ジョセフ・ヒース「資本主義が嫌いな人のための経済学」(6)~第4章 税は高すぎる─消費者としての政府という神話
人は税金が嫌いだというが、それはお金を払うのがきらいだということの特殊な例にすぎない。なのに、人々は税金だけは他と区別されることに、著者は驚く。それを消費者としての政府の誤謬と呼ぶ。それは、医療、教育、国防その他の政府サービスは、私たちの社会にコスト負担させる。私たちがそれを払えるのは、もっぱら民間部門で生み出す富ゆえだ。それを税金という形で政府に譲与する。経済に重税を課す政府は目先の利益にとらわれて財源を失うとして非難される。政府サービスの提供のために、自らが依存している富を生み出すメカニズムを妨げているというのだ。このようにして、政府は富の消費者のように扱われ、民間部門は生産者のように見なされる。
しかし、国家が生み出す富の大きさは市場のそれと全く同じである。国民が富を生み、国民が富を消費する。国家や市場などの制度は何も生産も消費もしない。これらが構成するメカニズムを通して国民が富の生産と消費を整えるのだ、さらに、人が生産するものの価値は誰がその給与を払うかは関係ない。警備というサービスは、その人が警察官とよばれる公務員か、ガードマンと呼ばれる民間の警備会社からかかわらず、国家の真の富に同じだけ貢献している。
多くの人が経済制度を人間のように扱う傾向がある。政府に払わせるという表現は、友人や隣人に払わせることと同じだと理解していない。
右派がいうように20世紀に国家は劇的に大きくなり、社会的支出が増えた。そこには国家の質的な変化がある。それを福祉国家と呼ぶ。この場合の福祉は公共財といった方が誤解が生じないだろう。国家が巨大化したのは、市場だけでは届けられないタイプの財である公共財を提供する立場に置かれたからだ。公共財とは、誰もこれを享受することを妨げられず、誰かひとりの消費が他の人の消費を減らすことのないものだ。
課税によって資金確保して国が提供する財には、最適共有グループが反映されている。最適共有グループが全員であるのが、国防や警察消防、上下水道、道路網などで、これらの財は国が提供する。警察は原理的にはコンドミニアムの警備員と変わりはない。税という形でのサービス料の支払いは、コンドミニアムの料金が義務付けられているのと同じように義務的だ。つまり、便益が他と比べて、この便益享受から特定の人を排除するには法外なコストがかかるという理由である。保険、つまり健康保険や社会保険もそうだ。
そうであれば、税金は本来よくないという見方、税率は低い方がいいという考え方が誤りだということが分かる。課税の絶対的基準は重要ではなく、重要なのは個人がどれほど公的部門から購入したいか、そして政府がどれだけの価値を届けられるかだ。政府は徴税した金を消費しない。政府は私たちが支出を構成する他の手段に過ぎない。この点で税制とは共同購入の一形態である。だから問題は、税がよくないと一律に決めつけるのではなく、最適共有グループの形成から生じる便益が、その共有の取り決めに伴う費用を上回るかどうかだ。
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