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2024年5月

2024年5月31日 (金)

南直哉「超越と実存─「無常」をめぐる仏教史」(2)~序章 問いの在りか

 釈迦と呼ばれるゴータマ・ブッダは仏教という真理を理解し信じて出家したわけではない。彼は真理などない中で、問題を抱えていたからこそ出家したのである。著者はその抱えていた問題を次の二つに要約する。死とは何か、私が私である根拠は何か、である。そして、道元の言葉に出会う。この問いには答えが出ない。これは問い方自体が間違っている。○○とは何かという問いの答えは、○○とは違うものを持ち出して○○とは××であるという答えが導かれる。この答えは単なる言い換えにすぎない。だから答えは確定しない。となると、死とは何か、私が私である根拠は何かという問いは、原理的に確定的な答えがでない。すなわち、何であるか分からないままに存在する何ものかなのだ。それゆえ、○○とは何かと問われるのではなく、それが何か分からないままに○○はどのようにあるのかと問われる。何であるかわからないものとは、そのようにあるという根拠を欠いたものである。それは無常として根拠を欠いたまま存在する事実、すなわち実存を意味する。
 仏教はこのように考えるが、仏教以外の思想は根拠があると考える。その根拠を押さえれば実存の核心が理解できると信じている。この時、その根拠は実存ではない。根拠が実存の内部あっては根拠として機能しない。それは外部から実存の仕方に決定的に作用しなければならない。それが超越的存在である。それは本質とか実体と呼ばれる。なお、本書では隠れたテーマとして言語が通奏低音のように働いている。
そもそも超越と実存というような゜問題設定が可能なのは、我々が言語で考えている。そこで、言語の起源だから、我々は、それを知ることはできない。言語の起源を知るには言語を使用せざるを得ず、意識の起源を知るには意識を対象化、すなわち意識化せざるを得ない。言語は個々の物に対して超越的であり、その本質を示すもの。

2024年5月30日 (木)

南直哉「超越と実存─「無常」をめぐる仏教史」

11113_20240530215501  6年前に読んだ本の再読。
 仏教、というよりゴーダマ・ブッダの思想は「真理」も「救い」も求めるものではないという。そもそも、ブッダが修業を始めた時に仏教は存在していなかったのだから、仏教を真実でと信じて出家したということはあり得ない。また、何らかの真実を信じていたとすれば出家して仏教を創始するなどということは、しようともしないだろう。おそらく、ブッダは何か問題を抱えていたとか、何かを見つけようとしていたからこそ、出家したのだろうと。おそらく、やむにやまれぬ、何か切迫したようなものに駆られてのこと。そして、ブッダは「悟り」をひらいた。彼にはたくさんフォロワーが従った。しかし、ブッダは「悟り」について、その内容を語らなかった。経典には、「悟り」とは何なのか、何を悟ったのかについてのまともな説明がない。ということは、ブッダ以後の者はみな、「悟り」に関して確実なことは何も言えなかった。誰がどう悟ろうと、それがブッダのした悟りと同じであると断定する根拠はないということだ。それなら、誰がどう悟りを語ろうと、それは悟ったかのように語っているにすぎない。さらに「涅槃」については、それはブッダの死でもあるので、ブッタ自身か語ることはできない。だから語りえない、語ること自体が無意味なのである。
 しかし、それではフォロワーは困る。「悟り」の内容が明らかでなければ、修行を重ねて何かブレイクスルーの自覚があっても、それがブッダの「悟り」と同じであるか分からない。それで、何らかの説明を必要とした。その説明が仏教の「真実」であり「救い」として独り歩きし始める。それが仏教の歴史であるという。その中でも、そういう歩みを問題視して、ブッダの原点に戻ろうとする人もいた。例えば竜樹であり、そして、日本の親鸞と道元であるという。
 著者によれば、いわゆる哲学もキリスト教などの宗教も「真実」や「救い」を求めるもので、ブッダ(そして親鸞、道元)とは一線を画す。つまり、世界の思想は、ブッダとそれ以外とは二分できるという。納得できるところもあるし、面白い視点だと思う。とくに、親鸞と道元の説明は出色の面白さ。

 

2024年5月29日 (水)

宇野亞喜良展 AQUIRAX UNO

2024年5月 東京オペラシティアートギャラリー
Unopos おそらく、会社員として最後のゴールデンウィーク。休日に出かけるという習慣はなく、旅行などしたいとも思わないので、いつもは家で本を読んだりして、ゴロゴロしているのだが、そんな事情もあって、1日だけでも外出することにした。事前に予定も計画も立てていないので、混雑もいやだし、手近なところをネットで調べて、この展覧会に行ったのだった。玄関を入って、受付で列ができているのにびっくりした。上野の美術館のメジャーな展覧会は、依然に大混雑で痛い目を見たから、その二の舞を踏まないように気をつけて、割合マイナーっぽい展覧会を選んだつもりだったが、展示室も人の列ができて、その列に流されるように、マイペースで作品を見ることができない。そしてまた、展示作品のほとんどが撮影可能となっているため、客のほとんどすべてがスマートフォンを手に、順番に展示作品の前に立つと撮影し、撮影すると、次の作品に移るという規則正しい行進をしている。まるで、カシャッという客たちシャッター音が規則正しいリズムを刻んでいるよう。私などは、そのリズムに合わさせられているように感じられる窮屈さのなかに入り込んだかのようだった。その窮屈さから逃げたくなったりして、落ち着いて作品を見るというこがあまりできなかったという感想。でも、せっかく美術展に足を運んで、現物があるのに、直接見ることを惜しんでスマートフォンで撮影して、さっと素通りしてしまうと、作品の直接的経験という身体的なかかわりができる機会を逃してしまっていいのだろうか。もったいないと思う。実際のところ、スマートフォンで写した画像を通りのと作品を直接見るのとでは情報量が格段に違うのだけれど、情報量のずっと少ないスマートフォンの画像で満足できてしまうのだろうか。例えば、イラストの原画の線の引き方などは、そこに作者の息遣いが明確に感じられるはずなのだが、画像データでは力の入り方、抜き方なんかは見えてこない。などと老婆心を起こしてしまう。あっ!でも、この人の作品は印刷されたりする複製が前提だから、スマートフォンで撮影した画像という複製を見る方が本来的な在り方なのかもしれません。でも、そうであれば、このような会場に展示する展覧会は無意味ということになります。ネットでアップロードすればいいんですから。どうなんでしょうね。
 私は、宇野亞喜良という人のことは知らないので、いつものように、その紹介を兼ねて主催者挨拶を引用します。“日本を代表するイラストレーター、グラフィックデザイナーとして活躍を続ける宇野亞喜良(1934~)。1960年代の日本において「イラストレーション」「イラストレーター」という言葉を広め、時代を牽引してきたレジェンドでありながら、常に進化し続けています。その創作は、イラストレーション、ポスター、絵本、書籍、アニメーション映画、絵画、舞台美術など多岐におよび、1950年代初めのデビュー以来、活動の範囲は限りなく広がっています。本展は、宇野の初期から最新作までの全仕事を網羅する、過去最大規模の展覧会です。1950年代の企業広告をはじめ、1960年代のアングラ演劇ポスターや絵本や児童書、近年の俳句と少女をテーマとした絵画など、多彩で貴重な原画や資料等を紹介します。「魅惑のサウスポー」から生み出される、時代を超越した宇野の華麗で耽美な創作世界に迫ります。”
 展示は、宇野の多岐にわたる仕事を、グラフィックデザイン、企業広告、ポスター、本の挿絵や装丁、版画、絵画といったジャンル別に紹介していました。今回は、上述の事情もあって、あまりじっくり個々の作品を見られなかったので、見た記憶のあるものを個々に述べていくことにします。
 展示の最初に学生時代のスケッチが数点展示されていましたが、普通にちゃんと勉強している。しっかりしているという感じでした。ただ、そこに才能のきらめきがあるとか、個性が感じられるというものではなく、堅実なものという印象です。この印象は、この後の展示を見ても変わることがなく、この人は、強烈な個性とか天才というタイプではなく、顧客の注文に堅実に応えで実績を積んでいった人なのだと思えたのでした。
Unoread1 Unoread2  グラフィックデザインの展示にあった読書週間のポスターです。これは1959年の作品ですが、これを見ていると1960年代後半に手塚治虫がだしていたCOMというマンガ雑誌を思い出してしまったのです。宇野の方が時代が前Unocom なので、COMの方が、宇野の影響を受けたのかもしれませんが、感覚的なものですが、共通するところが多いように私には見えます。あるいは、この後の作品ではより濃厚になりますが、金子國義とも似ているところ。それは、作家性らしさというか、アングラ(この当時は、今で言えばインディペンデントというのをアンダーグラウンドを略してアングラと称して、それに独自のイメージ があたえられていました。)っぽい雰囲気とでも言ったらいいでしょうか。そういうパターンを踏んでいるというか、もしかしたら、このパターンは彼が創ったのかもしれませんが。金子國義は澁澤龍彦つながりの線が見えてきます。並べて展示されているカルピスの広告もそうですが、前衛的な抽象ではなく、あくまでも具象でハイアートのリテラシーに通じていない人々の目に優しUnocalpis いのがベースになっている。カルピスの広告のキャラクターは可愛らしい印象を与えます。とは言っても、人間の子どもでも動物でもなく、人間の子どもと植物を組み合わせて、既存にないキャラクターをつくっています。今でいえばファンタジー的とでも言えるでしょうか。これが、当時では尖がったところど言えると思います。それがアングラ感とでもいうか、見る者に特別な感じを与えるスパイスになっている。
Unoparopu Unosarome  企業広告の展示にあった国策パルプ工業の1965年のカレンダーのイラストです。この鋭敏な線と鋭角的なデザインはビアズリーのペン画を思わせる。あるいは小林ドンゲのエッチングを思わせる。ビアズリーは澁澤龍彦つながりで分かるような気がしますが、この人は澁澤の紹介した世紀末の象徴主義的な絵画などの影響を取り込んでいたというわけでしょう。それが主催者あいさつにあった“耽美”と受け取られるようなものとなっていったのかもしれません。
Unomax Unosubmarine  それは同じころのマックスファクターのポスターもそういうところがあります。マックスファクターのポスターでは、ピーター・マックスによるビートルズのイエロー・サブマリンのアニメ・デザインを思わせるサイケデリック的な雰囲気のものもあります。あるいは、同時代のイラストレーター、例えば粟津潔の影響もあるようにも見えます。この展示されている原画では、既に別のところで描いた画を切り取って貼りつけることもしています。それは手法ではあるのですが、おそらく、作品を作成する際には、手法 に限らず、画面作りにおいても、切り貼りのイメージでつくっていたのではないかと思わせるところがあると思います。この場合は、ビアズリー等のおそらく世紀末の退廃的な画像をパーツの一つ、また、ピーター・マックスに代表されるような当時の同時代としてのサイケデリックな画像を別のひとつのパーツ、これらを組み合わせて、結果として一部でちょっと尖がっているけれど、見る者に抵抗感を抱かせるほどではない安心して眺めていられるものを作っている。回りくどい言い方ですが、この人の耽美は、人々が耽美だと思うパターンを見つけて、それにうまく沿っている。だから、見る人は、彼の画像を見て耽美だと思っても、それで不安になったりすることはないというわけです。前世紀の世紀末の耽美主義者が反社会的存在とみなされたような危険なものではない。いわば、耽美は趣味趣向のひとつです。
Unogendai  その一方で、この人の絵は絵画の素養がない私のような一般人から見て上手な絵を描きます。例えば、週刊現代の挿絵のひとつです。具象で何が描かれているか分かりやすく、我々がそれに抱いているイメージをそのままであるように過不足なく画面に描いている。最初に見た修学時代の自画像のスケッチのころから、上手な絵を描く力量は備わっていたのでしょう。それが、彼のさまざまな描画のベースとなっているのだろうと思います。それは上手ということもそうですが、見る者に分かりやすく伝えるという、いわば、見る者のニーズを的確に読み取り、それに応Unohaha えるという点ではないかと思います。例えば、別の雑誌、「母の友」の表紙絵では全く趣の異なった風情になっていて、それは雑誌や読者の性格に適応しているのでしょう。しかし、絵自体は崩れることなく、しっかりとして、安定しています。だから、安心して見ていられる。というより、目の邪魔にならないから、見ているようで見ないでいられるわけです。宇野亞喜良の作品は、作品として見ることもできるが、見るという集中をしないで、漫然と眺めるというより見ているようで見ないでいるようにことについても適している。目に優しいところがあります。何か回りくどい言い方になますが、例えばこういうことです。部屋の模様替えで壁紙を張り替えたとき、下手な選択をすると違和感が生まれて部屋にいても落ち着かなくなますが、上手くいったときは最初からそうであったかのようにしくりいく感覚があり、部屋でリラックスすることができます。そのとき、部屋で壁紙の柄を見ているわけではなく、壁紙を意識しているわけではない。しかし、下手な選択をして壁紙の場合は、その壁紙が違和感を起こさせているのだから見ていないわけはない。宇野亞喜良の作品は、そのような接触の仕方をしたときも、違和感を起こさせないとこがあるように周到に計算されていると思います。
Unochanson  そして、大広間のように展示室には所狭しとたくさんのポスターが展示されていました。それだけ沢山の仕事をしてきたということでしょう。ここで貼ってあるのはシャンソンのポスターです。この後は人の多さと、沢山の人が作品の前でポーズをとったり、撮影したりUnokaneko する落ち着きのなさに辟易して、足早に通り過ぎてしまいました。その後、階段を上がって、サブギャラリーで難波田史男の作品展示を見て、ようやく気分がよくなりました。

 

2024年5月28日 (火)

小松英雄「伊勢物語の表現を掘り起こす~《あづまくだり》の起承転結」

11113_20240528231601  書名の表現を掘り起こすというのは、古典解釈について古文を現代文に置き換えるというだけでは表面的であるという批判意識からきている。そもそも、平安時代のかな書きには現代の「文」という概念がないし、「文」を成り立たせている文法という枠組みがない。では、古典をどのように読むのか。たとえば、伊勢物語の冒頭、「昔、をとこ、初冠して、奈良の京かすかの里に、知る由して狩りに往にけり…」という文章。教科書的な古文解釈では、昔、ある男が成人の儀式を済ませて、奈良の春日の里に、そこを知っているという理由で狩りに行った、と解釈して、次に進むということになる。そこで、著者は、現代文に解釈された文章を読んで、単にこれを何の説明もなく現代文の文章として出されたら、読む人は、何これ?と戸惑うはずだという。たしかに、これでは成人式の儀式を済ませて、狩りに出かけるというのは唐突で、因果関係が分からない。そういう説明が省略されているのに、狩りの行先の春日の里という地名がやたら具体的で、なんか変だ。これは、この文の「かすかのさとにしるよしして」と本来なら、全部かなで句読点もなく、だらだら書き連ねられていたものだ。しかも、濁点も使われていなかった。「かすか」は「かすが→春日」でもあり「微か」でもある。そうすると、あとの「しる」にかかる。それで微かに知る、つまり、微かに知っている→微かに覚えている。また「しる」という仮名で書かれているが、「知る」でもあり「治る」でもある。治るは治めるである。これらのことから、春日の里には微かな記憶が残っている。というのも、そこはかつて領主として治めていたから。このことは、「をとこ」が成人となるずっと前の少年の頃のことを微かに覚えていて、成人となったのを機に少年の頃の記憶が微かに残っている春日の里を狩りという名目で訪れたという内容になる。このようにかなという文字の特徴を生かした多重構造の表現は、単線的な辞書による逐語的な解釈では読みこなせない。これは、和歌では、後の中世の藤原定家により掛詞として定型的な技法に制度化されていくが、この時点では、文脈から読み手が想像力を働かせて読み込むもので、そこに物語読解の自由さというものがあったという。

