武井弘一「江戸日本の転換点─水田の増加は何をもたらしたか」
6年前に読んだ本の再読、とは言っても、この本のことは全く記憶に残っておらず、はじめて読むのと同じだった。
“江戸期の社会は、地域での活動を中心とした循環型の社会だった。”と環境省の白書でもうたわれている。例えば、大都市である江戸の住民が排泄した屎尿を集めに、周辺から百姓がやってくる。屎尿は都市から農村へ運ばれて田畑の肥料となる。こうして育った穀物や野菜が都市へ運ばれて、江戸の住民の食卓にのぼる。それが再び排泄物となる。このように肥料と農作物とがリサイクルの循環ができていた。稲穂のたわわに実る水田を中心とした田園風景は里山という、日本人の郷愁を誘う豊かな自然環境の、エコな社会だった。このようなイメージに、エコで循環型のように思われがちな江戸時代の水田をめぐる農業生産について、それが持続可能ものであったかを問うことで、疑問を投げかける。
17世紀の新田開発によって、耕地面積だけでなく人口も増え、社会は経済成長を成し遂げた。コメを中心とした社会が成立し、その副次的な作用として豊かな生物相も形作られた。米の副産物である藁・糠・籾も資源として社会に流通していたことから、表層では持続可能な社会であったように見える。
しかし、深層ではそういう社会づくりは実現できていなかった。村社会の中で、百姓は毎年、田んぼさえ耕していればいいというわけではなかった。新田開発により草肥を供給する共有地も田んぼにされ、自給できる肥料が足りなくなり、水田の持続可能性が危うくなった。金肥を施せば農業生産を維持できたが、金肥をつくるたに国内の山や海の資源まで投じられた。それどころか、強引な新田開発で生態バランスが崩れ(この時の森林伐採で土砂が流出し、それが海に出て海岸に大量の砂を堆積させた結果、それを抑えるために海岸に松原が植林されたという。日本の砂浜の松原は江戸期の環境破壊対策だったという)て、江戸中期からは水害や土砂流出の危機にさらされ、水田リスク社会という新たな難問に巻き込まれていった。一方、農村社会内部でも、金肥を調達するためには相応の費用がかかり、金肥を調達できる者とそうでない者の間に格差が生じ始める。金肥を調達できる者は生産量を維持し、できなかった者は生産量が低下するという循環が生じて、格差が拡大していくことになり、貧富の差がひろがり農村の共同体の維持も難しくなっていった。
ということで、水田に支えられた江戸時代の社会は、その根底において持続可能ではなかった。その根底が顕わになっていく、その転換点が、新田開発がピークに達した18世紀前半だった。
たまたま明治維新によって近代化政策に転換して、リン酸肥料や農薬の使用といった新技術が導入され(これで糞尿のリサイクルは崩れる)て、また輸出や産業化のための商品作物の生産が伸びるなど農業のあり方が変化して、結果的に産業として、かろうじて事業継続ができた、という。
なお、江戸時代の将軍や大名等の領主は、百姓が年貢として納める米を財源としていた。なぜ、米を納めたのか鎌倉時代には国内で宋銭などの貨幣が使われていたし、16世紀の日本は世界有数の銀産出国であった。石高の前段階で、年貢などを課す基準として銭に換算された貫高が用いられ、戦国大名は貫高をもちいて家臣団を編成し、これに応じた軍事動員を行なっていた。それなのに、江戸時代は銭から米に転じて石高にしている。一つの理由は兵糧米を確保する目的があったということ。秀吉が天下を統一していく中で、軍を率いるために膨大な量の食料が必要だったので、その確保のために年貢が必要だったという。しかし、その他に国際情勢の変化も大きな理由だった。銭の輸入先である明では、基準通貨が銭から銀に移行し始め、銭の発行・流通が不安定になった。これに南米産の銀の大量流入が追い打ちをかけた。明は銀経済圏になり。日本への銭の供給が説絶えてしまう。貫高から石高への転換が生じたのか、この頃だった。
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