生誕150年 池上秀畝―高精細画人(3)~第1章 「国山」から「秀畝」へ
少年期から「國山」と号して絵を描き始めた秀畝は、15歳で上京し荒木寛畝に師事、明治23年頃から「秀畝」と名乗ります。寛畝から写生の重要性を学び、その影響は秀畝の作品に深く根付いているといいます。
プロローグの「秋晴」「伏姫」のとなりに荒木寛畝の「狸図」がありました。荒木寛畝は秀畝が15歳の時に弟子入りした師匠です。この人は、狩野派の伝統を受け継ぐ絵師でもあるが、西洋絵画も学んだ人でもあるということです。そういうことで、この作品は油彩画です。それで、会場のなかで違和感アリアリです。場違いで、何でこんな絵があるのかと戸惑うほどです。この作品の狸は、一般的な日本画で描かれている愛らしい姿と違って、生々しいケモノです。陰影による立体感があるし、背景の空間もしっかりしています。全体に明るく、派手な色彩の作品が並んでいる中で、重く暗い色調で異彩を放っています。でも、これは参考として、このような師匠から、秀畝は西洋画の要素、例えば解剖学的な人体把握、遠近法的な空間描写など、を学んだということを示していると思います。あと、絵画ならなんでも、という好奇心の旺盛さを荒木から秀畝はしっかり受け継いでいると思います。
池上秀畝にもどって「日蓮上人避難之図」は、順番ではなく、会場では対角線の反対側に展示されていました。日蓮は、鎌倉の松葉ヶ谷に草庵を結び、精力的に布教活動を展開していたが、焼打ちに遭う。そこで、彼の命を救ったのが、日蓮がかつて修行した比叡山の山王権現の白猿たった。その白猿の案内で、日蓮は草庵のあった松葉ヶ谷から、名越の尾根伝いに逗子の「法性寺」の裏山の岩窟に逃れることができたということです。そういう日蓮の伝記の場面を描いた作品です。伝統的な物語絵巻のようではなく、まるで映画の一場面を切り取ったかのような躍動感に満ちています。しかし、日蓮の目線の画面右下に向けられた先には松の葉越しに遠く赤い炎が上がっているのが窺え、草庵が焼かれていることを示しています。心配そうに振り返る日蓮に対して左下の白猿は袖を引っ張り、右下の猿は後押しするように、退避を促しています。それぞれのポーズは計算されたものではあるのでしょうが、その姿態に躍動感があります。しかも、白猿の白くて分かりにくいかもしれませんが毛並まで細かく描き込まれていて、その緻密さは驚くほどです。猿だけでなく、松ノ木は割れた幹の皮や針のような葉まで細かく描き込まれています。その描き込みの凄さ!画面すべてが明解に描き込まれていて、まるで、全画面にピントがあったパンフォーカスの映画の場面を見ているようです。おそらく、秀畝という画家は描かずにはいられない人なのだろうと思います。余白とか余韻などといっている暇があったら、筆をとって余白を埋めるように描き込んでしまうひとなのだろうと思います。それが、いわゆる新派の近代日本画の西洋に対して日本的な「間」とか余韻を強調したのとは異質な方向性だったことは、この作品や同じ部屋に展示されていた「四季花鳥」といった作品が端的に示していると思います。ちなみに、この作品の日蓮上人の目に星が描かれているということです。少女マンガみたい。
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