ジネット・ヌヴーの弾く「ブラームスのバイオリン協奏曲」
クラシックでもジャズでも歴史的名演と呼ばれる録音がある。その多くは、のちに物語の尾ひれがついて、演奏そのものを離れて、後付けの物語が独り歩きして、実際に録音を聴くと拍子抜けしてしまうものも少なくない。
この録音も、物語的要素がたくさんある。1948年5月3日ハンブルクにおける、ハンス・シュミット・イッセルシュテット指揮北ドイツ放送交響楽団によるブラームスのバイオリン協奏曲。バイオリンはジネット・ヌヴー。当時のドイツは第二次世界大戦の敗戦国で、1948年は未だ、ハンブルクという街角にも人々の心にも、その爪痕が色濃く残されていた。そこにフランス人若い女性バイオリニストが乗り込んできて、ドイツ音楽の真骨頂ともいうべきブラームスの協奏曲を弾くという。もし、日本で戦後の占領時代にアメリカ軍の軍楽隊が「君が代」をジャズ風にアレンジして、「どうが、すごいだろう」という態度で演奏してみせたとしたら、当時の日本人は、どう思うだろう。このブラームスの演奏に対しては、当時のハンブルクでは複雑な受けられ方をしたのではないか。
それが証拠に、演奏の開始のオーケストラによるトゥッティは、およそシラケきっているというほど生気がない。テンポが不安定でダラしない。管楽器のピッチが合っていなくて、弦楽はバラバラで弾けていない。それが、ヌヴーのバイオリンが入ると激変する。オーケストラに火が灯り、やがて炎となって、しまいには全体が激しく燃焼するにいたる。当時の録音で、音質はよくないのだが、ヌヴーの熱演に引っ張られ、煽られることによって、オーケストラの気合の入り方が手に取るように変わっていく、目に見えてノリに乗っていくのが分かる。ヌヴーのバイオリンの音は硬質で、例えば、泰一楽章の最初のバイオリンの入りは、とても鋭い感じで、しかも他の人とは違って短く音を切って、巻き気味にはいる。それが息をつかせぬ緊張感として聞こえる。この掴みでオーケストラが引き込まれる。そこからの、この若いバイオリニストが手を変え品を変え、オーケストラ(プラス聴衆)を巻き込んでいく、時には、標準的な演奏から外れて(今日の正確な演奏ではありえない)、第1楽章の終わりごろには、オーケストラの音色が全く変わっている。この会場にいた聴衆は、それこそ一期一会の演奏に遭ったのだろうと思う。この録音は、そのことが分かる。
それは、この人の弾き方はブラームスの内省的な面をあまり考慮していないというか、例えば第1楽章で第2主題に入っていくところは、ディミヌエンドしていって独り言のようにひそやかに歌うところを、この演奏では、むしろクレッシェンドして(おそらく譜面とは反対に弾いているのだろう)強く弾き切っている。それがオーケストラを煽ることになって、掛け合うオーケストラの音の高揚感がもの凄いことになる。しかも、このときのビブラートのバリエーションが凄い。一瞬一瞬の変化で、次にどういう音が出てくるか分からない。こんな風に煽られるオーケストラは堪ったもんじゃない。こういう強い演奏は、聴く人によっては押し付けがましく、うるさく聞こえてしまうだろう。しかし、この場のこの演奏では、それがハマっているのだ。だからこそ、この時、この場だけの一回こっきりのものだったと思う。ヌヴー自身も、これだけハイテンションに約40分弾き切るなんてことは、何度もできることではなかったと思う。
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