三谷博「民主化の道はどう開かれたか─近代日本の場合」(3)~2.「公議」「公論」と暴力はどのように出現したのだろうか:1858~60年
将軍や老中の専断が当然だった幕府は、鎖国を解くという大きな変革を強いられたとき、大名がパラパラに行動すると、その隙を西洋列強につかれて征服されてしまうという危機感から、国内に協力を求めるという転換が起こった。そこで、それまでは黙って従うように命じていた人々に大事な情報を知らせ始めた。知らないと協力できない
1850年1月、将軍家は大名たちに対して、西洋から日本を守るための協力を求めた。日本の住民すべてに対して協力を求めた。そして、1853年のペリー来航の対抗するため、広く意見を求めた。
これがきっかけとなり、大名や武士が尋ねられもしないのに自分の意見を公にするようになる。その中には政府への批判や不満も混じってきた。そうなると、政府の権威は絶対ではなくなる。専制をしてきた政府が被支配者たちに意見を聞くのは危険なことで、幕府はペリー来航にさいして、その危険な扉を開けてしまった。
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