2024年5月27日 (月)

小坂井敏晶「責任という虚構」(7)~第5章 責任の正体

 本書は、責任は因果律に基づかない社会的虚構だと主張してきた。記憶・意味・心理現象・社会制度はどれも虚構抜きには成立しない。責任・道徳・社会秩序を支える根拠は存在しない。この虚構とは、人間を超越する<外部>が仮象し、人間世界を根拠づけるものだ。本章では、この仕組みを以下に検討し、虚構の重要性を説く。
 近代は「個人」という自律的人間像を生み出した。神の世界創造物語に寄り掛からずに社会現象を根拠づけうるのか、そして可能ならば、どのような原理に依拠すべきか。これが近代哲学が立ち向かった最大の課題だった。人間を超越する神や自然、民族の運命、歴史の必然などという<外部>に社会秩序の根拠を投影せず、共同体内部に留まったままで社会秩序の正当性を論理づけるにはどうすべきか。神の権威を認めなければ、人間の世界を司る道徳や法は人間自身が設定しなければならない。だが、人間自身が生み出した規則にすぎないと知りながら、どうしたら道徳や法の絶対性を信じられるのか。人間が決めた規則でありながら人間自身にも手の届かない存在に変換する術を見つけなければならない。
共同体からはじき出される第三項が社会システムを稼働させる。前近代を司る宗教であろうと、近代における市場・法体系であろうと、人間により生産された社会制度が生産者から遊離して自律運動する事態に変わりない。前近代と近代に違いがないと言うのでもなければ、前近代に戻れと主張するのでもない。伝統社会の秩序を根拠づける神なる<外部>は、共同体の人々にとっても外部の超越的存在として感知される。対して近代社会を支える<外部>は、市場・法体系のように社会内部の制度として位置付けられる。しかし神のように端的に人間世界の外部に秩序の根拠が感知されたり、近代政治哲学の論理構造のように根拠が内部に表象されたりという違いはあっても、共同体が生み出す<外部>はいずれの場合も発生的に見れば内発的であり、機能的観点からすれば構成員の外部に位置づけられる。
 共同体が成立し、安定するためには、人間の相互作用から生ずる定点が<外部>として沈殿する必要がある。社会秩序を根拠づけ、道徳や責任を支える<外部>は虚構の物語として現われる。原因と結果のたゆまない循環関係から定点が遊離・生成され、贈与現象や貨幣制度が稼働する。現実と虚構は不可分だ。ある定点に人間が退きつけられるように見える。しかし実際にはそのような定点が初めからあるのではない。人々が互いに影響し合いながら生み出すにもかかわらず、到着すべき真理がもともと存在していたかのような錯覚が定点生成後に起き。真理だから同意するのではない。善き行為だから賞賛し、美しいから愛するのではない。共同体の<外部>に投影されるブラックボックスを援用せずには社会秩序を根拠づけられない。社会秩序は自己の内部に根拠を持ち得ず、<外部>虚構に支えられなければ成立しない。それだけではない。虚構のおかげで社会秩序が機能する事実そのものが人類の意識に隠されなければ、社会秩序が正当なものとして我々の前に現われない。

2024年5月26日 (日)

小坂井敏晶「責任という虚構」(7)~第5章 責任の正体

 本章では、因果律とは別の原理によって責任が問われる事実を敷衍するために、集団責任の論理構造を分析し、その上で、責任現象の歴史変遷を視野に収めながら責任の正体に迫る。
 他者や周囲の情報環境から強い影響を受けて人間は判断・行為する、ということをこれまで見てきた。そのことか明確に分かるのか集団行動だ。集団は個人が集まってできるものだが、その集団の行動は個人の意志や制御を超える。集団になると、各個人の意志とは別の、あたかも集団自体が独自の意志を持つかのように独走し始める。集団のパニックによる暴動等がその典型だ。では集団と構成員とを区別し、各自の責任とは別に集団自体の責任を考えるべきか。倫理学者は近代的人間像に基づき、行為の責任根拠を自由意志に求める傾向が強い。そのため彼らの多くは道徳的意味での責任を集団が負う可能性を否定する。だがそれでは、個人責任に限定すると被害者救済が十分になされない。そこで、個人責任に還元できない概念として集団自体の責任を定立する論者もいる。集団に集合意志を認めるという考え方だ。要は責任との因果関係が成立する先が個人でも集団でも変わらないという考え方だ。個人の同一性と集団同一性との間に同じ存立機制を見て、道徳責任を担う集団主体を立てられる。同一性は何らかの固定した状態や内容ではなく、不断の同一化を通して人間が作り出す虚構の物語だ。
 常識的に考えると犯罪発生から刑罰までは、①犯罪事件の発生、②その原因たる行為者つまり犯人を捜し出す、③犯人の責任を判断して、④罰を与えるという順序に従う。すなわち犯人をまず見つけ、責任が確定した後に罰が決定される。したがって責任と罰は二つの別概念をなす。しかし、そもそも犯罪とは何かを考えると。それは共同体に対する侮辱であり反逆である。社会秩序が破られると社会の感情的反応が現われる。したがって民衆の怒りや悲しみを鎮め、社会秩序を回復するために犯罪を破棄しなければならない。しかし犯罪はすでに起きてしまったので、犯罪自体を無に帰すことは不可能だ。そこで犯罪を象徴する対象が選ばれ、このシンボル破棄の儀式を通して共同体の秩序が回復される。社会秩序への反逆に対する見せしめとして刑罰は執行される。見せしめの刑を通して、社会秩序への造反事実が共同体の人々に告げられるとともに、社会の掟や禁止事項が想起され、社会規範が再確認される。禁忌に触れると恐ろしい処罰が待つと威嚇する機能を見せしめは狙う。この刑罰を課すための手段として責任という社会装置が機能する。

2024年5月25日 (土)

小坂井敏晶「責任という虚構」(6)~第4章 責任という虚構

 人間は主体的存在であり、自ら選んだ行為に責任を負わねばならない。この考えが近代世界を貫く責任の基本的な考え方だ。
だが、これまでの議論から、この素朴としか言えない人間像は支持できるものではない。人間の行動は外部の影響を強く受ける事実が明らかになり、自由意志の存在が疑問視された。それでは、責任を問うために、人間の判断や行動が外界に規定されるなかで、人間の自由意志をどのように認めるかが考えられた。
 その中で重要なものとして、カントは『純粋理性批判』の中で、「自然による因果律」と「自由による因果律」を区別した。上記の人間行動が規制されるのは前者で、その因果律では責任を問うことはできない。人間の自由は別の因果律にあるとするものだ。
 「自由による因果関係」では、行為は人間が為すのであり、外因により引き起こされる単なる出来事ではない。行為者は行為の最終原因と見なされ、行為者を超えて因果関係を遡らない。なぜかというと、人間の行為も自然界の出来事にちがいないから、無限に続く因果関係の網から逃れられない。そこで、「自由による因果性」とは意志とのあいだの因果性ではなくて、じつは意志と責任を負うべき結果とのあいだの因果性なのである。ある行為の行為者に責任を負わせることをもって、事後的にその行為の原因としての過去の意志を構成するのだ。つまり、意志による行為だから責任が生じるのではなくて。責任を問うための手段として意志を持ってくるというのだ。
 社会秩序という意味構造の中に行為を位置付け、辻褄合わせする、これが責任と呼ばれる社会慣習の内容だ。そして、その理由として持ち込まれる意志とは、個人の心理状態でもなければ、脳あるいは身体のどこかに位置づけられる実体でもない。意志とは、ある身体運動を出来事ではなく行為だとする判断そのものだ。人間存在のあり方を理解する形式が意志と呼ばれるのだ。人間は自由な存在だという社会規範がそこに表明されている。つまり、責任を問うために意志は自由でなければならないというわけだ。
 実は自由と責任の関係は論理が逆立ちしている。自由だから責任が発生するのではない。逆に我々は責任者を見つけなければならないから、つまり事件のけじめをつける必要があるから行為者を自由だと社会が宣言するのである。自由は責任のための必要条件ではなく逆に、因果論で責任概念を定立する結果、論理的に要請される社会的虚構に他ならない。

2024年5月24日 (金)

小坂井敏晶「責任という虚構」(5)~第3章 冤罪の必然性

 自由な意志による選択だから責任が生ずるということに対して、冤罪は本人の意志とは関係なく責任を問われる。それは、冤罪は間違いだからということだけでは収まりきれない。個人の意志を超えた次元で自己運動するものだということを本章では考える。
 ラウル・ヒルバーグは、ホロコーストを生んだ最大の原因として官僚制的構造を挙げた。多くの人々が分業し、相互のつながりが不明瞭になるにつれ、個別行為の意味が失われ、責任感が薄れる。それはホロコーストだけに限らず、私企業・公共機関・学校・警察など細かい分業の下に仕事が吸い越される組織すべてに共通する問題だ。集団行為は当事者の意図を超え、自律運動する。組織のあり方によって冤罪発生率にいくらかの違いはある。しかし分業体制が原理的に誤謬を生みやすい点を見落としてはならない。これが冤罪の場合にも当てはまる。
 冤罪事件の多くは、無実であるはずの者が虚偽の自白で罪を認めてしまうことにより起こる。それは、捜査側が曖昧なデータを基に判断せざるを得ない以上、誤謬は必ず起きるわけで、尋問において、一般に容疑者は簡単に白状しないものだという思い入れがある。そこに、被害者の無念を晴らしたい気持ち、こいつが犯人に違いないという確信、自白が犯人自身にとっても救いにつながるという思いが重なって、拷問まがいの自白強要も取調官の気持ちの上で正当化される。
 一方、被疑者の心の動きに焦点を当てると。被疑者は外界との接触を遮断され、自らを犯人だと断定して疑わない取調官や検察官とたった一人で対峙するというストレスフルな状況に追い込まれ、正気を失って行く。そこで、自供がもたらす結果に対する現実感の欠如だ。死刑につながる可能性を理屈では理解できても、今ここで受けている現実の苦痛から逃れられるならと虚偽自白の道を選んでしまう。真犯人には反抗の具体的体験があり、捕まって自白すれば厳しい刑罰に処せられる実感がある。だが、無実の人間にとっては取調官から糾弾されたり、マスコミ情報を知っても実際には他人事だ。非現実的な出来事がわけもわからずに進行する感覚しかない。
 しかし、嘘の自白には内容に矛盾があったり、どこかおかしい。それをチェックできなかったのかというと、そこにホロコーストの場合と似たような分業システムによる集団行為と同様のことが起こる。最初に警察で立てた捜査プランをベースに立証のストーリーが組み立てられ立証や証拠が整理される。検事や゜裁判官は書類仕事に特化していて、現場の捜査は警察に任せるので、書類の整合性のみに視野を限ることになる。それが一連の大きな流れとなる。つまり、捜査から立件を経て判決にいたるまでに、場の力学に制御されながら多くの人々が相互作用する。ある方向にいったん進みだした捜査方針は、よほど決定的な破綻に出会わない限り、進路変更できない。動いている重い物体を止めるのに大きな力が必要なように、捜査に加わる人々が互いに織りなす慣性力を押しとどめることはできなくなる。犯罪捜査・起訴・判決は集団行為なのだ。アイヒマンが誠実に職務に務めたように、裁判官も検事も誠実に冤罪に務めるという構造が冤罪の本質なのだ。

2024年5月23日 (木)

小坂井敏晶「責任という虚構」(4)~第2章 死刑と責任転嫁

 現代社会の死刑執行のシステムは執行者の心理的負担を軽減し、ストレスを抑えるように効率的になったことが、外形的には、ナチスが大量の殺戮を効率的に行った強制収容所のシステムとよく似たものとなっている。
 現実に、。死刑を執行する者の心理負担を軽減するメカニズムがうまく働かないと制度は機能しない。ホロコーストにおいてユダヤ人虐殺の罪悪感を薄めるために導入された分業体制と同じように、裁判・死刑制度においても法務省の役人、刑務官、拘置所長など多くの関係者が介在し、死刑の心理負担が執行官だけに集中しない体制ができている。それは官僚制のシステムそのものでもある。死刑方法や道具が変遷したがその理由は受刑者の苦痛軽減だけではない。より重要なのは死刑を執行する側の心理負担を減らす必要だった。石打、火炙り、斬首といった執行者に大きな負担がかかるものから、電気椅子、ガス室といった間接的な方法になったのだった。

2024年5月22日 (水)

小坂井敏晶「責任という虚構」(3)~第1章 ホロコースト再考

 この章ではホロコーストを遂行した人間の心理に焦点を合わせ、状況次第で誰もが同様の犯罪に加担する可能性を検討する。
 狂信的指導者が政治機構の中枢で決定するだけで数百人の人々を殺せない。銃殺や毒ガス処刑に手を汚したのはナチス指導者ではなく、普通の警察官や役人だ。どこにでもいる普通の人が多くの人を殺す行為ができたのは分業というシステムによるところが大きい。近代企業の活動を思わせる高度な組織化の下にユダヤ人の名簿作成・検挙に始まり、最終的に処刑に及ぶまでには多くの段階の任務がある。各作業を別々の実行者が担当する時、責任転換が自然に起きる。「私だけが悪いんじゃない」「私がしなくても結果は変わらなかった」「私は単に名簿を作成しただけだ」などと正当化される。殺人の流れを一括して把握せず、流れ作業のほんの一部だけに携わるたに自らを責任主体と認識しにくい。普通なら道徳観念が禁止する行為もそれほどの抵抗なしに実行してしまう条件がこうして用意されるのだ。また、命令する者と、自ら直接手を下す者とが分離されると、犯罪に対する心理負担が減り、結果的に殺戮装置が機能する。責任が雲散霧消するメカニズムがここにある。さらに、殺害方法が銃殺からガス室に変更され、血みどろの殺人を犯す必要がなくなった隊員の心的負担は大幅に軽くなった。人を殺す現実感がなくなる。現実感を覚えなくなると、人は残虐行為を簡単に成し遂げる。犠牲者が苦痛を感じる生身の人間であることを忘れ、家畜か害虫であるかの錯覚が生まれるというわけだ。
 アイヒマンやヘスだけでなく、捕えられたナチス指導者はヒトラーの命令に従ったのでだと主張したが、それは必ずしも責任逃れの言い訳ではない。何層もの正当化システムが重なり合って機能しなければホロコーストは遂行され得なかった。したがって殺戮メカニズムに荷担した人間が自分に責任はないと感じるのは当然だった。逆に言えば、このような無責任感覚が生じる環境を作り出せなければ、何百人もの罪なき人々を殺せない。

2024年5月21日 (火)

