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2024年4月24日 (水)

鷲田清一「所有論」(8)~7.法と慣行

 所有権という法的権利は個人の自由を根拠づけるに当たって導入される概念であると同時に、その足かせにもなってきた。平成の暮らしについて言えば、私的所有権は個人の身柄の自己所有を根拠としているが、その権利が主張される場面は、その存在がないがしろにされる場合に限られるのであって、普段は自分の身柄を自分で自由にできる場面などごくわずかしかそれはわからない。それは、ひとつには所有という権利の主張から引き起こされる諸問題が所有される物的対象や人の身柄や身体のみならず様々な知的制作物や情報さらには生命そのものにまでひろく拡散しているからだ。それゆえ、所有の問題にはさまざまなアプローチの仕方がありうる。そういうなかで、本書が選んできたのは「~のもの」であることが何を根拠に認められてきたのかということ、つまりは「帰属」の問題である。そしてそれが「所有」という関係として、ひいては市民としての個人の権利として浮上してくるその原場面をロックの所有権論のなかに探ることから始めた。本書では、これまで「所有」という社会的な事実と、そこから立ち上がる「所有権」という、それ自体正当性を要する権利との綴じ目に注意を集めてきた。それにレヴィナスの所有論を重ねることで、この綴じ目が「占有」と「所有権」の間にあることを明らかにした。しかし、所有を「もつ」という占有の観点からではなく、「~のものである」という帰属の視点から問題にするときには、他者の存在あるいは自他の社会的な関係が問題となってくる。しかし、ロックは自然権の一つとして、他者の合意に先立つ場面で問題とされた。またレヴィナスが占有を問題にする時は、その排他性も自己同一的な存在についていわれてのみで、帰属に深くかかわる「固有性」のもんだいはむしろ後段で所有の挫折という位相で問題となるはずであった。しかし、占有の問題は他者という契機に関係づけることなく成立しうるものなのだろうか。
 以上のような視点に、こんどはヒュームによる視点を重ねていこうする。ヒュームは、ロックが所有権の根拠とした人がその所有する身体による労働を付加することでできた物はその人のものであるという説を批判する。その根拠として、ひとつは所有権の認定には様々な形があって、労働を加えるという一事に還元することはできない、ふたつに所有権を決定する規則には様々あって、労働の付加はその一契機にすぎない、みっつに労働の付加というのが、労働に変化を加えるという事態の比喩的な表現にすぎないという。ここで注意を要するのは、ヒュームが所有の根源ならびに所有を決定する諸規則として念頭に置いているのは勤労や幸運によって得た占有だけだということである。
 ヒュームは、そもそも「所有」をめぐり社会で起こる係争のほとんどは所有物が人の手から手へと簡単に移転することが生じている。だから、勤労や幸運によって得た占有を固定的で恒常的なものとする人為や工夫が必要だという。その工夫をヒュームは「黙契」と呼んだ。これは遵守と違反という試行錯誤のプロセスを経て成員間に自生的に形成された慣行である。これは慣行であるので、原理によって根拠づけられ性質のものではなく、成員の間に徐々に浸透していく利益の共通の感覚なのだという。それは道徳のようなものだ。ヒュームは「道徳について」のなかで「所有」を次のように定義する。「われわれの所有物とは、その恒常的に保存が社会の法によって、つまり正義の法によって確立された財にほかならない」だが同時に、「対立する情念が人々を反対の方向に突き動かし、何らの黙契ないし一致によって抑制されない間は、固定した権利や所有等というものが自然に存在することはあり得ない」という。つまり、「所有」という法的な制度がそれとして成り立つのは「黙契」、つまり、「私は、相手が私と同じ仕方で行動するという条件のもとで、相手が自分の財を占有するに任せておくのが自分の利益になるのを見て取る」ことが不可欠で、他人の占有物に手を出さないことに関する黙契において、はじめて成り立つ。このように、ヒュームは所有権が法として社会的に制度化、設計されたものだという考え方に反対した。
 また、ヒュームは『人間本性論』で「所有」を次のように定義している。「所有とは、或る人とある対象との間の一つの関係であって、正義と道徳的衡平の法を破ることなしに、その対象の使用を占有をその人自身には認め、その他の人にはそれを禁ずるような関係」とした。他人は自分の占有物に手を出さないということである。

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