ジョセフ・ヒース「資本主義が嫌いな人のための経済学」(2)~プロローグ
著者はSF映画で映しだされる未来社会に広告看板が溢れている街の光景に資本主義経済が当たり前に受け取られていることに驚く。このように資本主義経済が当たり前のようになっている。人々は、決して資本主義に満足し、安心して身を委ねているわけではないが、物質的な欠乏が減じたという実績は否定できない。じっさい、需要と供給のシステム以上に効率的に物がいきわたるシステムは思いつかないだろう。しかし、そこで、資本主義について正しく知らないまま、道徳的見地からは反対の意見を持っている人が多い。それは、資本主義の批判者を標榜する左派にも言えるし、資本主義を擁護し市場経済の推進を主張する右派にも言える。本書では、経済に対する誤解を、その生まれてくるところから見ていこうとする。前半は右派(保守、リバタリアン)の主張を、後半は左派(革新、リベラル)をとりあげる。その際に念頭におくべきこととして次のことをあげる。
・人はバカではない
社会には他人という自分以外にも自分と同じ程度にものを考えるものがいるということを忘れがちだということ
・均衡の重要性
経済学的な分析の中心となる概念は均衡という、色々な変化が行き着いて変化しなくなった状態と理解されている。人は変化に対応して行動を起こすから、均衡という状態はそれに相反する
・すべては他のすべてに依存する
市場経済は巨大な相互依存のシステムと言える。だから、発生した出来事の影響については、十分に関連を辿る必要がある。
・帳尻を合わせるべきものがある
例えば、誰かがものを売るときには、かならず別の誰かがものを買う。それは、ものを売る唯一の方法とは、それを別の誰かに売り渡すことだからだ。この等価の原則を忘れがち
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