小坂井敏晶「責任という虚構」(2)~序章 主体という物語

 この章では人間の根源的な他律性を検討し、責任概念を支える自律的人間像の脆弱さを確認する。
 人間は主体的存在であり、自己の行為に責任を負うという考えは近代市民社会の根幹を支える。人間は自由な存在であり、自らの行為を主体的に選択した結果として責任が生じる。これが近代の責任を考えるときの前提だが、実際はどうなのか。そこで、実際の例として本書が取り上げたのがナチス・ドイツによるホロコーストだ。ハンナ・アーレントは『イェルサレムのアイヒマン』において、ナチスのユダヤ人虐殺は、ナチスという精神異常者が起こした事件ではなく、普通の人間の正常な心理過程を経て生じた出来事だと主張した。普通の人なら、このような組織体制と精緻なメカニズム、社会状況の中では、加担してもおかしくない。そうなると、実際にホロコーストにコミットした人々の責任を問うことができなくなる。彼らは主体的にホロコーストへコミットしたとは言えなくなるからだ。そこで、アーレントの主張には、その当時、批判が相次いだ。
 本書では、そのアーレントの主張の基本となる考え方について、社会心理学の実験(ミルグラムの実験など)結果や豊富な実例で検証している。人間の行動は他者に強く影響されるが、かといって外部環境の情報によって行動が完全に決定されるわけではないのである。心理学では、意志が行為を導くという「のはバイアスであるとして根本的帰属誤謬」と呼ぶ。人の行動を根本で規定するのは精神分析では無意識であり、行動主義では条件反射である。意識という観察不可能な存在は人間行動を理解するうえで無用だと切り捨てた。
 理性的精神が行為を司るというデカルト的自己は間違っている。そのような統一的視座はどこにも存在しない。意志決定があってから行為が遂行される構図は脳科学によって否定されている。ベンジャミン・リベットの実験により、手首を動かす指令が無意識のうちに生じると、運動が実際に起きるための神経過程と、手首を動かすといった意志を生成する心理過程とが同時に作動し始める。自由に行為すると言っても、行為を開始するのは無意識過程であり、行為実行命令がすでに出された後で、「私は何々がしたい」という感覚が生まれる。意志や意識は行為の出発点ではない。社会心理学では、意識は行動の原因ではなく、行動を正当化する機能を担う。意識が行動を決定するのではなく、行動が意識を形作るのだ。
 そもそも、外界から影響を受けずに自律する自己など存在しない。互いに拮抗する多様な情報に包まれて自己の均衡が保たれる。影響されるという言い方は実は正確でない。影響されるというとき、外力が働かない限り自己同一性を保つ我々は存在を前提している。そのような同一性はない。

2024年5月20日 (月)

小坂井敏晶「責任という虚構」(1)

11112_20240526231501  4年前に読んだ本の再読。
 人間は主体的存在であり、自己の行為に責任を負うという考えは近代市民社会の根幹を支える。人間は自由な存在であり、自らの行為を主体的に選択した結果として責任が生じるというわけだ。他方で、実際には人間というのは自律的な存在などではなく、常に他社や社会環境から影響を受けている。このように人間の行動が社会環境に左右されるなら、責任を問う根拠はどこにあるのか。本書は、責任の根拠を問うわけではない。本書が問うているのは、実際に人間はどのような行動をするのか、責任と呼ばれる社会現象は何を意味するのか、ということである。
人に噛みついた野犬を殺処分する。犬に責任は問わないが、危険だから殺す。これに対して人間の場合は犯罪に関わっても責任が認められなければ、罰しない。壊れた機械を修理したり、スクラップにして廃棄処分するように、危険な人間を再教育したり、刑務所に閉じ込めたり、処刑する、というような発想ならば、責任は無駄な概念になる。このように単なる自律性とは区別して、我々は人間の主体性を理解する。では主体性はどこにあるか。
 行動・性格・能力の原因が環境条件であれば、その環境を作った原因がまた考えられる。したがって因果関係は無限遡及し、最終原因は定まらない。遺伝も同じだ。つまり、身体及び知的能力・人格・美醜等の我々の属性は外来要素の沈殿物であり、それらを生成した原因は我々自身をすり抜けてしまう。仮に、これらを外界から授かったとしても、他の誰でもない、まさに自分の属性である以上、責任が発生するといい、人格形成は自己責任だと考えると。その責任を問うためには、その人格形成の時点で自由意志で選択をしたことが前提になる。だが、その自由意志は過去に育まれた人格が生むのだから論理が無限背進する。
 責任を問うためには原因を同定し、根拠を見つけなければならない。だが、原因や根拠には必ずその原因や根拠があり、その連鎖は無限だ。そこで人々は二種類の最終原因・根拠を捏造した。一つは外部に投影される神だ。そして、近代が創出したもうひとつの根拠が内部に投影される自由意志だ。
 世界のどこかに神を同定できないように、個人のどこを探しても主体は見つからない。主体はモノでもプロセスでもない。個人の心理状態でもなければ、脳あるいは身体のどこかに位置づけられる実体でもない。自由意志が発動される内部はどこにもない。主体とは、責任を問うための論理的な虚構といえる。犯罪や不平等などの不都合な事態に際して、誰かに責任を押し付けて収拾を図る社会的な装置であり、イデオロギーである。これを著者は虚構と呼ぶ。
 端的にはこうだ、人殺しをした者を不良の機械をスクラップにするように処分できないので、まず人を殺すことを禁忌として、それは悪いことだとした。殺したということは、その悪いことをあえてやってしまったことにすると、責任があったことになる。それを口実にして処分できるようにした。脱線するけれど、なぜ人を殺してはいけないかということについて、功利的に、いちばんすっきりした説明だと思う。

 

2024年5月19日 (日)

岡本喜八監督の映画「日本のいちばん長い日」

11115  この映画の制作は1967年で白黒の映画は珍しかったと思う。カラー作品が普通の常識からは、白黒は単に色がないとか、古臭いと見えるかもしれないが、白黒だから見えてくるものがある。例えば、白黒の小津安二郎や成瀬巳喜男の映画で印象的な光は、カラーフィルムでは見ることができない。この作品では、例えば汗だ。湧いてくる汗の粒が頬につくる陰や夏用の軍服に汗が染みて黒く映ったり、このメリハリは白黒ならでは。汗は熱さ、それは8月15日という夏の日の暑さであり、終戦の詔勅という熱い日、関係する人々の緊張や疲労の汗(冷汗)だ。この映画は、そういう暑さ(熱さ)を映し出している。
 この映画は、ポツダム宣言の受諾、それを国民に知らしめる玉音放送とそれを阻止しようとする陸軍青年将校による叛乱の一日を描いた。前半は内閣による閣議や天皇が出席した御前会議などポツダム宣言を受諾するか否かの議論が延々と続く。会議の動きのない場面をひとつの台詞が終わるや否やかぶせるように発される台詞。矢継ぎ早なカット構成があったかと思えば、息が詰まるほどの静寂を画面に焼き付けたり、そのテンポ、間が見事で、終戦の詔勅の文言をめぐって、山村聡演じる米内海相と三船敏郎演じる阿南陸相が激論を交わす。互いに戦死者や戦地に残る兵士を思い主張を譲らない様子をカットバックを繰り返すことで、見る者の視線の運動を促す。それに加えて、議論の応酬を鈴木貫太郎首相が脇で眺めている姿を垣間見せて、その熱さを見ている者に冷や水を差す。それは客観的な視線であり、戦争を終わらせられない体たらくを見る視線でもある。議論がまとまり、詔勅に大臣たちが署名するシーンには、児玉飛行場でこれから出撃を待つ特攻隊に愛国婦人会の襷をかけたおばさんたちが日の丸を振って「若鷲の歌」を歌うシーンが重なる。この飛行場のシーンは映画で3回出てくるが、次に出てくるのは、天皇が詔勅を読んで玉音放送の録音をする場面に重なる。天皇が「ここに忠良なる臣民に…」と読み上げる声に、出撃する飛行機のエンジン音が重なる。三度目には、ラスト近く、玉音放送がラジオから流れる場面の一つで、飛行機が飛び立った後の飛行場で特攻隊員の出撃で飲んだ杯が片付けられないまま人々が整列して放送を聞いている。前半の会議が静なら、後半は一転して活劇になる。若手将校が近衛連隊で反乱を起こす。これまでの冷めた視線の存在が、この反乱を起こす将校たちが狂気じみて見えてくる。映画は、オールスター総出演の戦争活劇であり、ことさらに告発や教訓めいたメッセージは発せられない。2時間半が、あっという間に感じられる娯楽映画だが、熱く迫るものがある。

 

北欧の神秘―ノルウェー・スウェーデン・フィンランドの絵画(5)~第3章 都市─現実世界を描く

 画家たちが自然の風景や伝説の物語から現実の世界に目を向けたということでしょうか。
Northtown  アウグスト・ストリンドバリの「街」という作品です。ストリンドバリは有名な劇作家。日本でも、イプセンと並んで評価されていた。彼は、絵は素人で、主に執筆が困難になった危機の時期に描いたといいます。この作品は「街」といいながら、画面の7割方が雲で、キャンバス上に絵の具の厚い層が置かれています。パレットナイフで描かれているそうです。遠くに町があり、その一番高い建物が水面に映っている風景画です。この絵は高い空と雲の暗い色が大半を占め、ここだけを離れたところから眺めてみれば水墨画にも見えてきます。そして、白、黒、グレーの配色で、明るく照らされた街の木々が緑で描かれています。この雲はリアルというより表現主義的で、何らかの心情を象徴しているようにも見えます。例えば、同じような、画面中央に町が上下の境界線のようにあって上半分は曇りの空、下半分は海とNorthnorthwest いう構成の作品、17世紀オランダの風景画家ロイスダールの「北西から見たデフェンデルの眺望」と比べて見てください。画面の大部分は雲が湧いている空と手前の海ですが、あくまでも背景で、中心は町の風景です。町は精緻に詳しく描かれているのに対して、空の描き方は少し粗く控えめです。また、空と海は明確に区分けされています。それに対して、この「街」は街の夜景は遠景でぼんやりして、灯火や木々が黄や緑の点のように見えます。むしろ雲が前景のようになっていて、雲の方が絵の具の塗が厚いし、ダイナミックな動感があります。そして、画面下部の海は暗く波打っている様子は、上半分のダイナミックな雲と同じように描かれていて、海と雲は繋がっているようにも見えます。作品の中心は雲、そして海であることは明白です。画面の大部分を占める雲と海は暗く不安定で、心の不安とか動揺が全体で激しく渦巻いている。そのはるか奥の方にほっとするような街の灯りや木々の緑が、ぼんやりとかすんでいるのです。
Northvelanda  ムンクの「ベランダにて」は、「フィヨルドの冬」よりは面白かったが、今日はムンクもありました、でよいと思います。
あとは定番のゴッホの「ひまわり」で、結局、尻すぼみだったか。ずっと以前、東京ステイションギャラリーでの「北欧の風景」でダールを何枚も見た時の印象がまだ残っていて、それを覆すところまではいかなかったようです。

 

2024年5月17日 (金)

北欧の神秘―ノルウェー・スウェーデン・フィンランドの絵画(4)~第2章 魔力の宿る森─北欧美術における英雄と妖精

 北欧の芸術家たちは、国際的な芸術的動向に目を向けると同時に、母国の文化的伝統に強い関心を抱き、土地に伝わる民話や伝承から着想を得た。序章も第1章も同じですね。やっぱり区別がつきません。あまり、こだわらない方がいいようです。北欧神話や民間伝承の世界を描いた作品が中心ということです。
Northtemptation  アウグスト・マルムストゥルムの「フリチョフの誘惑」という作品です。この人の作品は序章のところで「踊る妖精たち」を見ました。あの半透明の妖精たちが流れてくる作品です。この作品では、前の白い半透明のファンタジーが黒一色の濃淡だけに限られた空間で、目を凝らして見ないと何が描かれているか判然としないような、それゆえに現実か幻想かはっきりしないような光景ができています。これは『フリチョフ物語』の一場面で、深い森の木立の中でフリティオフとのリング王が座って休んでいて、王は眠りに落ち、フリティオフは王の命を奪うべきか否か、激しい誘惑に駆られている場面ということです。鬱蒼と茂って、あたりを暗くしている針葉樹とその枝が何かを語っているようにも見えます。ドイツ・ロマン派は黒い森のおどろおどろしたのとは違った北欧の森は暗いく危険だけど、ひんやりとした雰囲気で透明感がある。
 Northescape エーリク・ヴァーレンショルの「森の中の逃避」という作品です。これも暗い森の場面です。『オーラヴ・トリュッグヴァソン王のサガ』の一場面を描いたものです。オーラヴ・トリュッグヴァソンの母親が邪悪な女王グンヒルドから逃れるために、生まれたばかりの子供を連れて暗い森の中を逃げる場面ということです。人物の足元でたき火をしているのか、背中を向けている人物がカンテラを持っているのか分かりませんが、その灯りによって3人の人物とその周囲がぼんやりと浮かび上がる。これも幻想的に見えます。この第2章の展示コーナーのタイトルが「魔力の宿る森」であるそのもののように、ここで描かれている森は「異界」であり、人ではない超自然的な存在が支配する領域というような、おどろおどろしさが感じられます。夜の暗さの中で、灯火によりほんやりと照らされ、針葉樹の一部だったり、川の水面に反射してみえるのが雰囲気をさらに強調します。この画面の中心は逃避する人物たちより、周囲の森のおどろおどろしさのようにも思えてきます。
 ここから、階段を下りて、フロアが変わります。
Northmidsummer  J.A.G.アッケの「金属の街の夏至祭」という作品。フロアが変わって、第3章の展示となるので間違えそうですが、リストを見ると第2章になっています。ただ、都市を描いてもいるので、どちらにも当てはまるとも言えます。ただし、この都市は現実なのか幻想なのか曖昧です。スウェーデンの伝統行事である夏至祭の様子が、ビルのような建築物と並列して描かれ、その彩色と画面前方の水に映った虚像によって儚く強調される。その風景が淡い色彩で、モネの「印象の日の出」のようにぼんやりと描かれる。しかし、夏至祭に参加している人々ははっきり描かれるが赤く彩色され、現実感がない。裸のようにも薄いローブをまとっているようにも、音楽を奏でたり、踊っているようなポーズをとっているように見えますが、動きが感じられず止まっているかのようです。人というより人形のように見えます。全体が蜃気楼のような、儚い夢のようなのです。
 この他は絵本の挿絵のような作品が並んで熱心に撮影する人が多かったようですが、スルーでした。最初の序章のところが一番面白くて、だんだんと尻すぼみの印象です。

 

2024年5月16日 (木)

