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2024年7月11日 (木)

今野真二「日本語と漢字─正書法がないことばの歴史」(4)~第2章 動きつづける「かきことば」

 『万葉集』で日本語の文字化についてすべてが出揃った。しかし、『万葉集』は韻文でかつ定型をもち、基本的には漢語を使わない特殊なケースと言える。漢語を使う散文を漢字で文字化するには、課題が二つある。漢語は漢字を表意的に使って文字化する。しかし、助詞や助動詞のような日本語独特の言葉は表意的に文字化できない。そこで、表音的な文字化が同居することになる。そうすると両者を区別する必要が生じる。それが一つ。もうひとつは、漢字によって散文を文字化すると、漢字がどこまでも続いてしまい、長い長い漢字列ができあがり、そのままできは文の切れ目がわかりにくくなる。
 中国語文を日本語として読む漢文訓読は奈良時代には行われていたと考えられている。これは、中国語と日本語では語順が異なるので、日本語で読む場合の語順を示し、中国語にはない゜助詞や助動詞を補い、活用語尾などを添えるのが訓読で、訓読に使う符号や文字が訓点と呼ばれる。日本語の「かきことば」は漢文訓読文をもとに成ったと考えられている。そこで必要とされたのが仮名である。
 仮名は9世紀頃には訓点に使う文字として、漢字の一部を省いたものが使われるようになった。一部を省いたり偏のみとしたりするのは、速く書けるということと、漢文の傍らの狭い行間などに書くことができるという必要に応じたものと思われる。これが片仮名になった。当初は片仮名と平仮名の区別はなく混用もされていたという。しかし、『源氏物語』などを見ると平仮名を使って文字化されており、そこから平仮名文字体系の存在が推測でき、他方、平仮名ではない片仮名の文字体系も平仮名に比して存在したと推測できる。『源氏物語』や『竹取物語』では漢語が使われていないわけではないが、多くは使われていないので、漢文訓読文の延長線上にあるとは考えにくい。そう考えると、漢文訓読文につながる文と『源氏物語』のような文という二つの文があったと考えられる。この『源氏物語』のような文のことを「和文」呼ばれる。漢文訓読文につながる文は漢語を使うのだから漢字を片仮名と併せて使う「漢字片仮名交じり表記体」となる。『源氏物語』の文は漢語をあまり使わないので、おもに平仮名で文字化され、少数使われる漢語を漢字で文字化し、それ以外は平仮名を使う「平仮名漢字交じり表記体」をとる。平安時代の頃は、「はなしことば」の内で使われていた漢語は多くはなかったので、そのような「はなしことば」を平仮名で文字化することは自然であったと言える。『源氏物語』の文は「はなしことば」的であるといわれることがある。それは紫式部が『源氏物語』を「はなしことば」的に書こうとしたということではない。そういう見方を採るとするなら、「はなしことば」の向こう側に「かきことば」が存在していなければならない。「かきことば」「はなしことば」二つの言語態が存在していて、二つのうちの「はなしことば」を使って物語を作ったということになる。しかし、『源氏物語』が成立した11世紀には「かきことば」よべるような器は、未だできあがっていなかった。漢文訓読文をもとにした「かきことば」はあったかもしれないが、それは漢語を多用する漢文的なものであったので、『源氏物語』を語ることができるような器ではなかった。
 その後、鎌倉から室町時代にかけて「はなしことば」的な和文と呼ばれる文にも漢語が含まれているようになり、和文の中にも漢字が増えていく。とは言っても、漢文訓読文に接近するということにはならない。それは、和文と漢文訓読文とが合わさったような文で、和漢混淆文と呼ばれる。『太平記』や『平家物語』がその代表と考えられている。『平家物語』は13世紀の半ばころには成立していたと考えられている。様々な写本が残されていて、その表記も様々である。漢字のみで表記された写本もあり、漢字仮名交じりの表記もある。ここでは14~15世紀に成立した延慶本を取り上げているが、漢字仮名交じり文だが、漢字の本行に対して片仮名は訓点が付されている脇に記されていて、そりを振仮名行としている。仮名は両方の行に記されている。『平家物語』には『史記』からの引用文など漢文の引用が少なからずあり、その部分は漢文のまま、あるいは漢文式に文字化されている。日本語を大きく古代語と近代語に分ける場合、古代語は平安時代まで、近代語き江戸時代からということで、鎌倉・室町時代を過渡期である中世語の時代としてみると、この両者の並立もそのあらわれとみられるし、「かきことば」が次第に出来上がっていった時期に当たる。漢語を多く使い、それに伴って漢字を多く使う漢字訓読文と、漢語をあまり使わず、それに伴って仮名を多く使う和文とが混淆して和漢混淆文が形成されていくという視点で見ると、延慶本の文字化は次のように整理できる。
・和語も漢字によって文字化されている。
・しかし、一つの和語に使われる漢字は一つに絞られているのではなく複数ある。
・多く、漢字によって文字化されている語であっても、仮名によって文字化されることがなおある。
 これらは、和漢混淆文が形成されつつあることを示している。しかし、和語を漢字によって文字化するためには、和語の語義と漢語の語義のすりあわせが必要になる。そのようなすりあわせがあるから、たとえば、「アラハス」という和語を「顕」という漢字で文字化したり「現」という漢字で文字化したりすることができる。そして、和語を文字化する漢字が絞られていくということが、この先のストーリーになるわけだが、現代の常用漢字表では一つの漢字に複数の訓を認めることは少ない。それは一つの漢字に訓が一つしかないということは、その訓にあたる和語を漢字によって文字化するに当たって選択できる漢字が一つしかないという唯一表記システムに至る。しかし、ある和語を漢字一字で文字化する。ある和語を文字化することができる漢字は一つとは限らない。また、ひとつの漢字が複数の和語を文字化する。またはその和語を漢字二字で文字化することもできる。中世期は中国語と日本語とのがっぷり四つが深く、広がりをもって、漢字をめぐって複雑かつ重要的な状況が出来上がりつつあった。

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