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2024年2月15日 (木)

ヴィンフリート・メニングハウス「美の約束」

11114_20240215232501  10年前に読んだ本の再読。とは言っても、最初に読んだことは全く記憶にないので、初めてよむのと同じだった。伝統的な美学は、花やギリシャ彫刻の美しさについて饒舌に語る一方で、自然美や身体美と不可分であるはずの<性>という領野にたいしては徹底して冷淡であった。伝統的美学の対象から除外されていた、容姿や身体、ファッションにまつわる美を、本書は敢えて対象に論じる。そして、この<不純>な美的対象を解明するにあたって著者が考察の中心に据えるのが、これまでの美学理論がまったく論及することのなかった教説、すなわちダーウィンの進化論とフロイトの性淘汰説にほかならない。例えば、クジャクの尾羽が発達した飾り羽は、たしかに美しいが、話して生存に適しているのか。重く目立つ尾羽は天敵に見つかりやすく、見つかったら逃げるのに邪魔になる。しかし、目立つことでメスに注目され、より多くの子孫を残すことができる。このことは人間にも当てはまるのか、というと。クジャクでは美しく身体を飾るのはオスであり、メスに選ばれるために飾る。人間社会では、むしろ、美しく身を飾るのはメスの方であって、動物とは異なる。だからといって女性がより強く求愛する役割を担っているわけではない。これは、ダーウィンの性淘汰説が当てはまらない。それは、人間が文明社会を形成するようになったからだという。オスとメスの双方が性的な魅力特徴を発達させ、双方が美しい相互性において選びもし、選ばれもする。その制度的な現れが一夫一婦制のシステムだ。そのことが、さらに進展していくと、身体の美そのものを性的なものと切り離して、純粋な美として称揚する、例えばギリシャ彫刻のようなものが現われてくる。そのシンボルを本書ではギリシャ神話の美少年アドニスのエピソードに見る。これって、24年組の少女マンガが好んで描いた少年愛のモチーフ、例えば「トーマの心臓」や「風と木の詩」を論じたものと重なる気がする。

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