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2024年5月22日 (水)

小坂井敏晶「責任という虚構」(3)~第1章 ホロコースト再考

 この章ではホロコーストを遂行した人間の心理に焦点を合わせ、状況次第で誰もが同様の犯罪に加担する可能性を検討する。
 狂信的指導者が政治機構の中枢で決定するだけで数百人の人々を殺せない。銃殺や毒ガス処刑に手を汚したのはナチス指導者ではなく、普通の警察官や役人だ。どこにでもいる普通の人が多くの人を殺す行為ができたのは分業というシステムによるところが大きい。近代企業の活動を思わせる高度な組織化の下にユダヤ人の名簿作成・検挙に始まり、最終的に処刑に及ぶまでには多くの段階の任務がある。各作業を別々の実行者が担当する時、責任転換が自然に起きる。「私だけが悪いんじゃない」「私がしなくても結果は変わらなかった」「私は単に名簿を作成しただけだ」などと正当化される。殺人の流れを一括して把握せず、流れ作業のほんの一部だけに携わるたに自らを責任主体と認識しにくい。普通なら道徳観念が禁止する行為もそれほどの抵抗なしに実行してしまう条件がこうして用意されるのだ。また、命令する者と、自ら直接手を下す者とが分離されると、犯罪に対する心理負担が減り、結果的に殺戮装置が機能する。責任が雲散霧消するメカニズムがここにある。さらに、殺害方法が銃殺からガス室に変更され、血みどろの殺人を犯す必要がなくなった隊員の心的負担は大幅に軽くなった。人を殺す現実感がなくなる。現実感を覚えなくなると、人は残虐行為を簡単に成し遂げる。犠牲者が苦痛を感じる生身の人間であることを忘れ、家畜か害虫であるかの錯覚が生まれるというわけだ。
 アイヒマンやヘスだけでなく、捕えられたナチス指導者はヒトラーの命令に従ったのでだと主張したが、それは必ずしも責任逃れの言い訳ではない。何層もの正当化システムが重なり合って機能しなければホロコーストは遂行され得なかった。したがって殺戮メカニズムに荷担した人間が自分に責任はないと感じるのは当然だった。逆に言えば、このような無責任感覚が生じる環境を作り出せなければ、何百人もの罪なき人々を殺せない。

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