北欧の神秘―ノルウェー・スウェーデン・フィンランドの絵画(3)~第1章 自然の力

 19世紀後半、ヨーロッパで興隆した象徴主義が浸透し、北欧独自の絵画を探求する画家たちは、母国の地理的、気象的特徴に注目した。雄大な山岳や森、湖といった自然風景、そして特徴的な夏季の白夜、太陽が昇らない冬の極夜、そしてオーロラが多くの作品の題材となり、特に冬の光景は北欧を特徴づけるものとして好んで取り上げられた。ということですが、象徴主義を感じさせられることはありませんでした。また。自然の風景は序章と重なるので、どう区別するのだろうか、疑問に思いました。時期が違うのでしょうか。序章が19世紀中ごろで、こちらは19世紀から20世紀にかけてということですかね。
Northsheep  アンナ・ボーバリ「羊飼い小屋のある風景、ノルウェー北部での習作」という作品です。これまで見てきた作品とは毛色が変わった。写実をベースにした描き方から、自由度が増したというか、この作品は習作かもしれませんが、塗りが平面的で、しかも色を混ぜないで、画面上で並べるように塗るのはゴッホなどを思わせるところがあります。それだけでなく、画面を見る者に何かしらの物語を想像させるように誘うところもそうです。鄙びた村の風景でも、ダールの「山岳風景、ノルウェー」とはずいぶん違います。時代の違いでしょうか。
Northspring  ニルス・クレーゲルの「春の夜」は、象徴主義を感じさせてくれる作品でした。くねくねと曲がり、いくつも枝分かれしながらひろがっていく木の枝の様子は「春」の陽気なイメージとは反対の陰気で不吉な雰囲気です。単に樹という以上に、何か心情とか雰囲気というものを隠喩的に描いているのではないかと、表現主義的な見方をしたくなります。これまで見てきた作品は、誰々風というように他の画家を思ってしまうのですが、この作品は他の画家を想像することがありませんでした。同じ一本の樹を描いたものでも、序章で見たトマス・ファーンライの「旅人のいる風景」と比べて見ると、その違いというか、この「春の夜」の個性的なことがよく分かります。
 ニコライ・アストルプの「ジギタリス」という作品です。チラシなどでは、同じ人の「ユルステルの春の夜」が出ていますが、私は、こちらの方が好きです。ジギタリスとは、画面向かって右前面の真っNorthjigi 直ぐ立ってピンク色の小さな鐘のような形の花を何個も咲かせている草のことです。毒草、薬草として広く知られているのですが、このことはこの作品で意味があるのでしょうか。白樺の幹が画面全体に密に生い茂って暗くなっている中でジギタリスが塔のように立っています。画面奥から右下へと、勢いよく水が流れる小さな小川が画面を区切って、前景には白樺の林とジギタリスが大きく描かれています。川の向こう側は後景となり、森が開けて3頭の牛が放牧でしょうか草を食んでいます。この3頭は対称的に配置されており、木の幹と相まって、構図に静的で図式的な印象を生んでいます。そして、奥には遠景で農村が望まれます。全体に、平面的で、Yokoyamasen2_20240516233201 図式的で、ゴチャゴチャしていているのに整理された感じで、そういうところは、アンリ・ルソーなどを連想させられます。この画家はムンクに感化され、独特の鮮やかな色彩を用いたと説明されていますが、平面的なところはムンクに通ずるところがあるかもしれません。しかし、この人は素朴というか、あっけらかんとした、それゆえに暗さは感じられません。ちなみに、近くにムンクの「フィヨルドの冬」が展示されていて、わりと有名な作品らしいのですが、私には雑だとしか思えませんでした。
Northsnow  ヴァイノ・ブロムステットの「初雪」という作品です。白夜だか極夜だかの薄暗く、雪が積もって音が失われたような静けさが漂い、港とか街とか本来は喧噪しているはずが静かという幻想的な風景。こういう雰囲気は北欧のイメージにぴたりとはまります。おそらく写実的に描写しているのでしょうが、一面グレーに彩色された幻想的世界に見える。何となく輪郭がぼんやりして、一面霧がかかったようなベBelgkhn3 ルギー象徴主義のクノップフの幻想的な風景画を連想させます。
 第1章の途中から階段を下りてフロアが変わり、そこから撮影可となり、鑑賞者は一様にスマートフォンを取り出して、カチャカチャと撮影にいそしみ始めました。

 

2024年5月15日 (水)

北欧の神秘―ノルウェー・スウェーデン・フィンランドの絵画(2)~序章 自然の力─北欧美術の形成

 19世紀、ナショナリズムの高まりを背景に、音楽では、グリーグやドヴォルザークのように国民学派の作曲家が現われたようなのが、絵画においても、起こったということでしょうか。国民学派が民謡を取り入れたのと同じように、故郷の風景や伝説を題材に作品が制作されたということでしょうか。
Northtraveler  会場に入って最初の作品がトマス・ファーンライの「旅人のいる風景」です。ドイツ・ロマン派のフリードリヒの影響が強く感じられる作品です。遠景に厳めしく荘厳な山岳が聳えていて、手前に枝を屈曲された巨木が厳しい風雪に耐え忍ぶ姿を現わす巨人のように屹立している。フリードリヒの作品のシチュエーションそのものです。例えば、「孤独の木」という作品が典型です。フリードリヒの場合、これはまるで何かしらの象徴と捉えられ、例えば、イギリス、フランス、ロシアという大国に囲まれたドイツを、枝を無理してでも広げている姿に擬しているとか、困難に立ち向かう人間に擬しNorthfreed ているといった解釈ができるのです。この巨木に孤独な旅人が後ろ姿で描かれているというのもフリードリヒがよくやるパターンです。ファーンライと同じノルウェーの作曲家グリーグの作曲したピアノ協奏曲がドイツ・ロマン派の作曲家シューマンのピアノ協奏曲とよく似ている。多分、お手本として念頭において制作しているうちに、結果としてなぞるようなものが出来上がってしまったのでしょうか。私はノルウェーに行ったことがないので、何とも言えませんが、この作品は北欧の風景というよりは、ドイツ・ロマン派の風景に見えてしまいます。明治大正の日本の洋画家が、芸術の都パリに留学して、帰国するとヨーロッパの明るくカラッとした陽光と日本の湿潤な光との違いから、パリで学んだとおりに描くことができないことに悩んだといいます。おそらく、この北欧の画家も、イタリアやフランスの絵画を追いかけて南欧の絵画では北欧の光を捉えられないことに気がつき、南欧の陽光的でない北方風のドイツ・ロマン派を知り「これだ!」と飛びついたというところではないかと想像します。
 Northfall となりで、より大きな作品が、マルクス・ラーションの「滝のある岩場の景観」という作品です。ゴツゴツした岩稜の描き方などはフリードリヒの影響を見てしまいたくなりますが、滝を落としている切り立った崖が壁のように続いているのは北欧特有のフィヨルド地形ではないか思います。それよりも、この画家の特徴はダイナミックな滝の奔流の描き方だろうと思います。ラーションという画家は、もともと海景画を得意とし、荒れ狂う海で波にもまれる船舶や沿岸の風景を描いたと説明されているので、要領で滝を描いたのでしょうか。奔流や高く上がった水しぶきBruknerfred がこの作品の中心であることは間違いなく、全体に暗い画面の中で滝に光がさして明るく映えているところからもわかります。このスポットライトはバロック絵画の光と影をドラマティックに描いたのを思い起こさせます。バロック絵画では光が当たるのはキリストや聖母マリアだったりするのですが、この作品では滝です。そのことに北欧土着の自然信仰を想像するのは考えすぎでしょうか。フリードリヒの「山上の十字架」を連想してしまいます。
Northmountain  ヨーハン・クリスティアン・ダールの「山岳風景、ノルウェー」です。山岳風景というより山間の鄙びた村の風景といたところでしょうか。村に迫ってくるような背景の垂直の岩稜は明らかにフィヨルド地形でしょう。高い山に陽光を遮られて日陰になってしまっている谷間(背景の山の高いところは日向になっている)で光がさして照らし出されたようになっているのが村人が何かの作業をしているところです。「滝のある岩場の景観」では滝に光がさしていましたが、ここでは人々の営みに光がさしています。これは、山間の厳しい環境の中での人々の営みに、文字通り光を当てる、と考えると、ここには郷土愛のような心情のメッセージを読むことができるかもしれません。作者のダールという人は、ドイツに渡ってフリードリヒの友人になった人なので、ドイツ・ロマン派の持つナショナリスティックな心情をよく知っているでしょうから、このような読みは、あながち的外れとも言えないかもしれません。また、この作品の滝の描き方は「滝のある岩場の景観」の滝とは全く違います。このあたりに画家の個性もあるのでしょうね。今までの3作を較べてみると、それぞれイタリアやフランスの風景と違って、明るい陽光や開けた空間というのはない点で共通していますが、明るくない光の空間の暗さの描き方がそれぞれ違います。それが画家の個性によるものなのか、それぞれの国の風景の違いなのかは、私には分かりません。厳しい山岳風景といっても、セガンティーニの描くアルプスと麓の風景とは全く違いますね。
Northfairly  アウグスト・マルムストゥルムの「踊る妖精たち」という作品。山岳風景から妖精のいる幻想にかわります。月明かりに照らされた風景の中で、水の上で踊る妖精たちが描かれています。そのうちの1人は水面にかがみ込み、自分の姿を垣間見ています。ここでは、手つかずの自然の精霊のように、朝霧が妖精に変わる様子を描いています。妖精は、繊細で、優しく、敏感であると同時に、気まぐれで、すぐに感情を傷つけ、よく扱われないと腹を立てる傾向があると考えられていた、北欧神話の隠れた人々に登場する妖精は、地元の民間伝承の中で美しい若い女性として生き残っており、丘や森、石の山などに自然の中で生きていることがよくあるというとです。この画面では妖精たちが半透明に、白い霧のように見えるような見えないような微妙な感じに描かれていて、しかも、それぞれの妖精の顔が分かる。こういうのって、何となく北欧っぽいと思うのですが。ちなみに、現在でも、例えば映画「ハリー・ポッター」などのようなファンタジーでゴーストをこのように表わしていますよね。

 

2024年5月14日 (火)

北欧の神秘―ノルウェー・スウェーデン・フィンランドの絵画(1)

Northpos  SOMPO美術館には、コロナ・ウィルスの流行がおさまって以来初めてで、以前とは様相が大きく変わっていました。まず、新宿駅西口から歩いてゆくとビルの横手で分かりにくかったのが、正面に移ってすぐ分かるようになった。受付が1階のロビーになって、並びやすくなった。そして、以前は展示がワンフロアだったのが、3フロアに分かれて、それだけ展示スペースが広くなったように思えます。この展覧会は北欧美術という、ルネサンスとか印象派のようなメジャーにものではないと思っていたのですが、ゴールデンウィークなのでしょうか、来場者は思ったよりも多く、後から後から人が来るという。また、最初のフロアでは撮影不可で、第2、第3のフロアは撮影可となっていて、最初のフロアでは係員が撮影不可の表示を街角のサンドイッチマンのように掲げて歩くという不思議な光景を見た。撮影可のフロアでは客のほとんどがスマートフォンを掲げて、作品を見るよりも撮影に忙しいようでした。例えば、絵の具が盛ってあるとか、筆触のような直接、作品を見ることで分かる画家の息づかいのようなものは、撮影した画像ではのっぺりしてしまって分からなくなってしまう。情報量が格段に違うのに、劣った情報の撮影にいそしむは勿体ないように思えます。だいたい、後でじっくり見ようと撮影しても、顧みられることなく放っておかれるのが関の山だろうと思います。撮影をしたことのない私の僻みでしょうか。
 北欧の画家のことはよく知らないので、紹介もかねて主催者のあいさつを引用します。“本展覧会は、北欧の中でもノルウェー、スウェーデン、フィンランドの3か国に焦点を定め、19世紀から20世紀初頭の国民的な画家たち、ノルウェーの画家エドヴァルド・ムンクやフィンランドの画家アクセリ・ガッレン=カッレラらによる絵画をご紹介します。北欧は洗練されたデザインのテキスタイルや陶磁器、機能性に優れた家具の制作地として知られていますが、同時に優れた芸術作品を生み出す土壌でもあります。19世紀、ナショナリズムの興隆を背景に、それまでヨーロッパ大陸諸国の美術に範をとっていた北欧の画家たちは、母国の自然や歴史、文化に高い関心を寄せるようになりました。各地の自然風景、北欧神話や民間伝承の物語が、画家たちの手によって絵画や書籍の挿絵に表されました。ヨーロッパの北部をおおまかに表す北欧という区分は、一般的にノルウェー、スウェーデン、フィンランド、デンマーク、アイスランドの5か国を含みます。このうち最初に挙げた3か国はヨーロッパ大陸と地続きにありながらも、北方の気候風土のもとで独特の文化を育みました。このたび、ノルウェー国立美術館、スウェーデン国立美術館、フィンランド国立アテネウム美術館という3つの国立美術館のご協力を得て、各館の貴重なコレクションから選び抜かれた約70点の作品が集結します。本展で北欧の知られざる魅力に触れていただければ幸いです。”
 展示はテーマ別にはなっていましたが、その区別が明確ではなく、それぞれのテーマでも、ノルウェー、スウェーデン、フィンランドの3か国のそれぞれで違いがあるという感じでした。私でも名を知っているムンクの作品も2作ありました。

 

2024年5月13日 (月)

