身体の形質を説明することはダーウィンの「難題」であったが、これを「美は解決する」。自然界においても美は死の危険を伴うものなのだという。
しかし、尾羽が大きく、より美しいオスがメスから交尾の相手として選ばれる。そういうオスの子供が、大きい尾羽を受け継ぎ、それによりメスに選択され、その積み重ねが尾羽の大きいオスが大きくないオスを淘汰していく、という自然淘汰に反するという現象。何よりも、クジャクのオスは、生存の危険という高いコストを払ってまで、大きな尾羽という美を獲得しようとするのか。それは、このケースからメスへの求愛において勝ち残り、たくさんの子を残すことになるオスが持つ有利さは、長い目で見ると、外的な環境に対して完璧な適応をすることによって得られる利益よりもむしろ大きいのだということになる。性淘汰説はこのような闘いで他のオスむに勝つことよりもメスを惹きつける力を持つことの方が重要である、ということを言う。
そうすると、クジャクのオスはメスに選ばれて、惹かれることが重要ということだから、選択するメスがオスをどのように評価するか、それゆえオスの評価者としてのメスは優れた美的感覚を持ち合わせているはずである。この場合、選択の動機として美の知覚は常に価値づけの契機であるということ。つまり、装飾を見るということは、価値評価に飛び移り、装飾の持ち主に対する態度を決める。端的にいうと美は同時に善であると言えるわけだ。この場合の善とは、性的な装飾が配偶相手の選択と生殖の成功のための利点であるということだ。装飾は、世代を超えて生き残りの利点をもたらすという我だ。ダーウィンは、このようにして性淘汰は自然淘汰に重なることになるという。
ダーウィンは、このような配偶の選択における装飾の習慣は人間社会にも当てはまるという。いわく、苦労して身を飾り立てる習慣は、その内容は多種多様に異なっていても、普遍的に見られる。その価値は大きい。というのも、生存のためには役に立たない習慣が、時間や費用や痛みといった犠牲を払ってまで維持され、発展したから。そして、この自分自身を飾り立てることの一般的なモデルを求めることができる。つまり、何が魅力的かということに関して、個人や文化によって違いはあっても、その間に共通した核がある。歴史的にも古代ギリシャから今日まで、顔や身体のプロポーションの、特に肌の色や髪質などについての評価は、ほぼ一致してきた。例えば、かつては全身を覆っていた体毛を取り去ることであり、女性の細いヒップと張り出したヒップと張り出したバストである。そして、これらは自然淘汰の観点からは無駄であり、有害にもなり得る。体毛の除去は耐寒や皮膚を守る機能の放棄であり、このような体形の女性は運動機能を犠牲にしている。それにもかかわらず、そういう嗜好を、他の個体との差異化のために強化していく。このような傾向は、ダーウィンの性淘汰説の説明と重なるのだ。
しかし、このことを逆から見れば、女性が体形をエスカレートさせていくというような傾向は、魅力的な美しさの絶対的標準はないということでもある。もし誰もが同じ鋳型でつくられヴィーナス像のようであったとしたら、美などなかった。人は、そんなときは、変化を求める。その変化が得られた途端に、標準を少し超えて誇張した特徴の女性に惹かれるものだ。ダーウィンのモデルは次のような物語を含んでいる。最初はクジャクのオスとメスの間に大きな違いはなかった。それでも、メスはいくつかのオスに他のオスよりも長く強い色彩の尾羽があることに気づいた。メスが繁殖期に複数のオスから相手を選択する機会を得たとき、目立つ個体を優遇することが多かった。目立ったオスの個体は遺伝性の身体的形質を平均以上に次世代へ伝えることができた。尾羽の相対的な誇張をメスが選ぶことは、世代を重ねるたびに、だんだんと基準価値を釣り上げて、極端になっていった。装う側と評価する側の両者によるフィードバックループが生じ、特徴の共進化が自然的な適応に比べて速く進行する(ランナウェイ淘汰)。それをまたメスが選択するという相互の押し上げにより、とうとう豪華な飾り羽という完成態に遺伝的に定着したのだった。それは日常生活では有益ではないものの、メスを興奮させ魅了するという重要な働きを成し遂げる。嗜好により選択するということは、決して対象を美的な基準に従って区別するだけにとどまらない。それがむしろ原因となって、選好性に一致した美しさが対象に形成され、増進的に強化されるようになる。
この場合、オスのパターンは納得できるが、メスが選択してフィードバックループに参加する理由はどうなのか。進化論的な説明はこうだ。たとえ、不合理なほど奇抜なオスでも、そこから子供を授かるかぎり機能する。つまり、その子供は母親から美的選好を受け継ぎ、性的に優遇される子供を産むことによって、フィードバックループに参加する。
また、このフィードバックループではオスの側が能動的に求愛するために装い、これに対してメスは受動的で、ただオスを選択するという差別的な構造をしている。オスはメスを選択するのではなく、求愛する。メスは求愛してくるオスのなかから選択する。オスがメスを配偶の気分に駆り立てるためには、広げられた飾り羽があるだけでは、他のオスではなく自分というオス選択してはもらえない。メスはそこで競合する様々な飾り羽の違いを細かく比較する。そこに美の差別化の契機がある。このようなメスが求愛されるのはオスの生殖細胞に仕える役割のためであり、同様にオスが選ばれるのも、メスの投資が失敗しないように、種に固有の期待の範囲内でどれだけオスが寄与できるかによってである。すなわち、どちらの性も、自らの繁殖成功のために他の性からできるだけ大きな寄与を得ることを目的としている。あるいは、逆に言えば、どちらの性にとっても、子ども一体にかける自らの消費を最小化することによって、それだけたくさんの資源を次の子どもたちのために残しておくことが経済的なのだ。
しかし、このようなオスの熱心さとメスの選り好みという図式は、人間には当てはまらない。装う側と選択する側という分化がなく、オスもメスも装う。そしてまた、人間の場合、女性がより美しい性とみなされるが、だからといって女性がより強く求愛する役割を担っているわけではない。これは、ダーウィンの性淘汰説が当てはまらない。それは、人間が文明社会を形成するようになったからだという。オスとメスの双方が性的な魅力特徴を発達させ、双方が美しい相互性において選びもし、選ばれもする。その制度的な現れが一夫一婦制のシステムだ。これは、性淘汰が美しさを増強するシステムを制限する。実際に、美男や美女が、そうでない者に比べて、より多くの子孫を残しているわけではない。文明化に伴い、人間の場合、美しさによる選択が無力化してきている。性淘汰のシステムが機能するのは一夫多妻制の場合だという。
このように美しさが選択における優位さでなくなったのは、人間が知性を持ったからだ。知性が身体に代わってあらゆる適応性を全般的に引き受ける。有利な身体的変異を発達させた個体がそれをしない個体よりも生存が有利になることによって成り立つ身体変異の淘汰は消失する。人間の環境は人間自身の手で作り変えられるようになるが、人間の身体が加速する環境変化に適応的な遺伝変異のメカニズムにより対応することは見られない。遺伝的変化には数百年の年月を必要とするが、文明の変化のスピードはずっと速い。
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