三谷博「民主化の道はどう開かれたか─近代日本の場合」
高校生に向かって碩学が民主化という視点から日本の近代史をわかりやすく語った本で、全体の短さと、平易な言葉で語られているが、その内容は、かなり攻めていて、歴史小説などで語られている常識を覆すところがけっこうあって、歴史好きには刺激的なほど面白い。
幕末から明治にかけて近代史を「公議」「公論」をキーワードに見ていく。まず、近世の社会には「公議」「公論」は存在しなかったという。強固な身分制で支配者以外は、世の中に何が起きているか、全体の姿が見えず、見ることができなかった。支配者以外の者が意見を言うことは禁止されていた。しかし、支配者である幕府や藩では現場の役人からボトムアップで提案をトップが承認するシステムがとられていた。このため、武士の場合は、身分が低くても重要な仕事を担当することができた。上級のものも下からの提案に耳を傾けることに慣れていた。これは、安定した時代では有効に機能した。これは、泰平の安定した社会では効率的に作用した。
しかし、黒船来航により社会が大きく動き出すと機能不全に陥る。幕府は西洋からの開国要求への対処について、広く意見を求めたことが、閉ざされていた「公論」の扉を開くことになった。なお、意見を求めるためには情報を提供しなければならない。これがきっかけとなり、大名や武士が尋ねられもしないのに自分の意見を公にするようになる。その中には政府への批判や不満も混じるようになってゆく。それが、大名など上級武士に「公議」の動き生んでいく。つまり、閉ざされていた扉がいったん開いてしまうと、蟻の穴から堤防が崩れてしまうように、その流れは奔流のようになり、幕府の制御の利かないものとなっていく。幕府の官僚たちは、それを抑えて、従来の体制維持に固まっていく。それが分断を呼び、分断が双方の姿勢を極端にし、硬直化させた結果が幕府政権の転覆に至った。
明治の新政府は「王政復古」をスローガンとしたが、それは幕府以前の鎌倉時代や平安時代に戻るというのではなく、神武創世に戻ってリセットするというものだった。ところが、神武創世の世なんて誰も知らない。それは、つまり誰も知らないこと、すなわた、新しいことを始めるということを意味していた。これにより、近代化政策、言い換えると、欧化政策が正当化されることになる。明治維新は「復古」だから革命ではないという歴史家がいるが、例えば、フランス革命などに比べても、身分制の撤廃の徹底度は明治維新のほうがはるかに勝る。ただし、平等な社会は民主化の思想や西欧の真似で実行したものではなかった。もっと、現実的な必要性からだった。すなわち、租税の徴求と国民皆兵である。江戸時代は武士と非人には税は課せられなかった。財政に苦しんだ新政府は全国からの税による収入の確保が喫緊の課題だった。廃藩置県の主な目的も、そこにあった。
このようなことから、明治維新という革命は、西洋の近代市民の思想とは、全く異なったリアリズムな出発点から、西洋より徹底した平等を土台にした「公議」「公論」という、形式的な形態は似たものとなったが、現実主義的な権力コントロールのシステムを残したものだったという。
たしかに、西洋的な近代主義では革命のお手本とされているフランス革命もロシア革命も、実質をみれば内戦であり、以前の政権を暴力で引きずり落とし、あらたな絶対的権力(ナポレオンという皇帝や共産党という独裁集団)が政権についただけのもので、いずれも数十年後には悲惨な失敗となって終わったものだ。そんなものと明治維新をいっしょにしたら、却っておかしいと思う。
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