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2024年3月30日 (土)

生誕150年 池上秀畝―高精細画人(2)~プロローグ 池上秀畝と菱田春草─日本画の旧派と新派

 会場は美術館の1階と2階に分かれて、1階の展示室では、このプロローグ、第1章、第2章の展示にあてられていましたが、スペースの制約があって、屏風をはじめとした大作のいくつかで展示室がいっぱいになってしまうようで、各章の説明のパネルは大作の展示の隙間に挿入されているような、展示作品に番号が振ってあっても、その番号が33→1→3→5→69→17というように飛び飛びで、順路とか関係なくなっている。それで結果として、ひとつひとつの作品に、それぞれ向き合うことになる。そういう展示でした。これって、ひとつひとつの作品に驚いてほしいという展示側の意図なのでしょうか。この展覧会は、そう勘繰りたくなるような、美術館の人々の思い入れが随所に感じられるような展覧会だったと思います。
Ikegamiakibare_20240330234401  さて、主催者あいさつにあるように、同郷、同い年ながら、秀畝は長野県の商家出身で、画家の家系に生まれ、15歳で荒木寛畝に師事したのに対して、春草は飯田藩士の家系で、15歳で上京し東京美術学校に入学。二人はそれぞれ徒弟制度と学校制度という異なる教育を受け、秀畝は旧派、春草は新派の日本画家として成長した、と対照的な存在に映ります。その二人の作品が並べられて展示されていました。ただし、これって、単に並べただけではないの?作品に並べた意味があるの?両作品の共通性?関連性?対照性?まあ、それぞれの作品はよかったので、そういうことでしょう。
 「秋晴(秋色)」という作品です。並べて展示されているのは菱田春草の「伏姫(常磐津)」という作品です。春草の「伏姫」は『里見八犬伝』という物語の人物を描いたのに対して、秀畝の「秋晴」で描かれているのは市井の人物です。おそらく、秀畝は実際に機織りをしている人をスケッチしているのでしょう。この機織りをしている女性の描かれているのをみると、旧派という伝統的というニュアンスとは違った印象を受けます。図式的でないのです。後の美人画のような図式化をより進めた記号のような人物ではなく、現実感があり、動きがある。後ろ姿で顔が見えていないからかもしれません。横に展示されている春草の作品の方が古色蒼然としているのです。しかも、画面は遠近法的です。ただし、画面全体の構成が現実にはありえない、いわばご都合主義的に並べられているので、現実感は無いのですが。
 Ikegamifusehime 春草の作品が朦朧体で霧のなかに人がいるようなうすぼんやりしているのに対して、輪郭をはっきりと線で区切られて、それが画面全体の細部にまで及んでいます。そういう明確さは、秀畝の特徴ではないかと思いました。
 これに対して菱田春草の「伏姫(常磐津)」は、想像上の人物である伏姫が画面中央に描かれていて、画面のほとんどが木、湖面などの自然物で覆われており、画面の大きさに対して人物が小さく配置されています。しかも、彼女は平面的で図式的ですらあり、存在感が稀薄です。輪郭線は薄く描かれ、湖面に映る姿は曖昧に描かれています。画面のほとんどを占める木などの輪郭線も曖昧に描かれて、モチーフが画面上部に集中していて、不安定な構図になっています。それが、薄ぼんやりしていることもあって、伏姫という存在の儚さ、幻想性を際立たせています。秀畝の作品が現実の風景を物語絵巻のようにご都合主義的な画面にしているのに対して、春草の作品は物語の場面を現実の風景のように描いています。そういうところは対照的かもしれませんが、これは新派と旧派というよりも、二人の画家の資質の違いではないかと思います。

 

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