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2024年6月 6日 (木)

南直哉「超越と実存─「無常」をめぐる仏教史」(7)~第3部 日本─「ありのまま」から「観無常」へ

 日本産思想の特色は、『古事記』以来、実体論や超越的理念を核心とする形而上学的思考を必要としない態度が通底していることである。その思想的な基軸は、地縁血縁を基盤として構成された、共同体の現状維持を目的とする「ありのまま」肯定主義ともいうべきアイデアである。簡単に説明すると、こういうことだ。『古事記』では、天地の始めについて、『旧約聖書』は神がすべてを創造したと明確に述べていたのと違って、何が大地を発したのか、何が天地になったのか説明はなく、人間が現に見ている天と地は最初からそういうものとして現われていたものとなっている。神々の住地である高天原も最初から、そこにあった。神もまた、どういうわけかそこに自然にいた。それらの存在根拠も存在理由も比定しえ、いかなる理念も語られない。このような『古事記』の特徴はアニミズムによく見られるものである。自然発生的な地縁血縁共同体の由来を説明し、その秩序を正当化する言説ということだ。地縁と血縁で共同体を組織し秩序づけるなら、特定の血筋や土地を組織原理や秩序原理として設定しなければならない。となると、共同体の安定は特定の血筋や土地の維持にかかるから、それらが「変わらず」「そのまま」続いていくことが重要となる。また、共同体のメンバーにとっては、そこで生まれたという事実それ自体が、彼らの存在根拠になる。地縁と血縁が共同体の原理ならば、そこに生まれた事実は、アニミズムの言説によって原理的に肯定されるのである。この状況は。全く異質な共同体の大規模な侵入や征服がない限り、根本的に変化することはない。異質な共同体との相克が。初めて地縁血縁とは別の、自らの存在根拠を設定する必要を生じさせる。これが形而上学成立の重要な条件である。しかし、大陸と海を隔てた日本列島の共同体は、地縁血縁を原理とする組織構成や秩序構築の持続が可能であったゆえに、繋辞時洋学は無用であり、「そのまま」「ありのまま」の現状肯定的アイデアが『古事記』後の思想的言説の根底に、常に強力に作用し続けることになる。それが、著者の言う「ありのまま」肯定主義の源である。
 そんな日本に無常という「ありのまま」を否定する仏教が渡来しても、相容れるはずがなく、当時の為政者の間で現世的利益をもたらす先進文明の伝来であり、仏教が仏教として自覚されなかった。平安時代になって、最澄と空海によって初めて仏教が思想として認識されたのだった。とはいっても、地縁血縁共同体に規定された実存が超越的念を吸収して、「ありのまま」の中に溶解し、「ありのまま」こそが真理として超越化する。さらに言えば、吸収され得る超越的理念、つまり、「ありのまま」が真理として超越的理念化するという変質を経た日本オリジナルと言い得るような形而上学としてだった。「ありのまま」主義に親和的なものに変質させられて、はじめて受け容れられたというわけだ。
 しかし、平安末期の社会情勢は「ありのまま」を肯定できる状況ではなくなりつつあった。従来の共同体の体制の秩序が大きく動揺し、共同体がメンバーの実存を包摂しきれなくなった、つまり不安定な個人が社会の全面に現われるようになった。そこに鎌倉新仏教が生まれてくる。その先陣を切ったのが法然だった。大乗仏教が真理ならば、それが一切衆生をすべて成仏させうる教えである以上、どのような凡夫も成仏できる方法を提示できなければならない、と法然は考える一切衆生を成仏させる、させなければならない、という思想的大前提から彼が方法として導き出したのが、浄土教であり称名念仏なのだ。誰もが成仏できる方法は、誰にでも可能な方法でなくてはならない。したがって、彼の考える念仏は念仏者自身の努力(自力)ではなく、必ず衆生を成仏させるという阿弥陀仏の本願(他力)によって効果が保証される。つまり、阿弥陀如来は誰でも成仏させることができるという絶対的救済力を持つ超越的存在として出現するのだ。その絶対的救済力は、通常の教えでは救済され難い者にまで及んではじめて、その絶対性が実感となる。法然版の悪人正機説である。実際、救済力の絶対性そのものは、凡夫に認知できるわけがなく、それは自らの凡夫性(相対性)の根源的で際限ない自覚から、いわば反照的に感受されるほかない。