ヴィンフリート・メニングハウス「美の約束」(6)~Ⅴダーウィンとカントにおける美的「判断」
ダーウィンが性的選択の進化論を吟味した結果、次のような物語が生まれた。美的な区別の能力は、傾向的には動物界全体で発達し、それゆえ太古の遺伝として人間に伝えられたものである。その第一の適用領域は、自らと同じ種の身体特徴、すなわち成熟して生殖能力を身体の性的二形性で、その機能は配偶行動と繁殖成功のコントロールである。人間においては、美的判断能力の適用範囲と機能の広範囲の拡散が形成されたる文化的に作られた装飾は、身体の外見を変更し、社会的コミュニケーションの一部となっている。そして、本源的な性的対象からの離反が進んで、美的な判断と性的選択の連関は間接的なものとなり、脆くなる。美的自己描出は社会的コミュニケーションで自己の有利な位置づけに結びつく、一方直接的身体とセクシュアリティーの機能が薄まってゆく。カントに代表される哲学的美学は、美的快を性の快から抑圧的に区切る、対象の純粋に形式的なものを顧慮して趣味の事柄で気にいるか否かの反省的判断を下すのみだという。
カントによれば、美的判断は快の感情として感じ取れるが、この快の感情は本質的に自己触発である。美しい対象の快に満ちた表象は、決してこの対象に接して得られた快でもその対象のための快でもない。そうではなくて、主観が表象によって自己自身を感じ、自己自身を強め再生産させる快である。それゆえ、行為を動機づける因果性をもっている。この美的な快を感じる主観を、自己の能力の自己再生産的な興奮の状態を保持するように努める。人間における美的選好は、性的身体に限定されるものではなく、むしろ付加的に多くの文化的事象による記号的コミュニケーションをコントロールする。一度だけの快の絶頂を避けて、自動的に自己更新し、継続する。
ここで、前にもどってⅠ「美しさのために」─アドニスの栄光と悲惨 に戻ると、そこで語られているアドニス神話のさまざまなモチーフ―「純粋」で「空虚」な美しさ、「欲望されるもの」であり、構造的に弱者の立場であるということ、ナルシシズム的な自己充足性、ファルス機能の減退と脱セクシュアリティの傾向、そしてその「早世」―は、ダーウィンの美的淘汰論やフロイトの仮説との関連で繰り返し登場する。たとえば「欲望されるものであること」はダーウィンの進化論によって「驚くべきやり方で裏書きされる」とされ、「脱セクシュアリティの傾向」は「進化生物学的な「物語」から完全に抜け落ち」ながら「人間特有の美の効果という「物語」において不可欠の地歩を占めている」と評価され、アドニスの死はリビドーの「自殺的な昇華」をめぐる「フロイトの思弁を立証する物語」として再読される。さらにアドニスの形象は「自己保存の懸念をも度外視する」男性の美貌病理(「アドニス・コンプレックス」)として現代に対する病理学的診断を裏付けるものとなる。
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