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2024年7月24日 (水)

川北稔「砂糖の世界史」(4)~第3章 砂糖と茶の遭遇

 16世紀から17世紀にブラジルやカリブ海の島々で「砂糖革命」と呼ばれるほど砂糖の生産が拡大し、大量の砂糖がヨーロッパに持ち込まれるようになった。その結果、砂糖を消費することの意味が大きく変わったのだった。以前は、砂糖は食品というより薬品として用いられ、権力者や富裕層が自身の権勢や財産を見せびらかすためのシンボルとして使われていた。
 砂糖が大量に消費されたのは、薬品や高価なぜいたく品としてではなかった。そこには、18世紀アジアからもたらされた茶の普及と関係がある。茶も当初は薬品として扱われていたが、17世紀後半にコーヒー・ハウスが貴族やジェントルマンの公債の場として流行し、そこで紅茶が飲まれたことで、薬から社交の場の飲み物となった。このとき、紅茶に砂糖を入れるという飲み方が生まれたと無言われている。ただし、この時点では一般の人々には高価で上流階級かぎりのものであった。17世紀では、紅茶も砂糖も高価で貴重な薬品であり、病気でもないにそんなにものを口にするのは、貴族のような高貴な身分か金持ちが見栄を張ってのことで、茶や砂糖はステイタス・シンボルだった。そして、商人たちは自らの財力を見せびらかしていた。貴族たちは体面をたもつために商人以上のぜいたくを見せる必要があった。そこで、紅茶に砂糖を入れれば二重の効果が期待できるので、文句なしのステイタス・シンボルになった。イギリスではお茶を飲むことは王室で行われている上品な習慣ということになり、貴族たちがそれをまねて茶会が定着する。この二つの動きが重なって、砂糖入りの紅茶は、非の打ちどころのないステイタス・シンボルとなった。この後、紅茶も砂糖も輸入が拡大し、コーヒー・ハウスを中心に消費が拡大する。すると、高価だった紅茶や砂糖も一般の人々の手の届くものとなり、上流階級をまねて、紅茶を飲むように普及した。
 砂糖の輸入量は。カリブ海で砂糖革命が起こったため激増した。しかし、その砂糖革命が可能になったのは、アフリカから大量の奴隷の供給、つまり奴隷貿易が大規模に展開されたからでもある。また、東インド会社の方針変更により中国からの茶の輸入が激増してことも原因のひとつである。

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