悪人とは、その凡夫性である。そうすると、悪人としての実存の把握は、原罪の考え方に近く、きわめて一神教的である。このような一神教のパラダイムは、「ありのまま」肯定の思想傾向とは相容れない。最優先するのは念仏であり、個々の生活状況などは一切眼中になく、やがては身分の無視に及ぶ。彼は、念仏による往生が、唯一かつ最高の成仏の道であると言い切った。しかしながら、法然のアイデアと一神教には決定的な相違点がある。それは「審判」の不在である。法然思想では、念仏しさえすれば誰でも成仏し、救済されるということになる。すると、死後に漏れなく来世で絶対的に救済されるなら、生前現世では「ありのまま」でよいではないか、という発想が現われてくる。それが、法然の限界でもある。
 その限界を突破したのが親鸞と道元であると著者は言う。しかし、それは「ありのまま」を否定して超越的形而上学を打ち立てたのではなかった。そもそも、ゴーダマ・ブッダの根本思想は、形而上学的な思想と相容れないばかりか、「ありのまま」を肯定しない。ところが、それと同時に、「ありのまま」主義の思想風土は、本来形而上学を必要としなかった。ならば、超越的理念や実体論的思想と正面から対決した上でそれを解体し、無常・無我・無記・縁起の思想を確保する言説が、日本に現われる可能性も必然性もある筈である。その言説こそ、親鸞と道元の思想と実践であり、ブッダの日本における形而上ならぬ形而外学であり、ブッダの根本思想の捉え直しだと著者は言う。
 親鸞は阿弥陀如来の本願の力を信じることができるかどうか、を問題にした。それは、法然の信じれば救われるへの根本的な疑念である。それでも「信じる」ことが可能なら、それは自分の力ではなく、他者の力によって「信じさせられる」ことによってである。信じることが可能になり、また真実の心を聞くことができるのも、すべて阿弥陀如来の力によってだと親鸞は言う。これが彼の「他力」というアイデアなのだ。ということは、無邪気に「念仏すれば必ず往生できる」と信じる者は、その意識が「自力」のうちにとどまり、「他力」に依らない。すなわち、「信じる者は救われる」という因果関係を前提にするなら、結局それは努力と成果の取引なのであり、阿弥陀如来の本願の力を疑うことになる。しかし、ここまで「信じる」行為を問うなら、次に出てくる問題は、自分の「信じる」行為が、正しく如来の力でなされているものだと、どうして分かるのかということである。分かるはずがない。実際は、如来の力によって自分は信じているのだと、そう「信じる」に過ぎない。すると、「信じる」ことへの問いは無限遡及に陥る。親鸞において、「信じる」行為それ自体が主題化してくる必然性はここにある。そして、主題化してしまった以上は。もはやそれは単純に「信じる」行為を不可能にするだろう。「信じるは何か」と問う人間が、同時に「信じる」ことは不可能である。親鸞と浄土教との間の深淵は、この「信じる」行為への問い、すなわち、その時点で「信じる」ことができなくなっている事態にある。彼の言う「悪人」とは、この「信じることができない」実存の根源的危機のことなのだ。親鸞の「悪人正機説」はこのような如来の本願を信じられない「悪人」でも果たして往生は可能なのかを問うものなのだ。「信じることができない」人間でも念仏により阿弥陀如来の本願による往生は可能となる。では、その念仏はどのように実行されるのか。阿弥陀の本願によって、「信じることができない」まま行う念仏とは、実際どういうものなのか。それは「信じる」行為そのものを脱落してしまうことによって行う念仏である。真に「他力」によるというなら、「信じる」「念仏する」行為に澱のように残らざるを得ない「自力」を、「信じる」行為は、「誰か」が「何か」を「信じる」という構造でしか発現しない。すると、その脱落は「信じる」主体を放棄し、「信じられる」対象を消去するだろう。このとき、念仏はただの音声、意味を理解する必要のない発言の連続になるのだ。意志的な、あるいは目的に向かう行為のない、自動的行為、それを親鸞は自然と呼ぶが、その自動的行為の駆動力が「如来の力」つまり本願なのである。これは「信じる」行為の断念を意味し、「信じる主体/信じられる対象」の実体的存在を前提とする超越路論的パラダイムを破壊する。