稲葉振一郎「不平等との戦い─ルソーからピケティまで」(2)~第0章 はじめに─ピケティから、ルソーとスミスへ
ピケティが格差と不平等に着目した議論の出発点は18世紀のルソーとアダム・スミスに求められる。ルソーの『人間不平等起源論』はホッブスやロックの社会契約説への批判を目指したもので、彼らの議論を現実の解釈として受け入れた上で、それに対する道徳的な評価を逆転し、さらに彼らの議論の前提を暴いてその外に出ることを目指すものだった。彼によれば私的所有権制度の確立、さらにそこから帰結する分業の発展が、人間社会における富める者と貧しい者と無力な庶民との間の不平等の発展の基本的な原因だ。そして所有権の秩序が確立されるためには、集権的な統治能力、国家の確立が不可欠で、それは所有権の確立を目指す人々の合意つまり社会契約があった。ルソーはホッブスの議論の基本骨格を受け入れる。ルソーは人間社会、ことに文明社会における不平等の根底的な原因を、国家権力に裏打ちされた所有権制度に求める。ルソーは、なぜ人々が所有権の確立を欲し、そのために国家を樹立しようとするのか、についてのホッブスやロックの立論には充分な根拠がある、そして、生存、自己保存を求める人々が、自らの生計基盤である財産の安全を求めるのは当然である、と。それゆえ、ルソーは社会契約の否定、国家の否定、法と秩序の否定ではなく、よりましな国家、社会契約の可能性を求めて『社会契約論』を刊行する。
アダム・スミスは、不平等の原因を私的所有に求める点ではルソーと同じだが、所有権が確立することによって人々が自分の財産の活用に安心して取組み、労働や投資に励むようになる、その結果、生産力が、ひいては成果さ水準が上がることを重視する。そうして社会全体の生産力が上がった結果、国家権力が法と秩序を確立し、そのもとで商業取引が発展した文明社会では、ルソーが言う通り不平等は拡大しているが、しかしその不平等な社会の中で最底辺にいる人々の生活は絶対的に改善している。それがスミスの捉え方だ。この二人の違いは、今日の成長か格差かという論争の原型を提供している。
つまり、私的所有制度とその下での分業は不平等を生み出し、維持強化さえするが、それは道徳的に容認できるのかというルソーの問題提起に対して、スミスは私的所有制度とその下での分業は、人々がその財産を他人と自由に取引する市場メカニズムと組み合わせれば、不平等を解消しないまでも、全体として豊かさの底上げを可能にするから容認できると答えたということになる。この答えで、スミスはルソーの問いが、不平等それ自体が悪であることを前提していることには触れずに、不平等は豊かな者が貧しい者を搾取した結果であるから悪であると読み替えて、貧しい者をより豊かにする不平等であれば容認できると問題の本質をすり替えたとも言える。
現在の我々が、日本で経済的不平等について論じる場合は、経済を動かしている仕組みは基本的に私的所有権制度の基盤の上に乗った自由な市場経済であるということが前提になっている。そのうえで、経済成長と平均的な経済水準の改善が達成されるためには、所有権と市場のルールを守った上での自由な競争が持続することが望ましいと考えられる。しかし、市場なおける自由な競争は、努力した者がそれに見合った成果を上げる、その結果としての格差だけでなく、純然たる運不運による成果の違いによる格差をも生み出す。つまり、市場の自由な競争は、放っておけば社会の中での不平等を拡大してしまう、と考えられている。それゆえ、格差や不平等を是正したいと思うのなら、市場における自由な競争に対して、何らかの制限や介入を行わなければならない。しかし、市場への過度な介入は生産力の上昇や経済成長の邪魔をしてしまっては、格差の是正、不平等の緩和によって目指される目標である底辺の人々の生活水準の改善を失敗させてしまうかもしれない。ここにトレードオフがある。
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