北欧の神秘―ノルウェー・スウェーデン・フィンランドの絵画(2)~序章 自然の力─北欧美術の形成
19世紀、ナショナリズムの高まりを背景に、音楽では、グリーグやドヴォルザークのように国民学派の作曲家が現われたようなのが、絵画においても、起こったということでしょうか。国民学派が民謡を取り入れたのと同じように、故郷の風景や伝説を題材に作品が制作されたということでしょうか。 会場に入って最初の作品がトマス・ファーンライの「旅人のいる風景」です。ドイツ・ロマン派のフリードリヒの影響が強く感じられる作品です。遠景に厳めしく荘厳な山岳が聳えていて、手前に枝を屈曲された巨木が厳しい風雪に耐え忍ぶ姿を現わす巨人のように屹立している。フリードリヒの作品のシチュエーションそのものです。例えば、「孤独の木」という作品が典型です。フリードリヒの場合、これはまるで何かしらの象徴と捉えられ、例えば、イギリス、フランス、ロシアという大国に囲まれたドイツを、枝を無理してでも広げている姿に擬しているとか、困難に立ち向かう人間に擬し
ているといった解釈ができるのです。この巨木に孤独な旅人が後ろ姿で描かれているというのもフリードリヒがよくやるパターンです。ファーンライと同じノルウェーの作曲家グリーグの作曲したピアノ協奏曲がドイツ・ロマン派の作曲家シューマンのピアノ協奏曲とよく似ている。多分、お手本として念頭において制作しているうちに、結果としてなぞるようなものが出来上がってしまったのでしょうか。私はノルウェーに行ったことがないので、何とも言えませんが、この作品は北欧の風景というよりは、ドイツ・ロマン派の風景に見えてしまいます。明治大正の日本の洋画家が、芸術の都パリに留学して、帰国するとヨーロッパの明るくカラッとした陽光と日本の湿潤な光との違いから、パリで学んだとおりに描くことができないことに悩んだといいます。おそらく、この北欧の画家も、イタリアやフランスの絵画を追いかけて南欧の絵画では北欧の光を捉えられないことに気がつき、南欧の陽光的でない北方風のドイツ・ロマン派を知り「これだ!」と飛びついたというところではないかと想像します。
となりで、より大きな作品が、マルクス・ラーションの「滝のある岩場の景観」という作品です。ゴツゴツした岩稜の描き方などはフリードリヒの影響を見てしまいたくなりますが、滝を落としている切り立った崖が壁のように続いているのは北欧特有のフィヨルド地形ではないか思います。それよりも、この画家の特徴はダイナミックな滝の奔流の描き方だろうと思います。ラーションという画家は、もともと海景画を得意とし、荒れ狂う海で波にもまれる船舶や沿岸の風景を描いたと説明されているので、要領で滝を描いたのでしょうか。奔流や高く上がった水しぶき
がこの作品の中心であることは間違いなく、全体に暗い画面の中で滝に光がさして明るく映えているところからもわかります。このスポットライトはバロック絵画の光と影をドラマティックに描いたのを思い起こさせます。バロック絵画では光が当たるのはキリストや聖母マリアだったりするのですが、この作品では滝です。そのことに北欧土着の自然信仰を想像するのは考えすぎでしょうか。フリードリヒの「山上の十字架」を連想してしまいます。
ヨーハン・クリスティアン・ダールの「山岳風景、ノルウェー」です。山岳風景というより山間の鄙びた村の風景といたところでしょうか。村に迫ってくるような背景の垂直の岩稜は明らかにフィヨルド地形でしょう。高い山に陽光を遮られて日陰になってしまっている谷間(背景の山の高いところは日向になっている)で光がさして照らし出されたようになっているのが村人が何かの作業をしているところです。「滝のある岩場の景観」では滝に光がさしていましたが、ここでは人々の営みに光がさしています。これは、山間の厳しい環境の中での人々の営みに、文字通り光を当てる、と考えると、ここには郷土愛のような心情のメッセージを読むことができるかもしれません。作者のダールという人は、ドイツに渡ってフリードリヒの友人になった人なので、ドイツ・ロマン派の持つナショナリスティックな心情をよく知っているでしょうから、このような読みは、あながち的外れとも言えないかもしれません。また、この作品の滝の描き方は「滝のある岩場の景観」の滝とは全く違います。このあたりに画家の個性もあるのでしょうね。今までの3作を較べてみると、それぞれイタリアやフランスの風景と違って、明るい陽光や開けた空間というのはない点で共通していますが、明るくない光の空間の暗さの描き方がそれぞれ違います。それが画家の個性によるものなのか、それぞれの国の風景の違いなのかは、私には分かりません。厳しい山岳風景といっても、セガンティーニの描くアルプスと麓の風景とは全く違いますね。
アウグスト・マルムストゥルムの「踊る妖精たち」という作品。山岳風景から妖精のいる幻想にかわります。月明かりに照らされた風景の中で、水の上で踊る妖精たちが描かれています。そのうちの1人は水面にかがみ込み、自分の姿を垣間見ています。ここでは、手つかずの自然の精霊のように、朝霧が妖精に変わる様子を描いています。妖精は、繊細で、優しく、敏感であると同時に、気まぐれで、すぐに感情を傷つけ、よく扱われないと腹を立てる傾向があると考えられていた、北欧神話の隠れた人々に登場する妖精は、地元の民間伝承の中で美しい若い女性として生き残っており、丘や森、石の山などに自然の中で生きていることがよくあるというとです。この画面では妖精たちが半透明に、白い霧のように見えるような見えないような微妙な感じに描かれていて、しかも、それぞれの妖精の顔が分かる。こういうのって、何となく北欧っぽいと思うのですが。ちなみに、現在でも、例えば映画「ハリー・ポッター」などのようなファンタジーでゴーストをこのように表わしていますよね。
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