今野真二「日本語と漢字─正書法がないことばの歴史」(5)~第3章 日本語再発見─ルネサンスとしての江戸時代
日本語の文字化、すなわち日本語をどのような手段によって文字化するかについて考えた場合、室町時代までは「手書き」、江戸時代からは「手書き」と「印刷」との併用と見ることができる。室町時代までは、歌道の秘伝は歌道の家に口承で、あるいは写本として、相伝されていた。歌道の秘伝は歌道の家に、生け花の秘伝は生け花の家にというように情報はごく限られた範囲に秘匿されていた。そのような秘伝情報の一部は、江戸時代になると印刷出版され、広く公開されるようにんっていった。歌道に関わらない人々が歌道の秘伝にふれることができるようになることで、情報が広くゆきわたり、知の平準化が行われるようになった。
江戸時代初期に活字による印刷が行われるようになった。しかし、50年ほどで終息してしまう。その後、製版印刷が代わって主流となっていく。活字による印刷は、字と字との間に空白が生じた。これに対して、手書きの場合の仮名が連綿することで文節が見て分かる。この場合、表音文字は1字ではなく、何字かまとまって語を表わすものだった。
また、手書きは、同じテキストを大量に作ることはできない。基本的に一対一のやり取りを前提にしている。これに対して、印刷は一人の書き手に対して多数の読み手が存在する。この場合、読み手のリテラシーを予想しようとしても、不特定多数だ。そうすると、想定した読み手のリテラシーに合わせた文字化をする必要がある。より多くの読み手を想定するなら、誰にでも読める可能性の高いテキストを作ならければならない。この場合、不特定多数の読み手は書き手と情報を共有していない。多くの情報を共有している読み手に向けてのものであれば、共有されている情報を言語化する必要はない。しかし、不特定多数の読み手を想定するならば、共有されている情報はないことを前提にする。そこでは、わたりやすく情報を盛り込んだ「かきことば」が求められる。古代日本語よりも近代日本語のほうが接続詞や接続助詞を多く使い、論理的に「文」をつないでいるということが指摘されている。「文」を情報と置き換えてもよい。「文」と「文」を書き手がどのようにつなげていこうとしているかは、接続詞や接続助詞がなくても読み手が創造することができる。しかし、接続詞があれば、書き手がどう考えているか、より明確につかむことができる。
このように印刷そして出版によってテキストが大量に作られることで「かきことば」が変わっていった。
古代日本語の時代である奈良時代・平安時代の情報は中世語の時代である鎌倉時代・室町時代に受け継がれ、手書きテキストに蓄積され、場合によっては秘伝として秘匿されていた。手書きされた、そのような秘伝的なテキストは江戸時代になって、印刷され出版されることによって、ひろく共有されるようになっていった。オープンにされた言語情報は、江戸時代の「はなしことば」「かきことば」を相対化する。それは江戸時代の日本語だけが日本語ではないという具体性に裏付けられた意識と言ってよい。そういう意識を背景にして、江戸時代の国学の『万葉集』や『古事記』の研究が可能となった。日本語の歴史と言うと、日本語が、奈良時代から平安時代へ、平安時代から鎌倉時代へ、というように単線的、直線的につながっていくことをまず想起する。しかし、過去の日本語の観察・分析が、まずは過去につくられた文書(=テキスト)の観察から始まることを考え合わせると、そう文書には必ず書き手が存在する。そして、過去の書き手がつくった文書を現代の日本語話者が観察、分析する維持用、そこにはまた現代日本語話者が介在していることになる。過去の書き手、現代の話者の視線が交錯する中にテキストがあると考えれば、そこに重層的な視線がある。
江戸時代になって、日本語の文字化が急速に精密になっていった。それは使っている日本語を客観的に捉えることができるようになった。そのような客観的な観察を可能にしたのは、今ここで使われている以外の日本語、例えば古代日本語に触れ、空間を異にする日本語、つまり方言に触れて、相対化することかできたからである。
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