稲葉振一郎「不平等との戦い─ルソーからピケティまで」(1Ⅰ)~第9章 ピケティ『21世紀の資本』
ピケティの『21世紀の資本』の論点は次のようなものだ。第一に、ピケティは人的資本の中での格差より、むし物的資本を持てる者と持てない者の格差の方に関心を集中させる。彼は従来の研究者が上位10%の富裕層の動向に注目して所得格差の主要因は大企業のトップ経営者の報酬に見られるように、労働所得の拡大であると論じていたところに、上位1%の富裕層に注目するならば、資産所得のシェアの急激な拡大は目を見張るものであると指摘した。第二に、人的資本に注目する潮流は、「クズネッツ曲線」的な歴史観に対して親和的だった。すなわち、市場経済のメカニズムそれ自体は、格差を拡大するとも縮小するとも一概には言えず、状況次第でいいろな可能性があるという。これに対してピケティはクズネッツ曲線それ自体に大きな見直しを迫った。クズネッツ曲線の背後に一貫した経済メカニズムや生産技術の発展傾向ななどがあるとは考えないで、市場経済は格差を温存ないしは拡大する傾向にあると考える。20世紀半ばの先進諸国での所得格差の縮小は、成長における人的資本のウェイトの拡大の成果であるという1990年代の不平等ルネサンスの考え方を批判する。彼は、これは純然たる政治的な力学の結果だという。20世紀前半の二つの世界大戦とその間の長期不況が、労働者大衆の戦時動員、戦争協力への対価として、また不況や戦災からの復興の一環として、本格的な福祉国家体制を西側先進諸国にもたらした。それ以上に重要なのは、このような福祉国家的政策を支える政治的意思決定中枢に、労働組合や労働者政党が組み込まれていったことだ。第三に、ピケティは20世紀におけるインフレーションの展開を重視している。インフレーションは資産価格を大幅に減価させることを通じて、分配の不平等を改善することに寄与したという。インフレーションは貨幣が大量に供給されて物価が上がるという現象が続くことだ。これにより貨幣価値は下がる。ここで重要なのは、借金、お金の貸し借りという債権債務関係において、インフレは借金の実質価値の目減りを引き起こして、債務者の返済負担を減らす。ここで、貸し手である債権者、つまり資産家や投資家から借り手である債務者へと所得移転が生じる。そして、最後に利子率>成長率という不等式は、理論的に必然的な法則性などではなく経験的に善く見られる傾向だということ。歴史的にみれば常態と言える。それが例外的に利子率を成長率が上回ったのが20世紀という時代だった。中でも目覚ましかったのが第二次世界大戦後の先進諸国の高度成長と、その後20世紀末のNIEsのような新興工業国の事例だ。これらの高度成長はインフレーションと合わせて相対的な格差の縮小、それ以上に絶対的な貧困の克服に大きく寄与した。戦後の西欧や日本の高度成長は、戦後復興、つまり戦争によって破壊される前への原状復帰を初期局面として含んでいたため、つまり物財や人命は失われても、知識・技術・システムは失われていなかったから、速かったのは当然だった。
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