鷲田清一「所有論」(27)~26.危うい防御

 人は生きようとして、その生存に必要不可欠なものの争議や略奪にさらされる。そうした争闘の歴史のなかで、生存の最低限の保障を維持するために所有権が案出された。ハンナ・アーレントによれば、所有権はもともと人が世界の特定の部分に自分の場所を占めることだという。そこで、世界は自然的目的のことではなく、むしろ世間(社会的共同体)だ。実際、生存が断ち切られるような恐怖においても、皆が同じ厳しい条件下で飢餓の恐怖に怯えることと、弱肉強食の下で他人に踏み倒されわたし一人のこととして恐怖に襲われることは別ものである。ジャック・アタリの『所有の歴史』では、それに抗う算段として多産財の獲得し所有をめぐる争いが始まる。アタリによれば所有の歴史とは多産財という財を生産する財の所有の歴史に他ならない。現代では、情報がそれに当てはまる。情報は物としての固有性の存立があやしく、所有=固有性の失効にいたる。そこから、所有権、つまり人が自分に固有のものと思っているものそのものはイメージでしかないという議論が生じる。そこまで来ると、生命体の争闘の歴史の治療薬として案出された制度だったはずの所有からの逸脱ではないか。
 同じようなことは別の側面からも、所有権それ自体が財産のひとつであるということ、所有の一形態であるということ、これはつまり、個人の存在の自由の基底そのものが所有関係としてあることである。そしてこのことは、わたしたちの自己自身との関係としての自己所有が、主人と奴隷の関係として設定されているということである。この主人と奴隷の関係が近代哲学のなかでは精神と身体との関係として表象されてきたと言える。自分自身の所有者としての自己、西欧の近代哲学が独立の個人として自己を表象する根拠は、このような概念的な道具立てにおいてのみありえた。このように所有の権利がそれ自体として所有の一形式である循環論。これはやがて、所有される物が所有する者を所有し返すという事態へと反転し、ついには所有が所有するという閉回路へと至る。
 この問題を掘り下げると最初の「有」をめぐる議論に戻ることになる。わたしが何かを所有しているという関係は、わたしという同一的な主体が、何かある対象をじぶんのものとして、つまりその有りようを自ら決することのできるものとして保有していると、普通は考えられている。しかし、このわたしと特定の対象との関係を所有として規定し、下支えしているのは、わたしという主体なのではない。所有という関係は、所有する主体と所有される客体とり恒常的な関係ではない。言い換えると、所有する者としてのわたしと所有される物としての対象との関係は、わたしと対象との閉じた関係としてあるのではなく、つねに社会的な承認や受託という契機を内蔵することではじめて所有へと構造化されている。つまり所有関係の形式である所有者/所有物は、それぞれに独立の二項ではなく、わたしは常にある対象の所有権をめぐる係争に晒され、いつ破棄されるかもしれない。一方、対象もまた、どこまで所有権の対象であるかもわたしの意思によって決められない。それゆえ、ある物について所有権を持つことは必ずしも所有する者がそれを意のままにできる自由処分権を意味することではない。しかし、その一方でまた、所有という契機なくしては人の生存は成り立たない。そこかに存在に所有という契機が組み込まれていることを考える必要がある。
 日本語で「金を持つ」ことを「金がある」というように所有は、誰かが何ものかを持つことと、何ものかが誰かに帰属するという二様に表現できる。フランス語でもそうだが、和辻哲郎は、そもそも存在賓辞「がある」であると同時に繋辞「である」でもあるフランス語のetreを「存在」と訳すのは無謀だと批判する。「存じている」という表現にあるように、「存」は忘失に対する把持であり、忘失に対する生存でもあって、その意味では「存」は「忘」や「亡」に電ずるかもしれない生成的な性格のものであると和辻は言う。一方、「在」はある場所、それも特定の場所にいることを意味する、つまり、「在」は「去」に対置されている。また、etreには「有」があてられもしてきた。「有」はあるとともにもつでもある。これは何かがあるという事態は基本的に何かを保持する働きを基盤として成り立つということである。そして、人として存在することは、身を持するという意味で所有を本質的に内蔵して成り立っている。和辻流の言い方をすれば、「存」「在」がともに「有」を含むということ。とどのつまり、所有が存在を支えている。だがそのとき、もつは所有権と言われるときの所有ではない。
 そして、本書の所有を受託として捉えかえすという議論は、この論点につながる。その意味は次の二点にある。一つは所有という営みが最終的に帰着するところは、主体による私的所有の権利要求ではなく、状況にとって何が最も適切な配置かということ、つまりは所有=固有ではなく適切さたという点。もう一つは、所有において最終的に問題となるのは、その権利の由来するところというより、その対象をどう維持し、その可能性を生成させていくかということ。つまり、帰属の問題というより、帰責の問題だという点。所有権はそもそも何を護ろうというものか。食料や水源や土地といった生存の基盤を護ることは、人がその存亡をかけた条件である。そしてそのための資源が稀少であることから、太古より集団の間で、熾烈な争闘が繰り返されてきた。それを調停する第三者が存在しないところでは、争闘は一方が他方を制圧もしくは殲滅するまで続くという所有の血腥い歴史はつねに略奪のれきしとしてあった。争闘に終止符を打つのは力であり、その力は集団と集団の間のみならず、集団の内部でも行使された。そうした集団が、後に、社会として編み直され、さらに集団側でも社会が設定されていく過程で、それと連動して案出されたのが所有権、それも私的な所有権であった。それは人々が互いに最低限の生きる装備を保障すべく編み出した共存の智恵であった。この権利はたしかにある物件をおのれのものとして保持する権利を意味したとはいえ、それが護るのはその物ではなく、人であった。所有権はその人の所有を護るものとして設定された。だから、人は所有権を持つと言われてきたのである。そして、現代では、この所有権が本来それに適合しないような場面にまで拡張され、さらに所有者なる人の生存そのものを攻撃するような所有権の過剰の様相を呈するに至った。
 この所有権を受託として捉え直すとすれば、所有権は、「それを持たせられる人がそれを持つべき」という思想とみなすことができる。それは誰に預けるべきものか、つまりは対象との関係やその配分の適切なあり方を判断するよすがとしてである。ここで、何かを持つことが何かが自分のものとしてあることとは同一のことではない。持つの対象は孤立的なものではなく、それよりむしろ他者に分け与えたり、共有したり、譲り渡したりというように人の間を目巡るものである。「カネは天下の回りもの」というが、所有は単にわたしとものとの固有とか帰属という意味でのプロパティという権利関係ではなく、むしろ、リスクの分散と相互扶助の可能性を担保する一定の社会的調性の行為として捉えるべきものということになる。所有という関係は、人ともの、ひいては人と人との持ちつ持たれつの関係ネットワークのなかに組み込まれている。所有という関係は単独の私的主体とその対象との関係ではなく、ある場、ある環境のなかでの人とものとの関係、つまりものを媒介とした人と人との関係であり、またそのものとそれが置かれた他のものとの配置関係でもある。所有は関係の適切さのことと言える。そうだとすると、受託としての所有も、そうした関係が誰かに預けられることとして、たんに私的な権利ではなくて、各自が負うべき公的な責任のひとつという意味を帯びることになる。そこから、権利としての所有から責任としての所有に始点が移る。
 所有を権利の地平でのみ捉えないということ、それはつまり法的な次元でのみろんじることはしないということ、言い換えると、所有を何かが誰がのものであるとしてではなく、誰かのものになることとして捉えるということ。それはさらに、各人にとってのっぴきならない自身の身体や自信を養ってきた知識や能力についてとわれることでもある。これは誰のものかという言い方は、所有する者と所有される物との分離を前提にしている。ものから独立に所有する主体としてわたしがいるわけではない。人も物も相互にかかわるなかで主体に、そして対象になってゆく、それを所有者/所有物にするのは所有者の発想である。所有する/所有されるという関係とそういう主体と対象の相互生成的なプロセスを前提にしている。所有する者と所有される物もまた、このような過程のなかでその都度存立を得るということである。そして、所有権の概念がその関係に適用されることで、その関係はわたしに閉じたもの、排他的なものとなっていく。所有の関係も権利の関係とされることで、所有権の前提である稀少性を盾に、排他性をさらに私的利益への主張と誘導してしまう。これはわたしの労働の結果としてここにあるのだから、その経済的恩恵を受けるのはもっぱらわたしであるべきだという他者排除の論理へと屈折し、持つ者と持たざる者との関係を断ち切ってしまう。
 所有権が市民一人ひとりの自由を擁護し、防禦する最終的な概念として機能しつつも、しかしその概念過剰適用すれば逆にそうした個人の自由を損ない、破壊しもするということ、そのかぎりで所有権はわたしにとって危うい防具だということである。だからこそそれはその適用の文脈を綿密に選り分けていかねばならない。所有をめぐる調停と約束は、場面場面でそのつど関係者によって様々な思いの不一致や軋轢を選り抜けて探られるものであるがゆえに、一般的なルールや法規範のかたちでではなく、その都度のそこにはたらきだす叡智として辛抱強く持つべきであろう。

2024年5月12日 (日)

鷲田清一「所有論」(26)~25.所有と固有、ふたたび

 遊動生活から定住生活への切り替えによって人間は、ゴミや排泄物の廃棄とか、成員の死体の遺棄ないし埋葬とか、寄生虫や伝染病からの隔離、そして成員間の不和や確執の解消、他集団との緊張の回避といった、遊動することでおのずと解消していた数々の問題を内に抱え込むことになった。定住によって集団の規模もしだいに拡大し、そういう至近距離の共同生活の中で、取り合い、奪い合いといったストレスフルな対立の場面も増え、そこでより有利な場所を占め。より多くを占有するという、予備的な防御と駆け引きの体制が成員間で講じられるようになる。所有をめぐる約束や掟もまた、ある場所と物との関係を独占的に保持することの各成員からの要求を調停する算段として成立した。これが一点。もう一点は、死を遅らせる算段としての所有の取決めである。それは、人間という存在の有限性の観念ともつながるものであった。つまり、たんに時間的・空間的に限られたものであるという意味よりも、むしろその存在がおのれのうちで完結しえないという、不可能性の視点である。そのかぎりで、所有が秘め隠しているとされる死は、じつは様々の対象を所有するとされるわたしの存立そのものにも内蔵されているものであった。
 あらためて所有のもっとも基本的な場面に戻る。所有とは、誰かが何かを自分のものとして持つという風に想定されてきた。あるものを所有するというのは、それの所有権を持つということ、それも「~の相におけるかぎりでの」特定の対象について所有権をもつということである。実際、ある物を所有するといっても、その存在の全体ではないし、またその全体をわたしが自由にできるというものでもない。その存在は最終的にはわたしによる所有の外にある。誰もがわたしのものとみと手きたにしても、局面しだいで簡単に私だけのものでなくなるし、そもそも普段はことさらにわたしのものといしきされてはいない。それが殊更にわたしのものとして浮上し、その権利根拠が厳しく問われるのは、自他の間に所有権をめぐる係争が起こるときである。そのときは、あらためて誰に否認されることもないわたしのものとなる。それはわたしがそれを物として持つからではなく、それの所有権を持つからである。前者の持つは何かある物を手中にしていることを意味するのに対して、後者は自分のものとして持つこと、すなわち帰属するという意味での所有である。
 本書では、21章から所有を受託という地平から捉え直してきたが、わたしという人がいてそのわたしに何ものかの所有が受託されるのではなく、誰かに受託されることで、その誰かが人となる。そういう擬制のもとで、人は所有する主体、つまりは人格として構成される。しかし、その人格としてわたしは普段の生活のなかではそうでもないとしても、その物件が係争の種となったとき、所有の権利を持った者として強く現われる。つまり、物との関係にしても、その所有権が係争の種となっていなければ、それが自分のものであっても、ことさらに他者による使用をこばんだりしないし、あえて自らの自由処分権を口にすることもない。
 近代の市民的主体は、所有者として自己形成することでその存在を獲得すると考えられてきた。彼が何を所有しているかが、誰であるかという彼の存在の実質をなすとされた。そのとき、所有/固有の二義を内包するプロパティの概念が、同一性、主体性、個人性、自律性、直接性、内面性といった概念群と連動しつつ、自己決定と自己支配の主体像がレトリカルに構築されたのだった。まさに所有権者としてである。
 そういうふうに考えてくると、ロックが所有権の成り立つ根拠として提示したもっとも基礎的な事実である自己の身柄の所有という事態も根本から見直す必要が出てくる。つまり、人は誰でも自分自身の身柄に対する固有権をもつ。しかし、必ずしも、自らの身体が思い通りになるわけではない。その限りで、ひとの身体には不透明さが伴う。それゆえ、ひとはその身体を所有しえないし、また所有しきれない。このことは、じつは人はおのれの存在を所有/固有というかたちで、そして自己同一的なものとして閉じることを不可能にしている。これは自己所有の否定、つまりは人が自己自身を所有できないということである。人の生は本質的に、その人のうちで完結しえない、それが、人の有限性ということである。このようにわたしの存在がわたしのものでないこと、つまりわたしではないものに根を張っていること。こうしたことへの根源的不安が、自らの存在をプロパティとして自らの制御下におき、自己を内的に完結した系として閉じることの要請へと、人を駆り立てた。

2024年5月11日 (土)

鷲田清一「所有論」(25)~24.<場所>と<死>と

 21章では、ハンナ・アーレントが「財産」と「富」を区別し、西洋近代では前者が後者に取って代わられるという主張を見た。財産とは本来、人が世界特定の部分に自分の場所を占めることであり、それは政治体という公的領域にメンバとして属していることを意味した。しかし、16世紀から17世紀にかけてイギリス起こったエンクロージャー(囲い込み)によって、私有財産は公共的なものへの対抗概念として理解されるようになった。私有財産権を、この世で最も私的に所有されている身体の労働力のうちに基礎づけようとするロック的な所有権の根拠づけも、この脈絡のなかで提唱された。このように財産の源泉が労働力という、人間の内部に存在するもの求められ、財産権が個人的=私的なものとして公的領域に対置されるようになるというのは、アーレントにいわせれば、構造としての財産が過程としての専有に取って代わられたということである。言い換えると、財産権として追求されたのは、じつは財産そのものではなく、むしろ専有、つまり、富の増大と蓄積の過程を承認し、保護することへの要求であった。そこで求められたのは、個々人の世界を専有する活動が適正に私的なものとして承認されることであった。
 アーレントが言うように、プロパティが世界の特定の部分に自分の場所を占めることであるとすれば、その場所は、単なる物件としての土地、商品として土地ではないことになる。それは、世界の中での位置取りともいうべきものであって、そこに人がこの人という特異な存在として現われる場所のことである。アーレントが、ここで導入するのは、ひとの「なに」と「だれ」の区別である。公的領域こそ、人々が、自分がだれとして、リアルに、そして他のダレトモ取り替えのきかない仕方でここにあるかを示しうる唯一の場所である。ここでは、その人が「だれ」であるかがあらわになる「現われの空間」であるという。しかし、歴史はそうならなくて、場所であるはずものが単なる物件、ないしは商品として土地に取って代わられたのだった。その過程で焼失したのが、ひとが他人によって「だれ」として見聞きされる、その他者だった。
何かを所有しているという事態では、所有される対象と所有する者は、どちらも一定の永続性が前提されること前に見た。一方、協同して生存を営む人にとって緊急ともいえる関心は、まず身をフィジカルに養うものと身を安らえる場所、つまりは食糧とテリトリーの確保である。そこで突き当たるのが定住という問題である。もともと人々は遊動生活をしていたのが、定住するようになると、異動することで解決していた問題を内に抱え込むようになる。それは汚れたもの、不快なもの、忌まわしきものや事態の隔離であった。所有も定住によって生じた社会的確執を回収する算段の一つとして設定された。定住の開始とともに、集住の場所は固定され、有限のものとなった。ここからこっちは私の領分だ。これは集団の中での私の取り分であり、だから自分以外の誰にも手を付けさせないものだ、という境界の明示、侵犯の禁止。つまりは、自部名が生き延びるためには欠かすことのできないものを、自分だけのものとして確保すること。こうした行為が所有という観念の発生と同期している。そしてさせに、定住とともに生まれてきた、自分の領分の中では、あるいは自分の取り分に関しては、自分のものとして排他的に意のままにし得るという感受性、自然を恵みとして受け取るというよりは、むしろ伐採し、土を掘り、水の流れを変えると言った、自然への操作的介入というマインドへ膨れ上がった。
 所有という現象が、このように定住を基本とする、生存の最も基本的な局面から立ち起こったのだとすれば、所有はいやでも死という問題に絡んでくる。性の存続は死の先送りに他ならない。所有が秘め隠しているものが死の恐怖であることは14章で見た。人々が念願したのは存続し、死を遅らせることであった。そういう生存の原型に所有はかかわっている。だからこそ、財を生産する財、つまり多産財が所有意識の核心的な対象となってきた。歴史的には、最初に女性、次に土地、そして貨幣がそれである。

2024年5月10日 (金)

