今野真二「日本語と漢字─正書法がないことばの歴史」(2)~序章 正書法がない言葉の歴史
サブタイトルにもなっている「正書法がないことば」について、音声言語を文字にする際に1通りしかないというのが正書法があることばということなる。日本語で「こころ」にあたる英語はheartだが、5文字のアルファベットをこの順番に並べなければならず、それ以外は誤りということになる。そのheartという一つだけが正しい。正書法がある言語はアルファベットのような表音文字のみを使用している場合が多い。これに対して、英語のheartにあたる日本語は、「こころ」でも「心」でも「ココロ」でも、場合によっては「精神」にルビをつけてこころと発音できてしまう。このように、日本語を文字化する場合、複数の選択肢がある。つまり、文字化の仕方が一通りではない。それが正書法がないということになる。このような観点から日本語の歴史を見ていこうというのが本書の目的。
そもそも、正書法という観点を持ってきたのは、著者の「ことば」に対する考え方が前提にある。正書法があるということは文字があるということが前提となる。日本語の文字は外から導入された漢字がルーツなので、もともとは無文字言語だった。だから、文字言語である「かきことば」というのは持たなかった。それが、文字をもったことで「かきことば」がうまれ、それにたいする「はなしことば」が生まれたという。ということは音声言語と「はなしことば」は同じではないのだ。「はなしことば」や「かきことば」には、その言葉を使っている人々に共有されている「かたち」がある。「かたち」は器と言い換えてもいい。その器に入れるのは言語情報で、器に効率よくその言語情報を入れるために、入れる言語情報に合わせて、時間をかけて器をつくりあげていくのだ。とくに「かきことば」を作り上げてゆくのが。文字化というプロセスだ。正書法というのは、その文字化の際の方法を見る考え方だ。
一方、日本語の歴史を見るということは、日本語と言う言語は歴史を通じて変化してきたということが前提にある。とはいっても、言語全体が変わってしまったら、別の言語になってしまう。したがって、そこには変化していないところがある。しかし、そういうものは歴史では記述されない。本書では、その変化していないこと、つまり、日本語の歴史を通じて一貫していることの側から、日本語の歴史を見ていこうとする。その変わっていないというのが、漢字を使って文字化していること、とくに正書法がないということなのだ。
実際に、『新選国語辞典』第9版に収録指定ある語を見ると、和語33.2%、漢語49.4%、外来語9.0%、混種語8.4%となっている)。かなり借用語が多いことがわかる(もっとも英語も語彙の60%近くがフランス語、ラテン語からの借用だという指摘もあるという)。漢字と漢語というのは日本語を理解するための大きな鍵になるのだ。
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