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2024年3月10日 (日)

佐藤康邦「絵画空間の哲学─思想史の中の遠近法」(4)~第3章 遠近法の世界観的意義

 ここでは、遠近法にル絵画をその世界観的意義という観点から把握し直す。
 ルネッサンスに先立つ中世キリスト教美術の非遠近法的性質というものが、実は画家たちは遠近法を十分に知っていて、あえてそれに背を向けたということに由来するものだという。彼らは、中世の世界や人間についての独特の考え方の要求に従った。それは。古典古代の仮象の肯定という世界観が力を失ったところから始まる。古代ローマがキリスト教化されると奥行きの表現は写実的な身体の肉付けともども後退した。皇帝の肖像は、神の代理人としての皇帝を中心とした神聖なる階層的秩序に比べれば、移ろいゆく仮象の再現など何の価値もないというわけで、図式化されていった。絵画空間の神聖化が図られ、写実的な描写が消し去られて行った。一部で遠近法は逆転した形となった。このような様式の頂点がロマネスク美術に見出される。ロマネスク絵画に見られるのは、三次元的な奥行感を感じさせるものを徹底的に画面から消し去ろうとする堅固な意志であり、そこから生まれる造形的集中力である。例えば、ヴィックのサン・マルタン教会の『イェルサレム入城』の著しくバランスを欠いた身体表現、見開かれた眼、鋼のように強い輪郭線、強調された衣褶のリズムなどの様式化は、奥行きのない平版な画面ではじめて可能となる。個々には、徹底した現世拒否と彼岸志向の姿勢が示されている。この不合理ともいえる画面には西洋精神の奥深い本性を現わしていると著者は言う。そこには、我々の心をゆさぶって、死についての想念とか、この世界の悲劇的性格についての想念を呼び覚ます何者かがある。
 しかし、ルネッサンスはこれを捨て、再びギリシャ精神を蘇らせた。中世キリスト教絵画の成立過程とは逆に、遠近法の成立の過程は、絵画空間の世俗化の過程でもあった。それは、生身の人間が、自らの住む空間と網膜像を肯定するところから始まる。ルネッサンスの1世紀前にジオットが出現とともに、それまでとは異なった新しい世界が開かれた。パドヴァのアレーナ礼拝堂の『イエスの生涯』の壁画で描かれた空間は三次元の奥行を示し、そこでは生々しい人間のドラマが繰り広げられる。中世の絵画のような正面を向いた紋切り型のポーズの人物はいない。すべて内発的な意志と感情に従ってかがんだり、横を向いたり、身体をねじったり、また後ろ姿を見せたり、その場にふさわしい動きを示すように描かれている。それが短縮法による空間の三次元的表現と結びつき絵画的空間の世俗化への第一歩が明瞭に印された。
 そして、絵画の世俗化は、ルネッサンスの最盛期になると、聖母子の頭上から聖性を象徴する光輪を除き去り、聖性はただ無限に柔らかで、微妙な凹凸よりなる肉体表面の美によってのみ無表現されるところまで進む。
 以上は、遠近法の持つ啓蒙的、進歩的、側面の要約であり、これまで定式化されてきたルネッサンス解釈である。これに対して、著者は違った観点を提示する。それにより遠近法の世界観的意味を深く掘り下げて把握することができるという。
 ジオットによるパドヴァのアレーナ礼拝堂の『イエスの生涯』から一直線に遠近法が進んだわけではない。ジオット以後の画家でも短縮法のかかわりを極力回避する図式的な作品で優れたものを残している。
 また、イタリアから遠く離れたフランドル地方では15世前半にファン・アイク兄弟たちが現われ、例えば聖母子を描いた作品の中で、場違いであることをおそれずに、その背景にフランドルの壮麗な都市の景観が描かれた。住居や教会や他のもろもろの建物、港、橋、帆船に至るまで都市、人間の多彩な活動の場であり、遠近法もまたそこで誕生を見ることができた都市の光景が驚くほど細密に描かれた。彼らにおいては、神聖なるものに触れるのも、自らの身辺の細々した事物を通じてのみ可能だと思われたのである。ここには、遠近法による空間の世俗化と言い切れない何者かがそこには漂っている。
