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2024年3月21日 (木)

ジョセフ・ヒース「資本主義が嫌いな人のための経済学」(8)~第6章 自己責任─右派はどのようにモラルハザードを誤解しているか

 右派の多くは、自らの政治観を私利の表明だけではなく、より幅広い道徳上の責務から生じたと考えているように見える。福祉政策や公共サービスの削減、消費者保護や姿勢監督をゆるめること、環境に対する人間の行為の影響を無視することは、自分たちにとって好都合なばかりか、道徳的な義務だと思っている。
 右派の政治イデオロギーを優位にするものは、自己責任の正しさを信じていることだ。彼らは施しものを求める人を見ると、自然に財布に手が伸びるのではなく、立ち止まって自問する。「どうしてこの人はこうなった?」そして「夕食代を出すのが、なんで当人の責任じゃなくて私の責任なんだ?」と。施しを恵んでやることは、自己責任の問題を無視し、無責任な行動を促すことになり、ひいては社会の道徳の基礎を崩すことになる、というわけだ。このような自己責任の要求で反応しているものは、経済学ではモラルハザードと呼んでいる。
 モラルハザードとは、もともと保険業界の用語で、そこでは災難にあったときに備えて十分保険をかける人ほど災難にあいだちだ。火災保険をかけた人は火事を起こしがちで、健康保険をかけた人は多大な医療費用がかかるようだ、と。ここでの問題は、物事が自己責任の範囲外に出されることだ。個人の損失が他の誰かの問題になる。すなわち、個人の行動のコストを外部化できるようにする。その結果、コストが上昇して、保守派の感情を害することになる。しかし、だからといってすべての保険を捨て去ることはできない。
 自己責任の要求とは、モラルハザードへの対応としての自己保険の要求である。しかし、自己保険には費用も便益もある。そこで保守派による自己責任の要求は、費用便益分析の価値を損なうことになる費用計上かつ便益無視の誤謬に陥る。民間の保険制度が生み出すモラルハザードの問題を無視することになる。
 しかし、保険は経済全般の潤滑油だ。あらゆる取引、経済活動のコストを体系的に下げる。おかげで他人のたにさまざまなリスクをとったり、保険による補償がなければ経済的に実行不可能な様々なことができる。もし保険がなかったら、乗じ着物の配管工は水道管を修理してくれず、食料品店は肉を売ろうとせず、医者は健康診断をしてくれない。そして、ほとんどすべての品が手ごろな値段にならないことだろう。取引の価値はともかくとして、不都合があったときに生じる損害と比べて低すぎるのだ。
 保険は単純な仕組みだが、保険のもたらす便益はとらえにくい。市場取引と違って、型通りの交換の利益を生み出すものではないからだ。標準的な経済取引では、互いの選好が異なることから両者の利益となる。或る人が自分ものよ相手のものを欲しいと思い、相手も逆のことを思っていると、交換が完了したことで両者は満足を得る。それに対して、保険は大数の法則とよばれる現象から相互利益を生み出す。これは選好の相違によるものではなく、ほぼ同じ状況にあり、同じ選好を持つ二人が、両者ともさらされている特定のリスクを持ち合いとすることで互いに利益を得られる。そこでは何も交換されず、金銭のやり取りがなくても、便益は生み出される。そこでは、二人は同じくらいの確立で特定の災難に遭いそうだが、両者が同時に襲われる確率はそれより低くなる。だから、共通の損失の総和を分けることに合意すれば、それぞれが大きな損失の起こる低い確率に置き換えることができる。
 例えば、狩猟社会では狩りに失敗すれば食物を得ることができず飢餓のリスクにさらされている。そこで、10人の狩人が、お互いにその日その日で幸運だったものが不運だった者に獲物の一部を分けることにする。これは保険の原始的な形態だ。結果として分散が生じる。狩り自体には変化はなく、全体で食べられる獲物の量も変わらないが、リスクの共同管理により飢えの脅威が軽減されることになる。生存水準すれすれを切り抜けることも多い伝統的な狩猟・採集社会では、交換の利益よりリスク共同管理の方に関心が集まる。この社会に広範な食物分配や贈与のネットワークが存在するのは、このことの直接的な帰結である。このようなネットワークの存在こそ、現代の資本主義から利他的で、共産主義的な印象を与えられている。共有や相互扶助は単に利他的な心情に基づくとは限らない。従来から社会主義的と呼ばれるものは、平等な分売の公正よりも、リスクの共同管理によるところが大きい。
 狩人の例に戻ると、リスクの共同管理がなければ、10人は各自で獲物を得られなければ飢えるわけで、インセンティブは適正に付与されていたわけだ。しかし、相互扶助となったことで、狩人のひとりがサボっても飢えることはなくなることになる。これにより全体の収穫が減少する、リスク共同管理のしくみを設けた結果として、飢餓が再び起こるかもしれない。それかモラルハザードの効果でもある。だからといって、相互扶助をやめるべきだというのではない。現実的にはリスク共同管理の便益と、そこから生じる費用とを秤にかける。モラルハザードをすべて取り除くことはできないので、管理対策をたてる。つまり、モラルハザード効果が生まれることを認めた上で、より広範なリスク共同管理の便益と費用を秤にかける。
 右派の自己責任の推進、保守主義者たちによる政府の援助は自律の精神を損なうという非難に隠された誤謬は、保険制度の一般的な問題を道徳の問題にしていることだ。補償(援助)はモラルハザード(無責任)を生じがちだというわけだ。彼らが認識し損ねているのは、モラルハザード効果はあらゆる保険制度に共通する特徴だ。彼らは社会的セーフティネットを批判するとき、いつも同じ間違いを犯す。社会的セーフティネットのモラルハザード効果と、まったくそれがない場合のモラルハザード効果とを比較するということだ。後者が勝つのは当たり前で、これは費用計上かつ便益無視の誤謬だ。ここでは、まったくセーフティネットをしない場合の損失が見落とされている。

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