ジョセフ・ヒース「資本主義が嫌いな人のための経済学」
10年以上前に読んだはずの本の再読。以前に読んだ記憶が全くない。自宅の本棚(というより本の置き場)を漁っていたら見つけた本。置き場にあるということは、一度読んだことのある筈の本のはずだが、こんな本があることすら覚えていなかった。
新聞の経済欄などで半可通の経済知識(先入観)に対して、「それは本当か?」と考え直す。著者は経済学者ではなく哲学者。だから、経済学の概念や数式を用いずに通俗的に経済の常識とされていることを由来に遡って考え直す。例えば、保守派の新自由主義の前提とする「神の見えざる手」は現実にありうるのか、完全競争市場という抽象概念は自然科学のモデルと同じように扱えるか、あるいはリベラル派に対して利潤追求は道徳的に許せないか、公正価格を理念から決められるか、といった学説の前提となる考えに対して、「それ本当?」と問いかける。というのだが、分かりにくい。ひょっとしたら、著者自身も正しい理解をしているか疑問に思われるところがある。説明には具体的な例示が頻繁になされて、一見取っ付きやすいのだが、その例が何の例なのか判然としないケースが少なくない。また、著者は結論を明言せずに、例をあげて、その例から読者は察して下さいという体裁をとっている場合が多い。それが、明確に結論を言えなくて逃げているように見えるところがある。全体に表現がストレートでなくて、持って回ったような語り方で、時には論点をぼかしているように見えるところもある。それで、何の例なのか分からない例示があると、読んでいて難しいなと思う。少なくとも、経済学の正しい知識をある程度持っていないと、ちゃんと読むことができない本ではないかと思う。
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