ジョセフ・ヒース「資本主義が嫌いな人のための経済学」(4)~第2章 インセンティブは重要だ─そうでないとき以外は
経済学者は人間の行動の動機は私利私欲にあると信じていると言われているが、実際に彼らが信じているのは、人間の行動は無節操であるということだ。彼らは、それを、行動はインセンティブに支配されていると表現する。そして、しばしばインセンティブの外的要因をお金に限定してしまう。その原因の一つに、彼らが帰結主義を方法論の前提としてとこにある。帰結主義とは行動は結果によって評価すべきという考え方だ。一般論では、帰結主義は、人が最もしそうなことを知りたいと思うなら、過去ではなく未来へ目を向けるべきだという傾向を示すものだ。過去に約束や決定をしたであろうことより、この意思決定からどんな損得が生ずるかを考えるべき、つまり人が向き合っているインセンティブを検討すべきであるということだ。帰結主義について哲学者は、これを人が理想社会でどう判断すべきかの理論として用いる。それに対して、経済学者は実際に人がどう判断するかの理論として用いる。人間は現実には、そんな狭い判断の仕方はしない。そこで、経済学者は、例えばランズバーグは、人はインセンティブに反応するが、インセンティブにだけ反応するわけではないという。あるいはレヴィットやタヴナーはインセンティブを経済的なものに限定せず社会的や道徳的も含めて考える。
ランズバーグはインセンティブは重要だと言う。問題は、インセンティブだけが重要かということで、実際に、人は行動の結果だけではなく、行動を支配する基準も気にする。人は、ほとんど経済学者が主張するように行動することはない。経済学者がいうようにインセンティブが重要なのは確かだ。しかし、彼らはその重要性を過大に評価している。それを冷ますこととして、インセンティブだけが重要ではないということ、そしてインセンティブは途方もなく複雑であるといいうことをあげる。例えば最低賃金法は雇用者に対して賃金を上げさせることで、労働力の需要の減少および供給の増加を招き、その結果として実質雇用率は下降し、失業が発生するという経済学のシンプルな図式がある。しかし、労働市場は複雑で各個人が働くか否か、どれくらい、どこで働くかの意思決定は多くの要素に基づいてなされる。また、雇用者が労働力をどう利用するか、どのように雇用決定をするかと同様に複雑だ。だから、シンプルな図式に納まりきれない。最低賃金は生産性を向上させるという見方もある。つまり、人は愚かではないという最初に上げたポイントを忘れてしまうと、インセンティブの重要性の過大な強調が出てくる。大規模な社会のパターンは個人の選択の集積であり、その個人の選択は現地の背景や状況に敏感であるということだ。
以上のことから、人間心理はとても複雑で、経済学者まいうような人間の合理性やインセンティブへの反応についての仮定は、単純化しすぎたものだ。この過度に単純化されたモデルがよい結果を生み出すこともあるが、的外れな予測をすることもあるのだ。
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