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2024年4月15日 (月)

前田啓介「おかしゅうて、やがてかなしき─映画監督・岡本喜八と戦中派の肖像」

11113_20240415233901  映画監督、岡本喜八の評伝。岡本喜八は、東宝を担った商業的作品、いわゆるプログラム・ピクチャーを量産した監督。私にとっては、映像に躍動感が満ち溢れていて、マキノ雅博とは方向性は異なるがスタッフや俳優といった関係者が楽しんでいることが見ている側につたわってきてそれで観客も楽しんでしまうような作品を量産した人だ。助監督時代、ある有名な監督の下で、作品の予告編の制作を任されて、本編より面白いものを作ってクビになったという伝説もある。それも、ありそうだと納得してしまうような監督だった。本書では、岡本は、ちょうど太平洋戦争時に青春時代をおくり、本人は本土決戦の迎撃部隊で死を覚悟していたし、同級生の半分以上は戦死したという戦中派だった。その時、死ぬのはしょうがない、死ぬんだと誰でも思っていたという。ただ、彼個人としては何のために死ぬんだというときに、国のためとか天皇陛下万歳はあまりに抽象的すぎて、具体的なイメージがわかない。では何のため、どうしたら納得できるか、ということを戦争が終わってからも、身についてしまって、脱することができなかった。それが、彼の監督した映画に通奏低音のように通底しているという。そういう視点で、書かれた岡本の伝記。たしかに『肉弾』なんかは、そういうのを感じるかもしれなが、それ以外は・・・。岡本の作品に溢れる楽しさはどういうとこから生まれたのか、というような話を期待したのだったが、ちょっと違った。

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