絲山秋子「御社のチャラ男」
『御社のチャラ男』は、地方の小さな食品会社の人間模様を描いた短編集。「チャラ男」と呼ばれるのは、部長の三芳道造。社内、社外を問わず彼を知る人間がチャラ男について自分のエピソードとともに語っていく。そんな構成なので、読み進めるとパズルのピースがはまるように、チャラ男の人間像が分かってくる。「チャラ男」はどこの会社にもいそうな、軽くて世渡り上手、そのくせ仕事をしない。タイトルがそうだから、チャラ男をいわばトリックスターにして、地方の小さな会社の日常をユーモラスに描く小説の類かと思って読み進めていくと、たしかにそういう面もないわけではないのだが、ふつう、それなら最後に種明かしとして、当のチャラ男による語りが全体の中間あたりで出てきて、物語は会社の日常風景から少しずつ動き始める。チャラ男自身は、自分が嫌われていること、才能がないこと、何よりも自分自身がない、寂しい人間であるということを自覚していることが明らかになる。そこで、チャラ男はトリックスターから一人の存在感をもった人間に変わる。同時に、これまで登場した語り手たちはひとりとしてステロタイプでなく、それぞれの語りがモノローグであることに気づく。彼らの語りは、ブレるし、その定まりなさが、モノローグであるにもかかわらず、それぞれの語りに影響を及ぼしていく。そして、変わらないはずの語り手たちの関係や立ち位置が動き始め、最後には、ささいなきっかけから会社が第三者の手に渡ってしまう。
これを読んでいて、二人の人物の独白なのだが、それぞれの思いが全くのすれ違いになるというジョン・ファウルズの『コレクター』という小説を思い出した。『御社のチャラ男』は何人もの関係者が独白をするので、関係は複雑になるのだが、それだけに関係そのものの動きが小説の物語となる。軽さを帯びた文体で書かれているのと、最後は会社が人手にわたるのが一種の解放としても捉えられるので、読みやすい小説ではある。
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