稲葉振一郎「不平等との戦い─ルソーからピケティまで」(6)~第4章 経済成長をいかに論じるか
古典派、マルクス派とは蓄積する富=資本の保有階級である資本家とそうでない労働者階級という質的、不連続に違いに焦点を当てていたのに対して、新古典派は個人の富の保有の量的、連続的な違いに焦点を当てる。そこでは、財産をもたない貧しい労働者であっても、幸運や努力の結果財産を蓄積し、資本家に移行することもありうるので、財産の有無が質的な違いとはならない。
経済では、フローとストックについて、生産されたものが消費されてなくなるのがフローで、生産されても当面は残る固定資産や耐久消費財のようなものがストックだ。所得とは金銭に換算したフローのことで、所得=生産=消費+投資という関係はストックとしての資本を増やすことになる。富、財産とは、フローでの所得をストックに置き換えた場合をいう。それはまた、労働を除いた生産要素のことでもある。資本主義経済とは、フローとしての消費財サービスだけではなく、ストックとしての資本や土地もまた値段をつけて売り買いする。ストックとしての資本や土地の値段について、古典派は志保も結局は生産されたものだから、総生産コストつまり投入された価値によって決まるという。それに対して新古典派は、資本は現在から将来にかけて生み出すであろう価値によって決まるという。つまり、資本や土地といった富はそれが所得の源泉になると期待されているからこそ、それに対して価値が割り当てられ、値段が付き、日常的には丸ごとの売買よりも、時間決めでの賃貸借の対象となるのだという。古典派では、このような意味での富つまり資本や土地を所有しているかいないかという質的、不連続的な違いが階級の違い、つまりは人々の間での行動の論理の違いを生むものとして想定されるに対して、新古典派は金銭換算してどの程度の富を所有しているのかという量的、連続的な違いが焦点となり、人々は同じような行動原理に服していると想定する。
古典派の想定の下では、労働者の行動原理が投資志向ではないのに対して、新古典派の想定の下では、誰であろうと、どの階級に属していようと、投資が自己の利益にかなうと判断すれば投資する。古典派は、所得・富の配分のあり方の変化が投資に、ひいては経済成長に影響を及ぼす可能性があるのに対して、新古典派では、富・所得の配分どうであれ、経済紙界全体の富=生産要素の総量が変わらなければ、市場が十分に競争的で人々が自己利益を目指して合理的に行動すれば、富が効率的に活用されて、結果的に生産量が増える。
そして、もうひとつの新古典派の重要なポイントは収穫逓減の法則だ。技術革新がない場合、出発点において資本蓄積が少なければ、資本主義経済では資本蓄積が進行し、それへと人々を駆り立てる動機は、当初は、資本蓄積をして資本装備率を上げれば、労働の生産性、ひいては生産量が伸び、利潤も増える。しかし、この伸びは資本蓄積が進行するにつれて落ちていく。そして最終的には、それ以上資本を蓄積し、生産量を増やすと、かえって利潤が減ってしまうという限界点に達してしまう。この議論は、ある条件の下では、市場における自由な競争が、富のより平等な分配へと自然に導くこともありうると解釈できることになる。
以上をまとめると、新古典派経済学の興隆は、成長と分配の関係についての問題関心の衰退を招いたと言われている。しかし、ここまでの議論は、古典派も新古典派も、ゼロ成長の状態に向けて成長のプロセスを描いていて、本来的な意味での技術革新を論じてはいない。それは言い換えれば、現代の我々が問題とするような意味での経済成長、つまりは生産性と生活水準の持続的な上昇を理解することができない。
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