阿弥陀如来が念仏者を成仏させようとして、その仏は「かたちもなく」存在するという。これはパラダイム破壊のゆえである。「かたち」があるなら、そこに「かたち」の認識がある筈で、それは「自力」だろうから。とすれば、超越的実体として存在する阿弥陀如来など認められないことになる。そこで親鸞は、これまで信じてきた阿弥陀如来は自然という存在の仕方を教えるための手段に過ぎないという。このようにして、信じる主体も信じられる対象も消失すれば、念仏も意味も喪失する。事ここに至って言えることは、親鸞のアイデアか、かろうじて仏教の範疇に留まっていた法然の浄土思想を突破し、それが内包する超越的理念を悉く念仏という行為に落とし込み、消失してしまったのである。親鸞に結実した思想は、人間という「無常」の実存を、超越的理念によって根拠づける形而上学ではない。むしろ、無意味な念仏、すなわちそれ自体無常の称名行為において自覚的に受容するという、形而外学である。
 一方、道元はブッダの根本思想への回帰を直接意志して形而外学を構築した。道元の出家において「無常」は重要なテーマであった。彼の思想と実践の核心には無常を観ずる心すなわち「観無常」があり、そこから一切を導くべきと考えていた。彼は天台本学思想の「本来本法性、天然自性身」つまり、我々は本来悟っているのであり、この身がそのまま真理だという「ありのまま主義」的形而上学を棄却しようとした。道元は、中国に留学し天童如浄に師事する。天童如浄が「参禅は身心脱落なり」と言ったと、道元は書き留めている。これは、天台的な「心塵脱落」と似ているが違うものだ。この場合の「身心」とは、自意識を持って実存する日常的な「自己」の在り方のことだ。日常的な「自己」の在り方とは、「自分がいる」という確信、言い換えれば、「自己」が根拠を持ってそれ自体で存在すると思い込んでいる事態である。「脱落」とは、この錯覚から脱却することで、そこでは身心の脱落として坐禅が検討されることになる。ところが、道元は「身心脱落」がどういう状態であるかを具体的には何も語っていない。著者は、「身心脱落」は坐禅中に発生する特異な心身状態を意味しているのではないという。さうではなくて、道元の中国留学中の修行体験の全体、さらにそれによって彼が会得した、ものの見方・考え方、自己と世界の存在についての認識や見解を総括するアイデアだという。そこで、坐禅は「身心脱落」の重要な一部で、彼の思想と実践の土台・基盤なのだという。坐禅中は、意識のレベルを最小限に低減させ、意識の現実態である言語作用を極力停止して、成仏や悟りなどの目的を設定するような作為をしてはならない。ただし、それは単純な思考停止状態ではない。意識と言語作用の絞り込みによって、自意識をが解体された状態に直面し、それを覚知する。この心身の事態が「非思量」である。この「非思量」の坐禅によって分かるのは、自意識を一定の身体技法で解体できると言うことである。ならば、それは「自己」の在り方は行為の仕方に規定されている、ということである。「自己」は、そう名付けられた、人間の実存が採用せざるを得ない。ある特別な行為の様式なのである。行為が規定するのは行為する主体だけではない。同時に行為の対象の在り方を規定する。ところで、主体と対象それ自体がまず存在していて、しかる後に行為が発動するのではない。発動している行為が、主体と対象を構成するのだ。このように解釈されるとき、行為は「縁起」を意味する。このとき「悟り」も「涅槃」も現実的には何であるか認識不能だから、「成仏」は「自己」にはできない。「自己」に可能なのは、「仏になろうと修業し続ける」主体として実存することである。すなわち、「仏」は「仏となろうとする」主体の実存様式である以外に、現実化しないのだ。したがって、修行者が「成仏」したり「悟る」ことはない。何故なら、ある時点で「成仏した」「悟った」と「わかった」瞬間、それが認識である以上は観念化するわけで、結果は超越理念として扱われるからである。それは「観無常」の立場が許容しない事態である。そうなると、成り行きは、「成仏」「悟り」が無限遠に後退し、現実的に無効になり、修行や坐禅は事実上、ただ坐禅する、ただ修業する、ということになる。「成仏」と「悟り」は坐禅・修業という行為そのものへと脱落されるのだ。

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