無料ブログはココログ

« 鷲田清一「所有論」(3)~2.所有と固有 | トップページ | 鷲田清一「所有論」(5)~4.所有と労働 »

2024年4月20日 (土)

鷲田清一「所有論」(4)~3.ロックの問題提示

 まずはロックの所有権論から始める。ロックは『統治二論』において、自由主義と民主主義を基礎とする市民政府の政治原理を説く一方で、あらゆるものが商品として流通し、交換される資本主義的な市場社会を基礎づける議論を行った。このようにロックの個人主義、自由主義的思考を現代の新自由主義につながるという解釈もあれば、もう一方では逆に、ロックの所有権論を資本主義的な市場論理への批判と解釈もできる。ロックの理論はこのように大きく引き裂かれ、正反対の方向に揺さぶられてきた。そのひとつの理由は、ロックの時代が自由主義的伝統の揺籃期にあたり議論の成熟には至らなかったこと、そして、この書の書かれた当時の政治的状況の影響もあるという。著者はロックの「所有論」には、これまで述べてきた課題のすべての萌芽が見られるという。
 ロックの所有権論は、次のようなものだ。「自然の諸物は共有物として与えられているが、人間は(彼自身の主であり、また、自分の身柄およびその活動の所有物であることによって)自らのうちに所有権の偉大な基礎をもっていた」というものだ。ただし、これには二つの重要な条件が付く。ひとつは労働という手段によって、他人の共有状態を排除するということ。もうひとつは生活の便益のために自分の労働によって所有権を定めることができる。つまり、ある事物が誰に所属するかは、それを誰が作り出したかによって決まる。事物は、神によって共有ものとして与えられたものからそれを取り出した者、もしくは作り出した者のものである。なぜなら、そこに持ち込まれたような「労働」をなす身体は、その身体を用いたその人のもの、その人に固有のものだからである。つまり、人が自身の身柄に対して有する所有権にあらゆるものの所有の根拠があるという。人は生まれながらにして、自らの身柄に対して、自分だけの、つまり他者を排除できる所有権を有しており、その身柄のものとしてなされる労働によって、その労働の所産であるものにも所有権は拡張されていく、ということ。ただし、これは無制限に認められるのではなく、それには厳格な制限二つ付される。ひとつは他人に十分なものが残されていること、もう一つは労働によって自らのものとなったものを破壊したり、腐敗させたり、浪費しないことである。これは他人の所有権を侵害しないことと、共有のものとして神から与えられたものから生存の便宜を引き出すべしという神慮にそう努力をすべしということだ。
 この論点の背景には、次のような思考のモティーフがある。第一に、自己保存、つまり各人が自己の存在を維持することが、人にとって究極の懸案であって、そのためには生存を可能にするもの、すなわちプロパティが自分のものとして手許になければならない。それを自らに固有のものとして保持する権利を自然状態に求めなければならない。つまり、各人は自分の生命を保全する権利を持つという公準。第二に、この所有権の根拠は各人のうちにあるとする。それは労働、つまり、各人が自ら投下した労働がその人のものであって、他者からの承認をまつまでもなく成り立つとする。所有権こそが、個人が生まれながらにして自由であるという事態を裏打ちしている。要するに、労働は労働するその人自身のものであるという公準。第三に、このような排他的な所有権は、たとえ自然状態にあっても互いに衝突する。自然状態では、その対立や衝突を調停すべき共通の裁定者は存在しないので、各人の所有権を保全するためには、他者からの自然法に対する侵害を処罰する機能を共同体に委譲して市民社会を構築する必要がある。つまり、所有権は最終的に「市民社会」の存立を要請する。
 このようなロックの主張に対して、著者は、ロックが最初に前提にしている「共有のもの」は、もはや現代には存在せず、現代ではあらゆるものが誰かのものとしてある。しかしまた、基本的に彼の考え方、とくに労働所有論は、現代に深く浸透している。労働所有論は合意所有論と対置され、西欧近代の所有論はこの二つの考え方を軸として展開してきた。彼の労働は労働する者自身のものであるがゆえに事物はそれを作り出した者のものであるという考え方は、資本主義的な所有論とそれを批判したコミュニズム的な所有論の論拠となってきたものでもある。
なお、ロックの説明について概念が曖昧で派生的な問題をいくつも生んでいる。その中には所有権の内容についての本質的なものも含まれている、と著者は言う。

« 鷲田清一「所有論」(3)~2.所有と固有 | トップページ | 鷲田清一「所有論」(5)~4.所有と労働 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 鷲田清一「所有論」(3)~2.所有と固有 | トップページ | 鷲田清一「所有論」(5)~4.所有と労働 »