鷲田清一「所有論」(24)~23.共にあることと特異であること

 所有権をていぎするものは法である。法という観念的な体形によってその内容は規定される。しかし、所有という関係は、権利としては法によって規定されるとしても、その関係自体は法のみによってかたちづくられているわけではない。対象となるモノの存在形態や価値、そのモノをめぐる様々な社会関係、さらにはそれらを調整し、調停し、裁定する様々な慣習的な枠組みが、むしろ所有の内実をかたちづくってきた。所有という関係には、理念的な次元と事実的な次元があって、しかもその二つは深いところで縺れ合っている。
 所有権の主体であるかぎりでの諸個人は、社会という法治を基本とする一つの全体をともに形成するかぎりで、同型的でありながらも、それぞれに個別の存在でなければならないのは、それらが同じ存在資格をもつ同型的な主体として社会の単位をなすはずのものだからである。ここで想定されている社会と個人の関係は、全体とその成員との関係であって、全体の一が各個別の一との、互いに映し合う鏡像的な関係をなしている。その両者を接合する媒体を担うのが、一方で社会的な財を意味しながら、それを自分のものとして所有する権利を有するプロパティ概念なのであった。あるいは、社会を構成する単位としての個人は、自己同一的なものとして統合された主体、つまりはもはやそれ以上には分割できない存在としてある。それは他のいかなるものにも媒介されない、自己自身との直接的な関係において在る。そのかぎりで、いわばおのれを一つの閉回路として保持しているものであって、そのことが内部性として捉え直される。そしてそれに基づいて、所有する個人主体は、何よりも自己の主人として自己の存在を専有/固有化するものであるとされた。近代的な所有における絶対的な排他性の底から帰結するのであった。
法的な秩序としてある社会はいわば分身たちの共同体であって、そこでは全体として社会の「一」の下、個々の主体の「一」が互いに合わせ鏡のように映し合っているのを見たが、注目すべきはこの鏡像関係で、個々の主体の「一」が互いを排除するような関係にあるということである。これは個人が自由であることと、その個人があるものを自らに排他的に帰属するものとして所有しているということが同一の事態とみなされということだが、そのことによって、他者はわたしのものである財産の所有に外的なものとなり、その他者とともに何ものかの共有もわたしの私的所有とは対立的な事態へと転化してしまう。それだけではない。個々のわたしの私的所有ではないものについては、みなで分かち持つという意味で共有のものではなく、むしろ誰のものでもない公有のものとして、行政機関に管理運営が委託されるようになる。所有が公有と私有へと二極分化するなかで、共の場所が消失していくのである。
 ここでわたしたちは、法=権利のシステムとしての所有の観念性の彼方に、共同体内部の葛藤を調停し、解消してゆく事実的で自主的なプロセスを再発掘することが求められているのである。所有の対象としての共有物ではなく、所有における共にという契機を前景に引き戻すことを求められているのである。このような共に身をさらしている一人一人は、相互な入れ替え可能な、同型的な個ではない。いわば単独な「わたし」である。
 そこで、みの単独な「わたし」たちの共同性を考えることになる。共同性というのは、自他の間を媒介する約を果たす何か共同的なものが不在であるところに出現するものである。それは横並びの同型性によって交換可能な共同性でしかない。それは、単独な私の共同性ではない。
そこで、「共」と「共に」の際にこだわるジャン=リュック・ナンシーを参照する。この際は内在主義を遠ざけるためだったという。ひとびとがある一つのものを分有することで形成される合一体として共同体を捉えるのがそれだが、ナンシーはそうではないという。そうではなくて、先に関係というものがあって、そういう関係の分割としてそれぞれの存在が露呈してくるものであるという。現象として根源的なのは、諸主体の合一でも共でもなく、このぶんかつそのものだとナンシーは考える。つまり、人々の「共に」というあり方は、個的な主体が互いに傍らにあることでも、互いに横並びであることでもなく、それぞれが特異なものとして複数で同時的に、そして等根源的に生成するという、出来事であるという。異なる者たちの合一ではなく、分割こそが根源の出来事であり、この分割において「共に」(複数性)と「特異」(単独)とが同時的に生まれるというのがナンシーの考えである。

2024年5月 9日 (木)

鷲田清一「所有論」(23)~22.<共>の縮減

 所有という関係を受託の関係として読み直すことで、最初に解除されるのは所有の概念と自由処分権の概念の等置である。所有者は、あるものを預かる当座の主ということなって、それを前代から引き継ぎ、次代へと引き渡してゆく途上にある者とし、て、微妙に調整したり改善したりすることはあっても、当座という限られた時間の中で己の利を図ってそれを意のままにすることはできない。そして、近代の法制度は、私有財産の保護をあつくうたっている。各個人または団体がその存続に不可欠なおのれ自身のものとして所有することを正当な権利として認め、それを他者が勝手に使用したり、既存したりすることを激しく禁じるものである。というのも、個人のたは団体が自身に関する事柄を自らの意志によって決定し、また実行する自由は、その自由を行使するための基盤となるべき一定の財を必要とするからである。この意味で、所有権は、市民が国家や権力者に対抗して、自分たち市民の自己統治を原則とする新しい社会を確立するための根拠となる。
 しかし、この所有権の思想は、その拡張に際限がない。本来所有になじまないようなものまで売買可能な商品として私有しようとする危険がある。そうしたなかで、所有を受託として読み換えると、所有を核とした社会に地殻変動を引き起こすことになる。ます、所有権の概念の中に埋め込まれていた自由処分権が解除される。そのことによって、所有物を意のままにしてよいわけではなくなる。プロパティの概念に仕組まれた所有と固有の両義性もまた解除されることになる。受託とは、じぶんたちの財を、みなを代表して管理・運営することである。そして、さしあたっての擬似所有者になるとしても自由処分権が認められているわけではない。ここでみなというのは、一定のコミュニティのメンバー、つまりじぶんたちである。そういう所有の形としてまず思い浮かぶのはコモン(共有)という位相である。
 思えば、近代市民革命以降の西欧社会において一貫して国家・政府の役割として求められてきたのは。私有財産の保護として求められてきたのは、私有財産の保護、とりわけ盗難や毀損といった危険からの保護であり、その前提となる所有権の確立であった。しかし、それは資本主義的な市場原理とあいまって、本来は私的所有のなじまない領域にまで浸透し、過剰適用された。つまり商品という売買や投機、譲渡や貸し借りの対象となっていった。ひとは、生活物資は言うに及ばず、俊樹や資格、快楽も買うことができると確信するようになった。それどころではなく、自身の新しい外見などを買うことで、私の属性・存在は、私の所有となる。キンタ制の市民的主体は自己所有、つまりは自己自身を意のままにできるという自己決定の可能性において、わたしという主体であり得るという条件が、市場で確定されたかのようであった。このように、所有の主体であることで一個の市民的主体となるというこの主体化の過程は、主体の内部が空洞化して行く過程でもあった。このような主体における自立を主体による自己所有に見出す過程は「共」の痩せ細る仮定でもあった。近代の市民社会がその基礎単位として前提にしている自立する個人は、他者に依存することのない存在ではない。精確に不可欠の道具は様々なプロセスを経て出来上がる。それを人は見一つでできない。人々の分業が条件として在り、その過程を持ち合い、分かち合うことで、一人一人の生活基盤が築かれている。その意味で、分業と相互扶助の仕組みなしに個人の自立した生活も成り立たない。そこには「共」の力がはたらいてきた。
 「共」という協同の仕組みは現在、行政によって代行される。言い換えると「共」の知恵と力は国家によって簒奪されている。一方、市民はその過程で利便性の見かけに引きずられ、行政により提供されるサービスの消費を権利と取り違えてきた。そして所有への欲望を際限なく亢進させた。そこでは、「共」という位相は跨ぎ越され、「共」はひたすら縮減してゆくほかなかった。人々は、そういうサービスをおのれの意志や行動に他人からの強制などを受けないという自由の代償として受け入れた。それはハンナ・アーレントに言わせれば、共通世界の衰亡である。
 だが、事態はそこにとどまらない。私的所有の原則に基づく公的なものの民営化は、それが徹底されると、やがて社会の基盤をなしてきた所有権の原則を逆に一つの桎梏とみなすようになる。例えば。情報や知識といった非物質的な財の複製可能性は財の価値を損ねてしまう。意のままにできると私的所有権を損ねてしまうというパラドクスである。ここで生じているのは、所有財産に対する権利や権原はそれを肯定するのと同じ論理によって骨抜きにされるというパラドクスである。これは、西洋近代の所有論の嚆矢となったロックの労働所有論をまっすぐになぞっているが故に発生したパラドクスなのである。ネットワーク上の情報を生産する知的労働は、それを担う者を特定できない。しかし、それ以上に重要なのは、そこに見られる労働が、もはや所有権者の私的な所有権を根拠づけるような個人的な労働ではなく、あくまで人々の協働としての「共」の所有権を根拠づけるものになるということである。
 本章では、所有という関係を受託という概念でと変え直す可能性を問うている。受託という概念を持ち込むことで最初に要請されるのは、所有と自由処分権の等置の解除であったが、それと関連してもう一点、所有関係における所有主体は、所有者としての自己同一性ではなく、「だれ」、つまり特定の誰かに「だれ」として名指しされる「このわたし」というふうに、あくまでも他者たちとの関係のなかで限定される存在だということである。その意味で、プロパティという概念が含意している所有と固有の二義性における後者、すなわち固有性は、けっして各自性ということに還元できない。各自性というのは、一般的に対置される個別性でしかない。固有性には、「ほかでもないこのわたし」という代替不可能な存在という意味が込められている。

2024年5月 8日 (水)

鷲田清一「所有論」(22)~21.<受託>という考え方

 プルードンの所有とはじつは受託者という指摘は重要な意味を持つと著者は言う。人々が自分の所有物と称しているものは、じつはその人に託されたものであるということ。その感覚は、あるものを自分のものとして専有するのではなく、預かっているという感覚である。そして重要なことは、だからそこには何がしかの責任が伴う、つまり自分が託されたものに責任があるということになることである。そうなると、所有の主体は受託者というポジションになる。人間は決して自分自身の主人ではなく、自分のものではない物の主人であるかもしれないということになる。
 所有する者と所有されるものとの関係が、受託の関係であるとされることで解除されるのは、第一にね所有権と自由処分権との等置である。受託というのは所有主体による支配や制御を否定するもの、それにおのずと制限をかけるものだからである。ところが、今まで見てきた西洋近代の所有論では、所有権の根拠づけをめぐって、所有する者の存在もしくは活動のうちにその根拠を求めるというかたちで議論され、所有される対象の存在様相については立ち入った分析がされてこなかった。
 そして、第二に、所有対象の永続性という問題である。それの存在が所有関係の存続よりも時間的に長いからである。所有の主体の永続性とその対象の永続性とが、ともに常に失われるおそれに晒されているというのは、一つには所有という関係が成立するためには所有する主体が時間の変化を貫いて同一的なものであることが不可欠である。その条件のひとつが脅かされているということであり、もう一つには所有という関係が成り立つためには所有される対象がその関係を超えて存立し続け眼ことが時要件となるのに、その存立もまた衰減の可能性に晒されている。そしてそのような衰減の関係に脅かされているただ中で、その関係を安定させるために措置されてきたのが所有という関係の主快適な設定なのである。受託の視点はここであらためて所有される対象のあり方をも同時に問うことを求めている。
 これらのことを甘えて、本書はハンナ・アーレントの『人間の条件』での議論を紹介する。あヘレンとは、そこで財産、所有物と富の区別という視点を導入する。財産はもともと世界の特定の部分に自分の場所を占めることだけを意味していた。単なる生命と生活の維持のためではなく、人として生きるための場所を有していることが私的な財産を持つということであった。一方、私的な富はそのような真に人間的な生活に不可欠なものではなく、あくまでも生計の手段でしかない。とはいえ、富も別の意味では不可欠なものであり、それなしでは各人の生が成り立たないからである。友を不可欠なものとする私的生活は、各人の生命が必要とするものを確保し、享受し、消費する場所であり、また人々が共通世界から非難するシェルターともいえる。私的生活は公的生活に参加するための基盤でもあり、公的生活の別の側面、つまり公的生活の暗い隠された側面でもある。ところが近代になって、財産が富にすり替えられ、それに伴い無産が貧困と同一視されるようになってしまった。そもそも、公的世界は存続しなければならないという永遠性が求められている。その客観的リアリティが成立するとすれば、それはそこに数限りないパースペクティヴと側面が同時に現存しているからだという。つまり、共通世界が立ち現われるのは何か共通の尺度や公分母があるからではなく、人々がある場に集いながら、それぞれ互いに異なる場所から互いを見聞きしているからだという。そして私的生活こそその視点の多数性を裏づける。そういう意味で、私的生活は公的生活の基盤となる。しかしそれが、財産が生計の手段でしかない富に取って代わられてゆくと、富を生産する活動が市場交換を通じて拡張されるされるにしたがい、財産の実質ともいうべき永続的な世界の一部分を踏み越えて、富しか持たない賃労働者へと変貌して行く。こうして共同体は社会へと、財産の実質をなす地所=不動産が動産へと転化して行く。このような私的領域そのものが拡大し社会を形成してゆく過程は、本来の私的領域が、ひいては世界の客観的リアリティが崩壊していく過程でもある。財産に代わって私的富が公的領域に加入する条件となり、そのために人々の関心の対象が財産から富の増大に変異することで。財産を持たず富しか持たない人ばかりになり、共通な世界との接触が断たれてしまうからである。そうだとすると、富に取って代わられる前の財産はけっして利己的なものではなく、むしろ協同して永続性の場所を立ち上げ、保つ目指されていた。
 アーレントの議論では財産のみならず所有すること、つまり所有という関係そのものに受託という概念が押し込まれることになる。受託ということが成り立つのは、所有されるもの、つまりは財産が所有する個人の生の有限の時間を越えているからである。これは、言葉と人の関係になぞらえると分かりやすい。言葉は、今の私たちが考え出したものではなく、先行する世代から受け継いだものである。私たちがそれを口にする中で自分というものを象ってゆく。言葉はそれ自体が誰かに用いられなければ存続もしえないが、しかし所有関係と同じで、使う人によりも使われる言葉の方がいのちは長い。つまり、永続性がある。とすると、それぞれ独自の流儀やスタイルで表現する私たち一人一人が言葉の器であるわけで、言葉はそういう一人一人の使用を機縁として、各々の場面を超えて存続する。このとき、私が言葉を大切にするのは、それが自分のものだからではなく、間違いなく自らの身を養ってきたものだから、そして、いずれは別の誰かが使うかもしれないからである。そう考えるなら、所有(プロパティ)とは、それぞれの人が事物との間で紡いできた私秘的な関係を護るために、それぞれの人がとるべき公的な責任を指す。さらには、受託の適切さという概念の実質を指す。

2024年5月 7日 (火)