 例えば、ヤン・ファン・アイクの『ファン・デル・バーレの聖母子』では、一見完璧に見える遠近法において、床と天井を構成する平行線の消点にずれがある。これは彼の未熟さによるものではなく、彼の芸術の本性に根ざす意味を持っている。彼らが生きたのは最後の中世的宮廷「ブルゴーニュ公国」支配下のフランドルであり、そこには近世へと向かってゆく新しいものと、中世の古きものが分かちがたく混在していた。ファン・アイクも中世的なものを引きずっているのである。したがって、彼の細密描写、遠近法の工夫、一点の濁りもとどめぬ色彩からなる画面は、たんに現実の忠実な再現ということを越えて、見る者に一種名状しがたい情調を感じさせるものとなっている。それが、彼の作品における遠近法の消点のずれが対応している。
 同じように、イタリア・ルネッサンスを見ると、例えば、パオロ・ウッチェロの描く馬は極端な短縮法と単純化が施されて木馬のように見えるし、斜めから見られた室内は遠近法を強調するあまり、ひどく歪んで見える。しかも、そこにシルエットのように平板な人物が描かれたりする。彼のように遠近法を突き詰めていくと写実を突き抜けて抽象的なものに見えてくる。
 あるいは、ピエロ・デラ・フランチェスカの作品は、厳しい形態の単純化のゆえに、ルネッサンスを突き抜けてキュビスムにつながるものを感じさせる。このようなことは、盛期ルネッサンス、例えば、レオナルド・ダ=ヴィンチにも言える。
 遠近法の技法の開発による奥行き表現の探究はルネッサンスの絵画を生み出したが、さらにそれを変質させ、次の近代の絵画の様式を生み出す原動力ともなった。
 著者は、以後の絵画を見ていく。
 ルネッサンスの次の世代の様式、マニエリスム、例えばティントレットは主な平行線の消点を画面の中央から片隅に移し、そのことによって激烈な渦巻運動を作り出して独特の熱っぽい効果を高めた。このように、マニエリスムやバロックの絵画は、ルネッサンスの絵画により見られるように主な平行線の消点が画面の中心に置かれる構造上の不自然さが克服され、より自然で柔軟な空間表現が可能となった。それに加え、色彩について固有色への従属が絶対的ではなくなり、微妙な光と影の色の戯れの表現への道が開かれ、デッサンにおいてデフォルメが行われるようになり自由な運動感が表現できるようになった。これらは、けっしてルネッサンスの否定ではなく、ルネッサンスの表現力の拡張を目指すものであった。ここでは、ルネッサンスの理想主義は後退するが、代わりに、世界の多面的な姿についてのより強烈な現実感を伴った客観的表現が可能となった。それは同時に、画家の個性に深く根差した主観的表現の道も開かれたのだった。
 同時代にはデカルトがいる。デカルトの数学的自然観の前提には、思惟する自我についての果てしない省察があった。世界が、思惟する自我の打ち立てた合理的な前提の前で透明になるにしたがって、自我の内面に無限の陰影が生まれる。このような思想のあり方に対応する芸術として、著者は17世紀オランダの画家レンブラントをあげる。レンブラントの筆を通じて、人間のうちなる天使的なものと獣的なものとは、白日のもとにさらけ出される。そこで描かれているものは、たとえばルネッサンスの絵画に見られるような人間の様々な典型、高貴な者、下劣な者、賢き者、愚か者、美しき者、醜い者といった者の典型であるわけではなく、箒を抱えた女中であろうと、死に近きユダヤ人の老人であろうと、その眼差しは誰にも逃れることはできない人間の条件を見つめているようであり、生の喜びのうちにある人間の姿を描いても、そこには常に慎ましい内省の影が差しているように描かれる。その一方で、アブラハムを訪れる天使はまるで腹をすかした乞食の老人のように描かれる。レンブラントは多数の自画像を描いたことで知られているが。そのことは彼の芸術の特質を物語っている。その一連の自画像の中で、自我への果てしない問いが繰り広げられる。このただ人間の肉体の表面を描いたにすぎない画像において、言葉では語り尽くせぬ思想が表われている。
科学(学問)と芸術との対応が語られたとしても、同時代の科学的発見や技術的発明が単純に芸術技法に転用されるという水準で捉え切れるものではない。バロックの巨匠の絵画は、自然のさまざまな構造を明らかにしていく精神、それだけでなく国家の構造さえも経験と合理的原則に基づいて明らかにする精神の無対応物として捉えられる。遠近法による空間の世俗化は、バロックにおいて爛熟の域に達する。しかしまた、爛熟の域は崩壊によって受け継がれる。つまり、遠近法からの逸脱が始まる。

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