渡邉雅子「「論理的思考」の社会的構築─フランスの思考表現スタイルと言葉の教育」(4)~終章 フランス社会の<論理>の構築─ディセルタシオンが導く思考表現スタイル
思考表現しタイルとは、社会で共有された「書く型」に現われる「考える手続き」と「思考の型」を指す。人々がその手続きに沿って思考し、表現することで円滑なコミュニケーションが取れ、集団としてのまとまりが保てる。そのため、思考表現スタイルは、その社会で流通している論理を体現し、社会をまとめ成り立たせている論理をも示している。
ディセルタシオンに現われるフランスの思考表現スタイルは、アメリカと比較すると、その特徴と意味づけがより明確になる。この時、フランスの共和主義とアメリカの民主主義は、普遍対ローカル、集団主義対個人主義、価値目的対技術目的といった両国の思考表現スタイルを成り立たせる基本原理を二項対立的に捉えるものに適している。
フランスもアメリカも民主主義を掲げる国として一括りに見られる傾向がある。しかし、政治学では、市民性は大きく共和主義型と民主主義型の二つに類型化して考えられている。フランスに代表される共和主義型は、個人の利益よりも公正で平等な社会の実現を目指す「共通善の追求」を重視し、「公共の利益」を政治的な価値判断の基準とするのに対して、アメリカに代表される民主主義型は「個人の権利と自由」を重視して、その権利の侵害からいかに個人を守るかを判断の基準とする。共和主義では公共の利益優先のために個人的な資質や背景は問題にされず、むしろ特殊性を排して普遍性を追い求める。それに対して、アメリカの民主主義は、地域やアソシエーションなどのローカルな組織を通じて個人の権利や利益を反映させる。地元のコミュニティやローカルな組織は、宗教・文化・社会経済的な背景に基づいて組織されるものであり、アメリカの市民性はどこまでも具体的でローカルなもので、その根本には個人の目的達成があるからである。ディセルタシオンが具現化するフランスの思考表現スタイルが目的とするのは、フランス革命とその後の混迷という歴史的体験から実感し学んだ「不確実性に満ちた危うい未来」を目の前にして、公共の利益を優先させて公正な社会を実現させること、そのためにこの基準に照らして現状を批判的に分析・評価し、判断して行動を決断できるようになることである。フランス革命とその後の体験は、未来は一義的に決まるものではなく、異なる立場の人々の利害関係や伝統、自然環境、偶然に左右され、常に変化にさらされ不確実性に開いていると実感させた。そこでの政治的な行動には、自律して行動できる思考法とその表現の手続を技術として学ぶこと、そして思考し表現するための材料となる知識と、個人よも大きなもののために自発的に犠牲を払う価値としての教養を身に着けることが求められる。共和国の原理は理念としてあるために、現実を超えていく未来の試み以外にはなりえず、理念であるがゆえに、体験に基づく事実によって結論付けられる科学の実証性や効率性などの経済原理には還元されない。弁証法の思考の型が用いられるのは、それが現実にある種々な矛盾を解決し、理念の合理的な解釈を可能にするからである。既存の視点の新たな配置によって新しい視点を提供する、そしてより大きな全体像の構築へと向かうのである。
これに対して、アメリカ型では個人の権利と自由が重視されるリベラル型の民主主義の社会で、公権力から個人の権利や自由を守り、個人がそれぞれの目的達成のために能力や個性を十分に発揮することが重視される。この基本は個人であり、個人の利益を代表するローカルなコミュニティやグループである。抽象的な政治的主体としての個人が国家に直接つながるフランスに対して、アリカでは具体的個人が利益や主張の違いにより利益集団を通じて政府に発言する。そこで、個人は個性的であること、個性の発現と見なされる創造力が重視される。そういうアメリカの思考表現スタイルを具現化しているエッセイは、書き手の主張を最初に述べて、主張の正しさを具体例で根拠づけ論証して読み手を説得することを目的とする。その構成は、まず結果を定め、結果から時間を遡って原因を探る逆因果律が思考の枠組みとなっている。その際、結果に対して遠い情報を排して、結果に近く、直接的に、強い情報を特定する。ここでは、分析するというのは、部分的な強い因果に注目して因果関係の特定に寄与しない情報を削ぎ落して単純化することを意味する。余分な情報を削ぎ落し、単純な因果関係を取り出す分析力が重視される。それは、情報を比較衡量して素早く決断して行動しやすくするためである。選択肢がまだあるうちに、目標達成に最も可能性が高く効率的な手段すばやく見つけることが重視される。
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