鷲田清一「所有論」(21)~20.制度から相互行為へ

 法や権利を、その歴史的な由来によってではなく、あくまで原理的なレヴェルで普遍的な根拠をもつものとして立証するという手続を、カントは演繹と呼んでいる。だから、一般的な帰納と反対方向の推論の仕方ではない。人の現実的な占有の有無にかかわらず何ものかを人の所有とすることの正当性を立証する手続き、つまりは権利問題をめぐって採られた法律上の手続きが演繹なのであった。これを言い換えれば、法/権利の正当化には、事実的=経験的なものから独立に、ということは偶然的な契機を含みいれることなしに権利問題として完遂できるか、つまり、理性の自律という課題としてある。これが成り立つためには、次の二つの条件が満たされる必要がある。ひとつは、所有する者が他者に介入されることのない内的な自己関係を内蔵していること、もう一つは所有する者による占有が正当な占有つまりし所有として社会的に認定されているということである。しかし、これらの要件は自己完結的ではない、端的に言うと、強圧的にしか自己完結的であることを擬装できないとすれば、議論は演繹という地平に収容しきれないことになる。自己関係性の破綻である。
 これを別の角度から法のパラダイムの覇権を破ることとして提示しているのが松村圭一郎の『所有と分配の人類学』である。松村は、エチオピアの農村のフィールド調査から、核としての一つの前提、つまり人々が或る種の一元的な構造をもつ原則に基づいて友の所有や分配を行っているという認識を問題視する。社会は何か一元的な法によって秩序付けられてわけではなく、実際には諸々の契機や脈絡が絡まるような相互行為の力学としてある。そこでは、法には収まりきれない諸々の権威が多元的に作用しているし、所有という現象についていえば、土地の所有や借用や売却、物・非との譲渡や貸し借りの仕組みが有、それらをめぐって様々な思惑がうごめいている。これらの相互行為の力学を駆動させる枠組みは、法よりもはるかに微細に、そして強力に人々の行動を制約している。所有が所有権の問題として法的に顕在化するのは特定の限られた局面でしかない。言い換えると、富の所有や分配のあり方は、ある拘束力を持った行動の複数の枠組みを人々がともに参加しつつ、交渉し合う、そういう相互行為ょ繰り返すなかで形成されるものであって、法という国家が定立する一般的な規則以上にローカルな社会の民俗的な規範や慣習その他さまざまな要素を考慮に入れる必要がある。そういうことから、松村は、権利としての所有は一つの虚構ではないかと問う。
 本書では反所有論として所有の概念は概念として不可能だというプルードンの議論を紹介する。プルードンは『所有とは何か』のなかで、所有について二つの定義づけをしている。ひとつは他人の富、他人の労働の成果をほしいままに享受し処分する権利というもの。もう一つは、所有者が自己の署名で印しをつけた物について僣取する不労所得の権利というものである。この所有の定義は、他者のものを横領し、わたしのものとして濫用することと、自らは働かずして詐取ないし着服するという二つの契機からなる。しかし、この場合、横領する他者のものは所有されているわけで、ここに同語反復が生じているし、概念の混同が生じている。所有が所有権をさしているのか、横領という所有権の濫用を言っているのか曖昧になっている。
 この矛盾は別々に導入された二つの概念のためだという。一つは、『貧困の哲学』で提示された系列の概念である。プルードンは所有について、それを単独の概念、事象として論じることはできず、他の様々な事象や概念とのシステマティックな関係(系列)のなかで現われるとしている。諸々の要素の分類と組み合わせによる系統的な連関の中で所有もまた概念として存立するとともに、所有を存立させている歴史的な布置そのものを変容させていく。そのような動態のなかで所有も捉えられねばならないというのである。もう一つは、受託者もしくは用益権者の概念である。人々が自分の所有物と思っているものは、実は自分に委ねられているもの、託されたものなのであって、その限りで個人はそれの用益権者であっても所有者ではない。しかも、用益権者は自分に託されたものに責任があるというわけで、意のままにできるという自由処分権が失効することになる。

2024年5月 6日 (月)

鷲田清一「所有論」(20)~19.形式的なものと自己関係性

 純粋なものは内容の空虚な形式的なものになってしまう。この問題を引き受けたのが、カントの純粋理性の思想である。カントは『人倫の形而上学』で所有権とその根拠について主題的に論じている。カントによれば、法とはある人の意思が他人の意思と自由の普遍的法則に従って調和させられうるための諸条件の総体である。個人の意思の自由とは、それが感性的衝動による規定から独立であるということともに、それが他人の意思によって何事かを強制されたり、また他人の意思の自由を損なったりすることなくそれと両立し、協調することが可能な状態を意味する。そして、共同体のそのような在り方を可能にする条件を究明しようとする。そこで、カントは私法から見ていく。所有権、つまり、法的な私のものとは、ある他人が私の同意なくあるものを使用するならば、その仕様が私を侵害することになるといった仕方で、私と結び付いているような当のものであるという。それに続けて、外的なあるものが私のものでありうるのは、他人がその物件についてなす使用によって、私がたとえ物件を占有していなくても、なおかつ私が侵害されることがありうると考えることが許されるような場合だけである、という。ここで、戦友の概念は二重になっていて、対象を物理的に所持しているという意味での占有と、法的に私という主体に帰属しているという場合の法的な占有である。前者は問題ないとして、後者の「私のもの」という宣言が他人の意思の制限や拘束を伴うことの根拠をカントは次のように考える。
私による占有が他人に対する拘束性をもつことができるのは、彼の意思が相互に実践的関係に入りうるすべての人々の意思を結合することによる絶対的に命令的意思のなかに含まれている限りにおいてである。言い換えると、彼による占有が万人に課すことができるような拘束性をもつためには全般的な意志、偶然ではなく必然的に結合した、それゆえに立法的な意志゛必要とされる。この全般的な意志というのは、ルソーの一般意志のようなものだと考えればいいと思う。ということは、あるものを「私のもの」として領有することが法的に可能であるためには、それを占有する意思が人々の間で客観的に承認されていることが必要である。
 これらを踏まえて各個人は自分自身の主人であるについて考えてみる。カントは「自分みずからの主」と「自分自身の所有者」を区別し、人は前者であり得ても、後者ではありえないとしている。所有は、わたしが自分からは区別された客体を意のままにできること、言い換えれば、わたしによる自由処分の可能性と理解され、そのような所有関係は自己自身との間では不可能とされている。その点で、これは西欧近代の一般的な所有概念です。そのうえで、ひとは自分自身の所有者であり得ないという。それはつまり、自分みずからの主のなかでみずからのと言われる関係、自己との関係は、所有といわれる関係ではないということである。自分自身との関係が所有ではないかたちで固有であり、さらにそういうかたちで自分自身の主とは、それはルソーのと重なる。そうすると、エスポジトの指摘していた免疫化のプロセスを経た主体であることがみずからの所有者であること逆の帰結ということになる。その矛盾を回避するためには、自己自身を所有する人格そのものが、その所有という関係のなかで生成するという、つねにある種の仮構性を帯びたプロセスのなかにあると考えざるを得ない。
 そして、カントの所有論の特徴として形式主義であることがあげられる。カントにおいて、法は、利害の調整という歴史的・事実的な要請によって構築されるものではなく、あたかも人民の合意に基づいて形成されたかのごとく措定されるものである。その限りで一つの擬制であるといえる。しかもそれは法に服従せよという無条件の命令として人々に課されるものである。エスポジトにならってこのことを言い換えれば、無条件の命令としての法は、法に服従せよというかたちの責務以外に、いかなる内容も規定しない。法は私たちがなすべきことについては一切言及しないのである。むしろ法が私たちに告げるのは、この言われざることのうちにこそ法の強制的な命令が存在している、ということである。これは、人民の共同の意思に由来するかのように見えるところに核心があるというわけである。

鷲田清一「所有論」(19)~18.空白のトポス?

 ルソーもロックも各個人は自分自身の主人であるという。主人とは誰かを意のままに使用し処分できる人であり、他の人とその組織のマネジメントとカバナンスを統治する者である。それが、自分自身の主人と言われるときには、その統治が、再帰的に自己自身に向けられている。そのためには、自己を対象化し、自己を支配することが起こることが前段階となる。
 自己の対象化とは、自分を自分自身から隔て、それを一個の客体として取り扱うような関係のなかに入ることである。自己は、これにより、自らを疎隔化する主体と、それがかかわりゆく対象としての客体に分極化する。自己の対象化とは、このように自分のなかに隔たりと亀裂を生む。所有権が何ものかを意のままにできることを意味する限りでは、自己の対象化とは同時に、自己の所有ということでもある。そこで、自分自身の主人である、つまり一個の主体であるということは、自分自身が統治する者であると同時に、自分に服従する者であるという両義的な関係である。自己を所有することで自己になるという事態は、前にも見たように、自己の所有が元来、自己の疎外・譲渡の可能性ということに上に成り立っていることである。
 市民的主体は、当事主体による自己統治、自己自身の所有を条件としている。その過程の擬制性を考えるときに、そのしくみを自己免疫化の擬制として捉えたのがロベルト・エスポジトの「自由と免疫」であるという。共同体と免疫は、ともにラテン語のmunusを語幹としている。このmunusは義務や奉仕を意味していた。共同体はメンバーたちが共通の所属より、メンバー相互に義務により他者のために自己を放棄する原則によって結ばれることを意味する。これに対して、免疫は他者に対する義務を免除されている、それにより自らの主観性という殻に自己を閉じ込める。つまり、共同体が個人を外部に開かせるのに対して、免疫が個人を内に連れ戻すという対置的な関係にある。エスポジトによれば、自由は免疫と結び付けるところから始まったという。自由とは、本来、共同体的な意味を含み、結びつけ、引き入れ、共有する潜勢力をもつ概念であったが、免疫というイメージと結び付いて、義務からの免除という否定的な意味へと転換された。つまり、肯定的で開かれた自由の概念が、何ものにも支配されないといった否定的な概念へと逆転したという。エスポジトはこのような近代化の過程を免疫化と呼ぶ。免疫化は、個人と共同体の安定性と存続を脅かすもの、境界線を侵犯するものへの防御柵である。異物の混入や汚染を封じるために、外部との接触を断ち、自分をその内部へと閉じ込める。そのために共同体や国家は、免疫のメカニズムを排他的に発動させ、近代のもろもろの法制化は共同体の自己免疫化のことだという。このプロセスと共犯的に作動するのが所有権であるという。個人が自由であることと、あるものを個人が自らに排他的に帰属するものとして所有していることが同じこととされるのである。コミュニティとは人々が何らかのものを共通のものとしてもつもの、つまり、誰にも当てはまらない皆のものというものだ。自己に固有という所有は正反対の概念なのだ。そのいみで、自由と所有は共通している。しかし、この排除=免疫のメカニズムは外へと開かれるべき自由の隙間を閉じてしまうものでもある。
 免疫と所有という二つの観念の結託が、主体の存在を自己のうちへと回帰させ、囲い込む。自己の主人であることから始まって、主体の自己所有、自己決定、自己統治、さらには自己への回帰、自己の閉鎖というように、社会/自己のシステムの形成過程での自というpropreの署名を求めることには、どこか強迫的とも言えるところがある。自己を支配するわたしは、自己がいつ破綻するかもしれないという脅威に間近に迫られているかのようである。そして、内在性、直接性、透明性という概念契機のいずれもが固有の概念へと包摂されてゆく過程もまた、同じように強迫的である。そしてこの固有の概念がそれらを総括する形で最終的に連動することになるのが純粋という概念である。
 純粋とは混じりけのないということである。外部からの異物の混入を排するということは、学問や法規範では、その成立を外部にかる何らかの要因に求めるのではなく、それ自体の構成そのものの内に求めるということである。システムの妥当性を当のシステムの内部で根拠づけるプロセスは、自己が自己を根拠づけるという同語反復的なプロセスとなる。
 それが端的に現われるのが法システムである。例えば、憲法と議会の関係では、議会について規定しているのは憲法だが、その憲法は議会において制定されるというパラドクスである。このパラドクスを回避するためには、一段上の段階にもうひとつ憲法を制定する権能を与える別の憲法を仮設せざるを得ない。それ自体は妥当の根拠をされるだけで、特定の内容をもたない、内容はこれに根拠づけられた側が与えるわけで、それ自体は空白の規範となる。つまり空白のトポスとなる。

2024年5月 4日 (土)

鷲田清一「所有論」(18)~17.直接性をめぐって

 自己所有という主体の体制が、人民の人民による統治という近代の政治理念と呼応しているとして、そのしくみを読み取るために、本書はルソーの政治思想に言及する。ルソーがその社会構想の基底に据えるのは、自己以外の何ものにも服従しない自由であり、さらにはその条件である生存の維持に不可欠なものとしての身体と財産の保全である。つまり、彼らの自由は彼らのものであって、彼ら以外の何びともそれを勝手に処分する権利はもたないということである。そして、各個人に共通のこの利益を護るために、人々がその共同生活のなかで交わす理性的な約束は一般意志と呼ばれ、それが国家を構築する。この構築において、共同体の各構成員の権利と身柄のすべての共同体への全面的な譲渡が行われる。各個人がその自由を護るために、総じてそれぞれの自由を譲渡するという逆説である。これは、法や国家による強制からの解放とはいささか異なる。ルソーによれば、自由とは自分たちが理性的になした約束としての法に進んで束縛されることを意味する。人々の一般意志を行使したものとしての主権が、各個人がけっして譲り渡すことのできないものであるのは、それが自分自身の意志への服従、つまりは自己自身との契約であるからである。この契約は、国家と各個人の相互的な約束であり、それゆえに拘束的なのである。
 共同体に属する各個人が自己自身との契約をなすこと。だから自らの身柄や権利を共同体に譲渡するにしても、それらの身柄や権利を法的に護るためであって、したがって譲渡は放棄ではなく、最終的に何かを喪失することはないということ。そして社会は構成員にこうした自己決定を通して安定したひとつの法的秩序を形成する。これがルソーの構想した自分たちで自分たちを統治するという市民社会のかたちである。これは、主権者たちの自己自身との契約の帰結としてあるもので、その意味でひとつの自己閉鎖系をなしていると言える。それは神のような超越的な第三項を導入しないでやっていくという一種の内面主義とみなせるものだ。
 人民の自己自身との契約、つまりは社会の法秩序がこのように内部へ閉じた系をかたちづくっているということになると、自己自身とのこの契りが、「清潔」「本来性」と内通しているのではないかと著者は言う。自己自身との契約というのは、他の何ものにも媒介されていないということであり、異物の混入がないこと、つまり他なるものに汚染されていない状態のことである。言い換えると、無媒介であるということは、自己自身とじかに、直接に関係しているということである。
 ところで、『人間不平等起源論』には、自己愛と自尊心の違いが注記されている。自己愛と自尊心との対比は、善悪の峻別以前の自然人における自己充足の無垢な感情と、社会状態における他者との比較からくる不穏な感情との対比である。そして前者から後者へのこの転換が、自然状態から社会状態への人間の移行を徴づけるものだと、ルソーは考えていた。自他の比較をするから、嫉妬や羨望といった自然人の知らない暗い情念に突き上げられたりもする。自尊心は、所有=固有の観念と繋がっている。『社会契約論』では、所有権は、本来なら平穏に享受していられるはずの、個人の自己保存に欠かせぬものを保全する権利であり、その意味では公共的に認証された権利として、あくまで社会状態への移行のなかで人が獲得したものであった。つまり、自他の比較なき共存という自然状態は、所有に関して言えば、野放図な占有の状態は、けっして無垢な楽園としてあったわけではない。しかし、ルソーは自尊心への移行を自己愛の堕落として捉える余地を残している。
 そこで、個人は自由であるために、なぜ自らをその権利とともに共同体にそっくり譲渡しなければならないのかが疑問になる。『人間不平等起源論』をみれば、ルソーが人間という存在の原点として想定していたのは、人々の共同生活に先行して、自然の営みを享受しつつ生きる個的な生存であった。そこは自己愛の世界と言える。とはいえ、自然の恵みを享受して生きるのも、様々な偶然的条件に翻弄される。そこには様々な障害が伴う。そこて、個人は自らの安全と安寧を希求し、同胞たちの援助に恃むところとなる。おのれの生存条件の乏しさを共同的な力で補強しようとする。そのなかで、いやでも生じてくるのが、関係の知覚としての比較の意識である。これに伴い自己愛が自尊心へと移行していく。人々は競合の体制へと引きずり込まれていく。そこで各人の財と権利の相互保全のために相互の約束が導入される。言い換えれば、これは直接性の破れである。
 『社会契約論』での論述は少し異なる。社会状態への移行のなかで、原初の平等から離れ、比較の意識とともに不平等が生じると『人間不平等起源論』が考えたのに対して、『社会契約論』では、人々の間にもともとあった不平等が、約束によって平等へと変換されてゆくとしている。所有権が、人々の不平等や社会の悪徳の原因とされるのではなく、むし逆に、自然の不平等を超えて人々の平等を実現してゆく重要な契機と見なされるのである。そこで重要なのが一般意志である。これは全体意志と対置される。一人一人の個別的な意志を集めた全体、つまり総和が全体意志である。しかし、個人の意志を集めたところで、それらは互いに対立するであろう私的利益が蝟集するのでまとまらない。ルソーは、このような個人の意志の放棄が共同体の成立の前提になると考えた。そのうえで公共の利益へと人々の意向を糾合していくのが一般意志であった。この過程で、自己自身との契約、ここでは「わたし」が「共同的なわたし」へと変容した「わたし」自身と契約するという。重要なのは、契約が特定の他者との契約ではなく、「共同的なわたし」との自己関係であることが、個人の権利の全面的譲渡と個人の自由とが矛盾せずに成り立つ根拠となっている。

