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2024年3月10日 (日)

佐藤康邦「絵画空間の哲学─思想史の中の遠近法」(3)~第2章 科学革命と遠近法

 ここでは、絵画の遠近法が科学における空間や視覚の解明とどのような関係を結んでいるかを見ていく。
 幾何学的な遠近法に従って平行線を一点に収斂するように描いた場合、その一点、すなわち頂点は無限遠の場所を意味する。これを数学的に解明したのは17世紀前半の射影幾何学だが、15世紀初頭の神学者コニラウス・クザーヌスは宇宙の無限性や地球の円運動について語っていた。ただしこれは、科学的な知見によるものではなく、神学上の思弁、万物を神の展開されたものとして捉える汎神論的思弁によるものであった。それは、小さな画面上に二本の平行線が一点に収斂する消点を示すことにより無限遠の距離を表わす遠近法絵画への対応するよすがとなった。この無限概念はルネッサンス末期のジョルダーノ・ブルーノによる宇宙をまったく等質で無限な広がりを持つものと捉えるところまで進む。そしてガリレオによる、空間を無限に連続する均質な組織として取り扱い、数的な比例関係によって処理するという考え方に至る。これは幾何学的遠近法の前提となる考え方である。
 遠近法技法の空間把握に対応し得るものは、視覚についての解明にも見ることができる。遠近法の視覚ピラミッドによる視覚の客観的解明への歩みは、ケプラーやデカルトによって解剖学的、光学的裏付けを与えるところまで進む。デカルトは『屈折光学』において、スコラ哲学の「志向的形質」の概念を排除して、視覚をただ光線の作用としてのみ理解する。外界の対象から発せられた、あるいは反射された光は、我々の眼の水晶液に満たされたレンズ状の部分を含めた三重の膜を通過して眼底の膜(網膜)に達し、そこに対象の倒立の像を結ぶ。この光線による刺激は動物精気によってふくらまされた神経管中の繊維を伝わり、脳の一点、すなわち思惟する実体の座す一点に到達する。そこから、我々は対象の姿を読み取るのだが、その際、デカルトは眼底に映った像が実際の対象にあまり似ていないことに注意を促す。それは遠近法どおりに描いた絵画と同じで、遠方の物体はひどく縮小して見えるし、斜め上から見られた円盤は楕円形に歪み、平行線は一点に収斂する日本の線分のように見える。にもかかわらず思惟する実体は、ここから対象のほぼ正しい形や大きさ、さらにほぼ正しい眼から対象への距離や対象に向かう角度についての知識が相互に支え合う形で、対象の認識に到達する。それというのも、見る主体が眼ではなく心であるからだとデカルトは説明する。
 以上のことから、イタリア・ルネッサンスの画家たちによって探究されて来た遠近法的空間が、科学革命の時代に成立した数学的、機械論的自然観を支える空間や視覚の理論に先駆ける位置にあることが明らかとなった。遠近法に従う絵画で探究されたことは、空間と視覚とを客観化すること、すなわち閉ざされた経験や習慣に従うのではなく、無限についての新たな把握を含む数学的な手続きと実験的手続きをもって、外界の客観的な像の再現を図るものに他ならなかった。

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ジャズのページを読みに行ったが、読みにくい。
改行せよ。

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