西山松之助「芸─秘伝伝授の世界」(2)~第1章 芸道の成立
芸とは、我々の体の色々な感覚を使って見たり聞いたり味わったり、演じたりということによって文化価値を創造するという働き、あるいは活動である。芸が芸として成り立つのは、すること、演じること、つくるものは具体的なものそのものではなくて、そうではない虚なるものつくることによって、現実の実なるものより一層ものそのものであるという虚をつくることがある。例えば、近松門左衛門のことばに「虚実皮膜の間に芸の真実というものがある」、つまり虚と実、皮と膜という、虚でも実でもない、人間の表皮、あるいは膜でない、なにか分からないけれども、ものそのものでないところに芸の真実がある。その真実なるものこそ、生のものでなく、そこに実在する実なるものよりも一層実なるものとしてあるものなのあるものなのであって、それをそうあらしめるものが芸というものである。芸の本性・本体・本質というのはこのように見てよい。芭蕉の「風雅」や世阿弥の「花」も同じようなことを言っている。このように見てくると、芸というのは物そのものではないもので、物そのものを如実に表現する。あるいは演じるという場合の芸というものが考えられる。この芸は織物であるとか染物であるとか、あるいはいろいろな写真を組み合わせたデザインといったような、すべての世界において考えられるものであって、生なもの、現実に存在する花というものをいかに否定して、ものそのものよりもさらに典型的なのであるという実なるものを虚において表現するかというのが芸の秘密であるということができる。前記の芸は物を演じるとか、作り出す場合の芸であるが、芸はそれだけに限らず、すぐれたものを作り出したもの鑑定するとか、鑑賞するという芸もある。これらを合わせると、芸の世界は、われわれの感覚をきわめて微妙な働きにおいてつくりあげられた文化であると言える。
芸は我々が生なるものの中から、生なるもの以上の実なるもの、本当のもの作り出す。これは、一人一人の個性が作り出すので、人により違った表現となる。そこで、いかに表現するかについて型というものが成立する。それが日本の芸の特色となっている。型とは、いわば、時間的・空間的に間というものを切断し、それを定着させて、形を与えたものだと言える。「間」とは無限に広がる時間や空間を切り取る節目のようなもので、それを内から見れば一定の広がり(時間・空間)となる。それが、芸の世界では空間構成の問題、時間の切り方の問題、例えば音楽の拍子であるようなもので、それをどのように掴むかの方法が型ということになる。このように間が定着されて型になるが、実際には歌い方とか弓の引き方とか琴の弾き方、演じ方として現われる。これは規範とか法則性の表われであると同時に、拘束性という面もある。型というものは、芸を学ぶことによる、文化社会が成立してくることによって、成立してきた。それは、芸を多くの人が学ぶという文化社会であり、芸の道、芸道と呼ばれる。
芸道は、和歌の世界などの先駆的なものが平安・鎌倉時代にあったが、広く展開されるようになるのは室町時代以降だ。古代から中世の社会においては芸道は貴族や上級の武士や地位の高い僧侶といった限られた人たちのものであった。それが次第に時代が下るにつれて、多くの人が芸を修めるようになり、その中で優れた人が芸の領域に到達したいと願うようになる。それにつれて芸道というものが明確な形をとるようになった。つまり、芸道というものが普遍的な形で、理論と哲学という両面を備えて型の論理、その型がいかに間を切ったかという、具体的な芸の実践の方法論という両面が、それぞれの芸の世界に芸道というものを形成させていったと考えられる。例えばいけ花の世界では天文年間の『専応口伝』において立花の芸の理論と美学とその実践の方法が確立したと言われている。世阿弥の能楽も同様だが、ここには密教における宗教儀式の行法や実践形式の影響がある。
具体例として剣術で考えてみる。日本刀を使用して戦うことは平安・鎌倉を通して成立、確立した。しかし、剣道というものは平安にも鎌倉にも室町の時代にも見出すことはできない。室町時代に、柔や忍を含めた兵法という言葉に集約されて、はじめてひとつの言葉に概念化された。その中の剣術として独立し、それが武芸という形になるのは、ずっと後のことで、それが成立したのは江戸時代になった寛永の頃だと言われている。柳生宗矩の『兵法家伝書』や宮本武蔵の『五輪書』等が書かれてからのことだ。そこで、剣の型、つまり規範・拘束性をもって多くの剣での戦い方を習得する人々の教科書、秘伝書となってく体系が成立していく。戦国時代が終わり、太平の世となり、剣術が兵法という殺しの技から、試合で競うというスポーツのような武芸として変容したためでもある。柳生宗矩という剣豪の剣法・刀法といったものが武芸の剣術という形で、殺し合いをしないで勝負を決することができるというもが成立する。それは、当時の武家社会が、鎌倉・室町時代のような、村の中にいた名主たちが、戦いの際に武士として出陣するという時代から、江戸に幕府ができて将軍が君臨し、全国に城下町がつくられ、その城下に武士たちが集まり、この武士たちが貴族的な特権階級となる。この武家貴族は剣などの技を必須教養として身に着けなければならない。そこで、実践の場の芸から、平和な時代の武芸という教養に変質し展開していく。そこに武芸の芸道の成立の契機がある。
また、柳生宗矩や宮本武蔵のように流派の創始者は、師をもたず、独りで修業したわけで、独創性をもち個性的であったわけだが、それがその人かぎりで終わらず、流派として他人に引き継がれるためには普遍性があり、武蔵という個人の剣から万人の剣という多くの人を教化するものとなる。それが芸道に内容の面でも変質したからである。
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