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2024年6月 5日 (水)

南直哉「超越と実存─「無常」をめぐる仏教史」(6)~第2部 中国─超越論思想としての中国仏教

 仏教はインドから東方に広まっていった。その一つの方向が中国を経て日本に伝わるというルートである。中国における仏教の展開にとって決定的な問題は、この地にすでに形而上学が存在していたことである。の代表が孔孟の思想と老荘の思想である。これらの中国の形而上学の特色は、超越的理念を持ちながら、人格性を帯びた「絶対神」的観念をもたないこと、そして、「死後の世界」や「前世」「末世」などといった現実世界とは別の世界の設定に関心を示さないことがあげられる。極端なことを言えば、中国には宗教がなかったのである。孔子や孟子は「天」に言及し、老子や荘子は「道」を説くが、これらは人間的な実存を想定する現実の構造を説明するための根本理念であった。
 中国への仏教の伝来は経典の翻訳から始まった。このとき、「空」の観念は老荘の「無」によって解釈される。それは諸存在の非実体性を指摘するのではなく、存在を究極的に根拠づけるものとなる。そして実体化される。それは、ひとつは、竜樹の批判した言語化されたものとして中国に伝播したということと、言語の翻訳により、中国語化され、ということはもともとの中国文化の形而上学の枠組みで捉えられたのだった。
 この枠組みとは、次のようなものだ。例えば、極めて限定的な範囲に孤立して存在する地縁血縁共同体で人間が生活するというのなら、基本的にアニミズム的思想で実存を解釈して、個々の人間はその解釈から導かれたルールと秩序に従って身を処せればよいだけである。彼らの実存は共同体に埋没するから、個人と共同体の関係そのものを問う視点は必要なく、視点を提供する理念も生まれない。ところが、地域的孤立が成立しがたい中国大陸では、個人・家族・親族のあり方を規定する地域・民族・国家という、地縁血縁共同体を超える上位共同体があり、しかもこれが安定しない。王朝や支配民族の度重なる興亡と交代があり、そのたびに上位共同体は崩壊と興隆を繰り返す。したがって、個人は、みずからの実存と共同体の関係を意識せざるをえず、崩壊と興隆の原理や法則に関心に持つことになる。孔子は、権力者に仁と徳による政治を行わせ、それによって人道的で安定した社会を実現することを目指し、その根拠として「天」の理念を提示した。孔孟の形而上学は、あくまで人間の現実的生活に焦点があり、それを根拠づけるものとして超越的理念が持ち出されるにすぎず、概念自体の思想的・論理的展開は乏しい。その意味では、仏教の考え方とは異質なものだった。
 一方、老荘の思想は中国における仏教受容に決定的な影響を及ぼした。仏教伝来の初期において、老子の思想的観念を利用して仏教を解釈したからである。その老子の形而上学的根本理念は「道」だ。「道」は言語での解釈を超えた超越的理念であり。言語化できるなら、それは「道」ではないとする。万物の根源であり、そこから名づけられる個々のものが生まれる。その「道」の創造的運動は、その超越性ゆえに我々には認識できない。「道」の運動と作用は、人間の認識に直接捉えられるほど顕在的なものではない。すべてのものは究極的存在である「有」から生成され、その究極的存在は我々の認識を超越する「道」である「無」から生じる。すると、この根源的実在からすれば、我々が認識可能な個々の存在は実体を持たない、仮設されたものということになり、つまりは虚構の存在なのだ。ということは、すべてのものは、「道」に帰趨するという意味で同一なのである。
 このような考え方はウパニシャドの思想や、それを取り込んだ密教の考え方に極めて近い。しかし、老荘の思想はインド思想が促すような実践、つまり超越的理念と一体化するような修業的行為は、一切排除した。そのような人為的作業を排して、超越的理念に随順することを志向する「無為」である。仏教は、これらの現実肯定的志向を持つ思想風土に強い影響を受ける。

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