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2024年3月18日 (月)

ジョセフ・ヒース「資本主義が嫌いな人のための経済学」(5)~第3章 摩擦のない平面の誤謬─なぜ競争が激しいほどよいとは限らないのか

 ここでは、「次善の一般理論」という論文がアダム・スミスの「見えざる手」が正しくても、今日的な意義はない。それは経済のどこかで完全な効率性に求められる条件が一つでも破られたら成立しないからだということを示した。次善またはほぼ完全な競争市場が、非競争的な市場よりは効率的であろうと考える理由はなない。さらに、完全効率性の条件の一つが破られた場合に、できるだけ完全に近い効率性を達成する唯一の方法は、あえて完全競争市場に求められるルールをさらにいくつか破ることだと主張した。
 経済学者が効率性という概念を一般的な意味とは違う使い方をする。一般的には手段について効率的かどうかを云々するのだが、経済学者は結果が効率的か非効率的かを語る。他の誰かが満足度を下げなければ、ある人の満足度を上げられない結果が効率的と称される。専門用語でバレート最適という。反対に、他の人の条件を悪くしなくても、ある人の条件を改善できる状態は非効率的ということになる。
 この効率性の概念と取引の効用には密接な関係がある。例えば、パーティに集まった子供たちにお菓子を分配するとき、それぞれの子供には好き嫌いがあり、満足度に差が生じるだろう。そこで市場原理を導入して、子供同士で押しの交換を自由に行わせれば、結果は完全に効率的になる。これは「見えざる手」のシステムだ。全員の好みにマッチした理想的なお菓子の配り方をするためには、手の込んだ計画など必要ない。ただ、皆に自由に取引させるだけ。自分がしたいと思うときだけ、お菓子を交換する。この種の私利を求める行動こそが最も効率的な結果を生み出すのに必要となる。
 だからといって、これが自由放任経済でそれが当てはまるとは言えない。個人の交換と交換で構成された完全経済となるためには、かなりの条件をクリアする必要がある。その条件とは、規模の経済があってはならない(大量生産に優位性がない)、需給の決定に価格が影響される可能性も取引費用もあってはならない、将来の不確実性も情報の非対称性もあってはならない、そして外部経済があってはならない。このような条件は、現実の世界で成立するとは考えられない。
 科学的理論では理想的な条件下での結果に基づき法則を導いていく。現実世界に応用するときは、その理想をどの程度まで満たされていくか次第で、予測とはやや違う結果になることだけを念頭においてゆけばよい。現実の世界がニュートン力学の理想の世界に似ていれば似ているほど、観察結果は理想のモデルの予測結果に近くなる。特定の科学的理論に用いられるモデルを、非現実的というだけでは反論にならない。現実の世界のある面を単純化して表わすモデルを開発する目的は、全体を構成要素に分けて、常にすべてのことを検討するのではなく、観察された特定の現象の原因とかっている力だけを切り離して論じられるようにすることだ。これは「摩擦のない平面」手法と呼ばれる。科学に「摩擦のない平面」のような理想化を用いることは何の問題もない。物理学や幾何学であれば、条件の理想化を満たせば満たすほど、現実世界の結果は理想に近くなるが、経済学の完全競争に関しては、完全ではない範囲で条件を満たせば満たすほど、完全効率性の理想からは遠ざかってしまう。例えば、国際的な自由貿易は、貿易制限のない世界が効率的で繁栄する。そこから進んで貿易制限の少ない世界は、貿易制限の多い世界より効率的だ゛ということにはならない。貿易制限のない世界で、もし一国でも貿易障壁が実施されたなら、他の国は貿易への干渉ことが効率性を高めるだろう。

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