稲葉振一郎「不平等との戦い─ルソーからピケティまで」(8)~第6章 不平等ルネサンス(1)─「クズネッツ曲線」以後
「クズネッツ」曲線(逆U字曲線)とは、経済史上に見られる傾向で、人々の間の経済的不平等、例えば収入や所得分配の不平等は経済発展とともに拡大していくが、しかし、そのペースはいずれ緩やかになり、ついには逆転する、というもの。1950年代にウクライナからアメリカに亡命したクズネッツが提唱した。この時、アメリカは高度成長、大量消費の時代で、ヨーロッパや日本は、この後、本格的な高度経済成長に突入し、格差の縮小に向かっていく。格差は解消されるわけではないが、高度成長は底上げの底辺部分まで含めて全般的な所得上昇を実現して行き、貧困問題を不運な少数者の問題にしていった。むしろ貧困問題は国内問題からグローバルな世界規模の問題である南北格差として捉えられるようになる。つれは経済成長が達成されるまでの過渡的な問題として理解され、分配問題というより、絶対的な生産力が足りないという生産問題、成長問題として捉えられた。
このような状態が20世紀末に変化する。先進諸国やキャッチアップを遂げた新興工業国において国内の経済的不平等が拡大し始めた。「クズネッツ曲線」の予測を外れる事態が起こりはじめた。これらの国では、高度成長がおわった1980年代頃から再び、所得格差の拡大が始まった。
新古典派経済学では生産、成長の問題を分配の問題と切り離すことで、不平等は問題とされなくなった。この生産問題と分配問題の分離に対する批判は、分配パターンが市場における生成と資本蓄積・経済成長に対して影響を与える可能性があるということを意味する。実証研究において、各国の不平等度と経済成長率との間には、負の相関関係が見られる。つまり、国内的不平等等が変化すれば、その国の経済成長率は低くなる傾向があると指摘されている。そこから、国内の経済的不平等が経済成長を停滞させているのではないか、反対に、分配を平等にしていくことが、成長率を引きあげる効果を持つので゛はないかという議論が起こった。
すでに見たように古典派経済学では、市場経済における底辺まで含めての所得の全般的底上げの可能性は強調されていたが、貧しい者と富める者との格差の縮小の可能性はそうではなかった。市場経済は不平等な分配をもたらすものであるし、むしろ不平等である方が、資本家に富が集中する方が経済はより成長すると考えていた。そして新古典派はニュートラルな立場で、様々な可能性を検討していた。これらに対してクズネッツ曲線は経済が成長することにより所得の分配は平準化していくと考える傾向だった。それは、市場経済はそれ自体に平準化の力があるという解釈と、市場経済の中で発生する不平等は市場経済とその外側との間で発生する不平等に比べれば小さいという解釈に分かれた。前者であれば、不平等をもたらすのは市場外的要因なのだから、平準化のためにそうした要因を取り除き市場の自由な働きを促進すればいいことになる。また、後者の場合は市場が不平等をもたらすのだから、積極的な市場への介入がなければ平準化は達成できないということになる。このいずれかという方向性ははっきりと決まらなかった。
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