2024年5月 3日 (金)

鷲田清一「所有論」(17)~16.<棄却>から<本来性>へ

 「所有」は主体に内在している何かある要因からではなく、人間社会の象徴秩序そのものの構造によって規定されるべきだという視点の必要性、さらには、社会の秩序形成においてなぜ汚物等が一番に棄却されるべきおぞましいものとされるかの理由が不明であること、この二つの問題を指摘したのがジュリア・クリステヴァである。彼女は、自己の同一性が不確定となる状況を前にして、存在が自己の脅威に対して企てる反撥、対抗戦略として汚穢をとらえはる。穢れとは同一性、象徴体系からの落ちこぼれであり、これを棄却することは同一性という自己の防柵となる。そして、棄却したいもの、棄却せずにはおれないものが、最終的には棄却するわたし自身となるという逆説的事態。それは、所有という事態のなかで、所有する者が誰にも譲渡され得ない固有な存在であるのは、彼自身がその存在を譲渡しうる者であるかぎりであるという逆説を思い起こさせる。
 クリステヴァは穢れとは落ちこぼれという体系的秩序づけの副産物というより、体系としての秩序に内在する構造的な危険に由来するという。穢れとなるのは清潔とか健康とかの欠如ではなく、境界を攪乱するどっちつかず、両義的なものだという。そこに秩序の脆さがある。つまり、穢れというは、ある対象の実体的な属性ではなく、それが置かれたある状態であって、しかもそれは私に対立するという性質しか持たないので、そうした自己への脅威に対して主体が企てる反抗が、穢れとして棄却することであるという。それをアブジェクシオンと呼ぶ。このように異他的なものを外部に棄却することで主体として自己形成するわたしという主体の屈曲化した構造化のプロセスがそこにある。このもっとも穢らわしきものはもっとも親しいものが転成した、したがって穢らわしきものは、いやでも主体にとって両義的なものと現われる。一方では吐き気や恐怖や苦痛のなかで在ってはならないものとして嫌悪され、棄却されつつ、その一方で、主体を誘いだす。クリステヴァによれば、自己の外部へであり、さらにいうならば意味が崩壊する場所へである。そこから、自己の存在はある根源的な喪失という出来事に負うという。まとめると、穢らわしきものとは、象徴体系ともいわれる社会の秩序が洩れ落ちるものである。そのように象徴体系から洩れ落ちるものが禍ともいえる一つの危険である。それは象徴体系のなかでの主体の構造化過程を脅かす。この構造化は、他者との境界画定のなかで他者であらざるものとして自己が構築されるプロセスに他ならない。それは同時に、生命過程に深く埋め込まれた非主体からからその過程そのものを統御しようとする自律的な主体への生成過程でもある。そのいずれの場面でも、棄却は主体の壊れやすい自己同一性を縁取り、囲い込む働きをしている。
その主体を縁どる棄却が禍と化すのは、社会の法という人為的な秩序が、法以前の生命的な欲動の次元に存立を脅かされているからだという。穢らわしきものを生み出すのは象徴的構造そのものではあるが、そのような構造自体を生み出し、それと相補的におのおのの主体の構造化を進める社会的なプロセスは、それ自体がたえず生命的な欲動の次元によってその存立を脅かされており、そのかぎりで脆いものである。このように不安定な構造をもったプロセスには、自己に固有なものと異他的なもの、そして生命的なものと法的=文化的なものという二極の対立をたえず補強しつつ維持するために棄却がその蝶番のかたちで介入している。それは、もともと自分が抱擁されていた生命的なものを分離し、拒絶し、棄却することでおのれの存在をそこから離脱させ、法=文化の次元での自律的な活動へと移行させてゆく、存在の試みとされる。わたしという主体の創設が、このように法=文化の生成プロセスのなかに組み込まれている。そけゆえ、みずからが抱擁されていたものの棄却は、そのまま喪失であった。主体としてのあり方に固有の自己同一性が生命的なもののなかに吸引されるその恐怖の祓いが、そしてさらに主体の自己同一性を裏打ちしている社会の象徴秩序の防衛が、棄却によって担われているというわけである。固有/所有の問題系はこういう次元まで食い込んでいるというわけだ。
 そしてさらに本書はジャック・デリダに言及する。デリダは穢れを、わたしの自己自身に対する近接性を壊すものとしている。これを裏返せば、穢れなきこととしての固有=清潔とはすなわち、自己自身の絶対的な近さだということだ。ここでいう近さとは、自己の自己自身への直接的な現前ということを意味する。したがって、喪失とは自己との直接的な関係、つまり他のものによって媒介されることのない関係の喪失として。主体がそこへと身体を移す象徴秩序のなかで事後的に書きこまれるものと言える。そうなると、主体が何ものにも依存することなく自立したものとしてあるという近代的な主体の観念は、一定のものを意のままに処分可能なものとして所有する主体を前提していることになって、そこから当のそのものもそれとして仮構されたものである可能性が現われるわけだ。
 ところで、本来性という観念はドイツ語でEigentlichkeitといい、ものの特性や属性をさす。ここにはフランス語の場合のような清潔は含まれないが粗雑物の混じらない固有のあり方を表わす限りで、他なるもの経由しないという意味では直接性、異物に汚染されていないという意味では純粋性の含みがある。この本来性を批判的に論じたのが、アドルノの『本来性の神話』である。人がおのれ自身のもとにとどまっているのではなく、おのれを世界に引き渡された状態にある、つまり、人がおのれの外にあること、地盤を喪失していることを、人が人としての本来的な在り方を失っているとして非本来的な在り方という。それに対して、本来的な在り方は、人が自己のもとにあって、自己に本質的なものを失うことのない状態のことである。ここで想定されている本来性は、わたしという主体の内面性もしくはそれに固有な純粋性であって、アドルノによれば偶像化されている。そこで注目すべきは、そうした本来性への要請がじつは対象的な内容に無関心であるという点であり、それは貨幣が商品の内容に無関心であることを思い起こさせる。これが意味するのは、規格化されているということだ。交換も代替も不可能で、唯一的とされていたはずの本来性は、じつは対象内容を欠いた極度に抽象的な自己自身で、それゆえに交換規格を設計していた。つまり、自己性というのは虚ろな核といかいいようのないものだ。そのことを暗黙で予感しながらも、主体が本来性という観念にしがみついていたのは、本来性というのが、最終的には自己所有つまり、自己自身への帰属ということにつながるからで、本来性とはひとつの所有関係で、自己自身に対する占有権であるからだ。
 こうして、本来性という、主体としてのわたしに固有の問題は、所有権という社会的な観念と接続していることが見えてくる。同じように、自己所有という主体の体制が、人民の人民による統治という近代の政治理念と呼応していることも見えてくる。

2024年5月 2日 (木)

鷲田清一「所有論」(16)~15.清潔という名の強迫

 所有/固有を意味するpropreという語は「清潔」という意味も有する。「清潔」という規範は、細菌という存在の発見とともに民衆に普及すると同時に、彼らに強迫的に作用する神経症的な観念となっていった。このような清潔に近代の所有権の概念が通じているのかをここでは見ていく。アラン・コルバンの『においの歴史』によれば、嗅覚的警戒心の誕生は、感性の無秩序を排し身体衛生にも厳格な倫理観を当てはめようとするブルジョワ意識の成立として、そこに悪臭と芳香、不潔と清潔の二元論の発生を見ることができる。ブルジョワ階級は、垢を下層階級に固有の劣等性のしるしとみなし、清潔な体を差別化の有力な武器とした。ここから、何かが自分のものであるという所有の意識、他なるものを迂回したり、それに媒介されたりすることなく自己自身と直接に関係する固有の内部という観念、自己に付着する異物を洗浄せよという清潔の規範などが共軛的なかたちで連動している。
 とはいえ、清潔とは、近代に特有の衛生的、消毒済みに限定されるものではない。それはもっと一般的な心性であって、つねに汚物や穢れを拒絶・忌避するよう強いるものであり、つまりはおぞましきものの棄却を発動させる観念である。この忌避される汚穢はそれ自体で確定するものではなく事物の体系的秩序づけと分類の副産物として捉えられる。つまり、相対的なのだ。だから曖昧で、それは両義的でもある例えば、身体の一部が剥落すれば垢となる。これは内と外の境界をなし崩しに資侵犯している。それゆえ、汚穢や不浄といった観念は、わたしたちの身体の、あるいはわたしの脆さ、壊れやすさを告知する者でもある。
 秩序崩壊への誘因となる景気が、同時に、その秩序維持のための防柵となっているという逆説から、清潔の観念が所有/固有の固陋さを裏打ちしている、それも、共同的な強迫観念としててだ。ここで、わたしという主体の同一性の確保が、汚穢や不浄の棄却、つまりは主体の隔離と連動しているのだとすれば、主体には、自己との直接的な関係が要請されていることを意味する。他者や異物に介在されることのない、自己自身との透明な関係であり、その存在の自己関係性である。ということは、自己というものか、閉じること、隔離されることでその同一性を得るということだ。自己が壊れるのは他と入り混じることであり、他との混淆であり、そのかぎりでの曖昧さである。それを回避するため清潔が発動するというわけだ。
 また、所有は主体に内在している何かある要因からではなく、人間社会の象徴的秩序そのものの構造によって規定されるという視点がある。例えば、誰のものでもないものを私のものとするときに「つばをつける」という。動物であれば、なわばりを主張する場合、自らの排泄物でマーキングする。これに所有の宣言が象徴されているとすれば、私は何かを汚すことにより、それは私のものとなり、他者は手を出さなくなる。この場合、汚いのはあくまで他者にとってである。そういう汚れものの印でわたし自身の固有の存在、つまり汚れていないものとしての清潔が保たれる。逆説的なことながら、ここでは汚れが私固有の、すなわち清潔なものであるとうことの証になっている。

鷲田清一「所有論」(15)~14.解離

 前章で見た症例は、何かを自分のものとしてもつこと、所有する者として自己の主体性若しくは同一性を支えきれない事例。これは、いままで見てきた所有論が破綻を抱えていることの現われかもしれないという。そこで本書が見ようとするのが、ジャック・アタリの『所有の歴史』である。そこでは、所有が秘め隠しているものは死の恐怖だという。人間は、ヒトとして出現して以来、死の恐怖に深く脅かされてきた。だから、そのもっとも強い願いは生き残ること、つまり、できるだけ死を遅らせることにあった。生きるためには、食べるもの、身を守るもの持たねばならない。何かを我がものとする占有を社会的に承認された所有へと変換するプロセスが所有の歴史だという。当初は慣行によって、ついで軍事力によって、最後に人為法によって、という。自己の生存を必死でつなごうとする主体が、自己を同一のものとして持ち続けること、つまり見を持することにつながる。
 何ものかを自分のものとして所有するという事態は、時間的に限定されたものである。所有物をずっと手元に置くこともできれば、手放すこともできる。何かを持つこと、つまり占有という関係は、時間の関数とも言える。それを構成する変数は所有する主体と所有される対象である。所有する者はつねに、自分が所有する物の永続性が失われる可能性、乳母は割れる可能性に晒されている。その可能性が極まれるところで、最も痛切に自分が所有する主体であることを感じる。そしても所有が占有として持つという位相にある限りで、人は物を意のままにすることはできない。
 持つことを時間の関数とすれば、それは習慣とも言える。あるものがその存在を保とうとするが習慣と呼ばれてきたが、それは持つことの現実態であるともいえる。というのも、所有される物との関係は、その物をわがものとして保持し、用いる中で、次第に主体の経験の体制へと縫い合わされてゆき、やがて主体の器官と化して自動的に働くようになるからである。習慣は人の生存において、ある種の永続性をもった地として、隠れて働いているものだ。感覚と運動、感受性と自発性とは、その反復のなかで逆方向に変容していく。反復は受動性としての感覚を弱め、能動性としての運動を強める。この過程を繰り返すうち、感覚は少しずつ摩耗し強度を下げてゆくのに対して、運動はより容易にもそして確実で迅速になる。一つの型として主体の活動のなかに沈降し、やがて自動的に起動するようになる。習慣がつくとはこういうことである。このようにした貯えられた多岐的重層的な習慣の地の上に、感覚的に出会われる世界ののみならず、思考と操作の対象となる理念的世界が重ねられてゆく。その過程で習慣だけでなく、主体の側のまなざしの多重化も同時に働く。私へと極化されているから間主観的になりたつ世界へ変容していく。習慣は、このように存在を新たな水準・次元へと押し上げていく。そして、わすれてはならないのは、習慣は崩れ得るということである。そもそも何らかの習慣を新たに身につけるということ自体が、それまでの習慣を失効させることなのだ。
 人格における連続性、同一性の消失は解離現象と呼ばれる。以前、ヒュームが人間の精神を一つの社会とみなしているのを見た。ヒュームは人間の知性や情念を、ある凝集力とか引力によって構成される連合体であるとした。このような連合が破綻としたとき、そこに起こるのが解離である。持つものとして主体の同一性の体制の仕組みを変えようというときに、解離のメカニズムで理解できるという。
 所有する者の永続性をかたちづくるのは、一つには、それが他者に介入されることのない内的な自己関係をもつことによってであり、もう一つは、わたしによる占有が正当な占有として社会的に認定されることによってである。自己完結した内部性と社会的な承認、この二つが同時に成立することが「所有」という関係を成り立たせるための条件である。そして、そのために考えられるレトリックがそこに動員される。そのレトリックを構成する諸要素が強迫観念として主体にまといつく。そのレトリックに内蔵されているロジックを見出すのが、これまでの試みであった。所有する者の存在を内側から構造化している概念設定や意味連関が歴史的に媒介されたものであることは、党の主体自身には隠されている。その操作観念の中てもとりわけ人々の情動に強く働きかけるのが、propreのもう一つの意味である清潔である。清潔とは何よりも感覚を縛る観念である。このことはある意味で、所有権が所有の正当性にかかわる権利問題である主張とあるモノの私的使用にかかわる事実問題でもあるという両義性に対応している。それによって、何かをわがものとすること、しているという意味での占有と、それをわがものとすることが認められること、という意味で所有の区別がされてきた。この二つは交差する。権利の問題が、歴史の中に生れ落ち、そこで生き続ける人々にとって生の超越論的条件となることもあれば、事実と思っていたことが実は権利の問題だったということもある。

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