西山松之助「芸─秘伝伝授の世界」
「芸」といっても多種多様だ。歌舞音曲のいわゆる芸能も多様だが、それ以外にも武芸、茶道や俳句といった教養、あるいは建築・工芸や料理といった技能まで。それらを芸道としてまとめられること自体が日本の芸道というものの特徴かもしれない。歴史的にも、歌舞音曲は平安時代に成立したものもあるし、武芸は武士の発生とともに生まれたし、中世から近世にかけて大衆芸能が生まれている、この多様なものが芸道として成立したのは江戸時代になってからだという。例えば、武芸は江戸時代の太平の世となって武術は人殺しの技術から権力者としての武士階級のたしなむべき教養に変質したことにともない体系化、理論化された。そこでキー概念となったのが「型」である。戦国時代までは、実戦の場を踏んで技量を向上したのに対して、武芸では体系化された「型」を習得し、演武や試合の場で披露する。その取得度合は、初伝、中伝、奥伝そして皆伝という伝授の段階的体系を成立させた。この伝授の権限を独占したのが家元として制度化された。武芸は別として、芸道は生け花も茶道も、身分とは関係なく、その実力に応じて家元を頂点としたその芸道社会の階層を上がっていくことができるため、特に町人にとっては身分制度を越えた自己解放が可能となる場を作っていたという。例えば、茶道の実力により町人も武士も関係なく師匠になることができた。このようなことが可能になったのは、平安時代の芸は貴族や上級の僧侶などの一部の限られた範囲に限られていたものが、江戸時代には広く庶民にまで広がり、大規模化と公開性を帯び、それに伴い、関わる人々が多様化したことが、その理由だという。近代以降、家元制度については形式的とか権威主義的とか封建的などと批判されることが多いが、たしかに近世社会では、ある意味で革命的にところがあった。そういう意味あるものであったという指摘は、とても新鮮だった。
が、芸道というものを概念化して定義することは難しいと思う。実際、著者は豊富な実例を紹介し(その用例の豊かさに関心し、それ自体が本書の魅力と思う)ているが、こういうものだという定義はしきれていない。そのことが論証としての弱いという印象を免れないと思う。それはときに後半の芸の修行は記述というよりは、精神論というか著者の芸への思いを吐露することになってしまっているように見える。それは、この書が書かれた時代の制約かもしれない。今読むと食い足りないところでもある。
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