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2024年7月18日 (木)

西山松之助「芸─秘伝伝授の世界」(3)~第2章 芸道の系譜

 日本の芸道には大きく分類して三つの流れがある。第一は、平安時代以来の貴族社会、上流社会に成立した遊芸の流れ、第二は、武家の世界に成立した武芸の流れ、そして第三は、江戸時代の町人文化で成立した大衆芸能の流れである。
 第一の遊芸の流れは、平安時代の貴族の遊び、雅楽や舞楽、歌合、連歌、香合などといった人々が相互に実演者であり鑑賞者であるという創造のプロセスと鑑賞のプロセスが同居しているという特徴がある。茶道や香道、連歌も、この流れに含まれる。貴族の文化の伝統としての遊芸の世界というものは、複数の、何人かの集団の芸として生まれたのであるが、このようなパターンに包含しきれないが、貴族に準ずるような寺院、神社は上流社会の文化生活のなかに成立してきた。その下の寺院建築の宮大工、木挽、仏師、画工、写経生の高度な技芸の伝統が成立した。これらは長い時代にわたって伝えられてきたもので、きわめて高度な発達を遂げていた。これらは、貴族文化社会や有力な武家の世界などで保持存続され、発展してきた。このような文化社会のなかの芸の伝統というものは、今日の芸術家としての個人の創造活動というよりは、貴族、寺院、武士のような権力者のもとに隷属していた専門の技芸者たちが、権力者の命令に従い生産していた。彼らの命令や要求はきわめて厳しいものであり、生活のすべての保証がなされていたなかで、作り出されたものは厳しい要求や命令に応えたものであった。この人たちは名もなき職人だが、注文者の突飛な発想に応えて奇想天外なものや、神業のような優れたものを結果として残したのだった。
 第二の流れは武芸の流れは、江戸時代の幕藩体制社会が成立した寛永年間、新興武家貴族の必須教養として武芸が成立した。この武芸の世界は260年にわたる江戸時代の太平の世で、平和武芸は多くの流派を分派していったことが特色になっている。その理由として次のようなことが考えられる。①武術の諸流は実力者が次の実力者へ印可の伝授を完全に相伝していたこと、②各藩は、他藩に対し排他的かつ対立的な封鎖社会を構成し、武力について藩の秘密とされ、藩内かぎりとされていたこと、③他の茶道のように藩という国境を越えた全国的な展開がなく、武術の諸流を集約統一することができなかったこと、④長い平和の時代が続き、武芸の実力を確かめる機会を得られず、優れた流派が残り、劣った流派が廃れるといったことがなかったこと、などが考えられる。
 第三の流れが江戸時代の町人文化で成立した大衆芸能の流れである。もともと大衆芸能の芸人たち、例えば、白拍子、傀儡、太平記読みなど、は一般社会からは疎外され特殊な生業者として、専門的な芸能人というあり方で芸を伝えてきた。この人々は寺社や大名などをパトロンとして、その庇護のもとで芸能を専業としてきた。それが江戸耳朶になると広汎な大衆芸能のジャンルを生み出した。これは遊芸とは違って、専門の芸人が芸を演じて、大衆が見るという一方的なものであった。この大衆芸能は江戸時代に大発展する。それは、京・大坂・江戸という三大都市の発達をはじめ、各地に都市が大きく発展して、庶民文化が著しい発展を遂げたことによる。
 以上の三つの系譜をもつ多様な芸道が、江戸時代には盛んに行われた。それが日本の文化の特色の一つだと言える。古代以来の長い伝統を持つものがあり、中世以来の系譜を持つものがあり、そして江戸時代に新しく創造されたものがあるというように、互いに並行して行われ、古いものが滅びないままに今日まで続いている。このような文化のあり方、存在様態というものが、日本の芸道の大きな特徴である。
このような芸道は、それぞれに専門の人たちによって行われるもの、あるいは遊芸のように専門出ない人々が寄って行うもの、その指導的地位に立つ家があり、武芸の場合は世襲的に流派の芸を伝承してきたのであり、大衆芸能のまた、家というものが芸を伝えていく核となって、今日まで続いている。江戸時代は、これらが全盛をきわめた。そういう家の芸というところに日本の芸道というものが成立してきたと考えられる。

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