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2024年3月21日 (木)

ジョセフ・ヒース「資本主義が嫌いな人のための経済学」(7)~第5章 すべてにおいて競争力がない─なぜ国際競争力は重要ではないのか

 国際貿易やグローバリゼーションを論じる際に国際競争力が俎上に上がる。そこには誤解がある。経済のすべてに競争力がない状態などありえない。たとえあるとしてもたいしたことはない。なぜなら基本的に貿易は競争関係ではないからだ。競争には勝者と敗者があるが、貿易というのは協力関係だ。もちろん取引の売り手、買い手のそれぞれの側のなかでは競争はあるが、売り手と買い手の間には競争はない。この点で競争はすべてが国内競争である。
 しかし、グローバリゼーションとは勝者が敗者を犠牲にして利益を独り占めするゼロサムゲームであるとの考えが広まっている。国際自由貿易の政策のひとつである自由貿易協定について、著者は最初反対したが、それは誤りだったという。その理由の一つは、貧民労働の誤謬のバリエーションだという。賃金の高いヨーロッパが低賃金のタイや韓国と自由に競争して勝てるはずがない。効率的に競争するために国は、少なくとも場合によっては絶対的に製造コストが安くなければならず、だから豊かな国は貧民の国との貿易から利益を得られるはずがないというもの。それは、ヨーロッパとタイや韓国が、両者以外の第三国に売り込みの競争をする場合だ。ヨーロッパとタイや韓国が貿易をする場合には、そういう第三国は存在しない。両者が相互に貿易を行う。ヨーロッパがタイの製品に関税を課しても、第三国にヨーロッパの製品が魅力的になるわけではない。関税などの障壁を設ければ、両国の間で貿易しにくくなり、それで利益が生まれるか疑問である。
 貿易は交換のシステムであり、すべての輸入は結局は輸出で支払われる。タイはものをくれるだけではなく、何かの見返りを求めている。輸入が輸出を超過するとき、それは外国が過去より多くのわが国の通貨を保有しているから、今年の輸入が輸出を超過したというにすぎない。結局はどうかして輸出で返済しなければならない。相手も馬鹿でない。わが国の通貨は欲しくないのだ。財が欲しいのだ。だから、ヨーロッパの工場が閉鎖になり、オーナーが製造をタイに移転するとして、必ずしもヨーロッパの雇用に純損失があるわけではない。ヨーロッパの工場で作っていたのが何であれ、製造を中止するが、今やタイから輸入するようになった財の支払いのために、他の製品をもっと製造していなければならないからだ。

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