矢田部英正「たたずまいの美学 日本人の身体技法」(4)~第3章 和装の身体技法
衣服の形というのは、通常、皮膚から一定のゆとり量を保ちつつ、服が必要とする機能と美観を備えながら成型される。言い換えれば、布によって、着る人の身体を再構築するデフォルマシオンの技術であると言える。したがって、衣服の形に一定の集合的な特色が認められた場合、そこには社会に特有の身体観がおのずと縫い込まれることになる。
洋服と表記される西洋服飾の伝統では概して上半身の形に沿っても肉体の造形を再現するように、布地を立体的に構成する特色がある。つまり、西洋服飾の伝統は、衣服によって肉体の形を忠実に再現させようとする努力の集積であると言える。これに対して、日本の伝統服飾の場合、直線的に構成された着物の前身頃を腹部のところを帯で留める形式になっている。着物には身体と布との間にゆとり量が多く、肉体の形をほぼ完全に覆い隠してしまう。そこには眼に見える肉体の形を、衣服の形へ反映しようとする発想そのものが存在しない。和服と洋服の基本的な成型手法を比較すると、後者は肩を基準として胸まわりの立体を強調する立体裁断の方法が特徴的であり、前者は着付けの技術を駆使しながら、平坦な布から身体の立体的な造形を再構成しようとする特色がみられる。
現代では和服は窮屈なものとイメージされているが明治以前は普段着や労働着として着られていたもので、それは和服そのものの問題ではなく着付け方が変化したことによる。つまり、むかしはゆったりとした着付け方をしていた。もともと、腰ひもや角帯が巻かれるのは腰骨と呼ばれる腸骨の上端部分であり、ここを締め付けても内蔵の生理に悪影響を及ぼすことはない。それに対して、腹部つまりウェストを帯で圧迫すると内蔵の働きに悪影響を及ぼす。現代の着付けは、ここを広い帯で締め付けるかに窮屈になる。昔の着付けでは帯揚げによって胸郭を締め付け息が上がってきた理、胸や肩を力ませることを抑制する働きをし、腰ひもは内袷を留めると同時に骨盤まわりを引き締め、上体の重みを支える中心感覚を自然と自覚させる働きを担っていた。そして腹部にやわらかく巻かれた帯は体幹の姿勢維持を助けると同時に、女性の母胎を暖かく保護する役割を担っていた。このような特色を備えた和服の特色も、背筋を伸ばし、胸を張って着用した場合には、帯揚げが鳩尾に食い込んで、自律神経機能に支障をきたしかねない。現代女性の着物の着付けは、内側から詰め物によって帯の形を整え、その結果、鳩尾が胸よりも出っ張り、上体から下体にかけてのやわらかな曲線の起伏は失われるという、古来の和服の着姿とは異なるものになっている。ここに外観的な形の実を月郎とする人工的な造形と生活の必然から生まれた自然な様式美との違いが現われている。このことは装いの観念ということと密接にかかわっている。つまり、身体という自然物を衣服という人工物によってどのように加工し、再構築するのか、という社会思想が、衣服の形を通して無意識の内にからだの中に刷り込まれ、日本人が古来持っていた感覚を忘れさせてきたことをしる。つまり、私たち日本人は洋装化によって伝統的な着こなしを忘れだけでなく。古来培われてきた身体の処し方も忘れてしまったのである。そしてまた、洋服とぢかって和服は着こなしによって身体との関係が変わってくる。
日本の伝統服には、衣服によって女性の肉体を変形させる、という発想そのものが存在しない。和装における女性の美感とは肉体の輪郭を覆い隠したとしても、その美的な存在感が失われることのない姿やしぐさから表出するものであり、これを著者は佇まいと呼ぶ。それは肉体の均整にもとづく美感ではなく、姿勢・動作から表出される存在の印象である。これを形づくる身体的な根拠というのは、たとえば一片のしぐさが伝えるところの心の細やかさであったり、坐っている後ろから無言の内に放たれる存在の重みであったり、歩く姿や挨拶の仕方からにじみ出てくる慎ましい態度や忠実な思いなどである。
日本の姿勢・動作の中から無言の内に表出される佇まいの美感は、茶の湯や礼法といった格式の高い場においてさらに高度な様式化がすすんでいる。日本の正式な社交の場において、女性の肌を露出したり、肉体の起伏を直接強調する美意識は入り込む余地はなく、そこではむしろ欲望や感情を意図的に抑制する「型」によって、独特の対話空間が形成されている。「型」とは、様式化された一定の技術を習得することを前提として、たとえば空間のしつらえや道具の配置、一挙手一投足の繊細な動作によって、言葉によらない印象世界を確実に相手の心に残していく技法によって構成されている。つまり日本人の伝統的なコミュニケーションにおいて重要なことは、言葉そのものにあるのではなく、言葉で語り尽くせない「こころ」の深層領域にあり、作法は時として抑制された形式を持つゆえにこそ、真実のより強い印象を残すことができる。いわば書かれた言葉の行間の意味であり、日本画における空白の余韻である。日本人にとっての文化の継承は、文字や言語による思想の伝達ということの他に、「型」という媒体を通して感覚を伝承していく身体技法の体系が多くを担ってきた。それゆえ物的な文化資本についても、その様式化された意匠の背景には、身体技法の型が明確に描かれている。たとえば、服飾表現上の美感については、肉体そのものを造形するよりは、むしろ衣服の形式に則った動作を通して、人間の真実の姿を浮かび上がらせようとする。つまり、人間の動作は身体の運動であると同時に、その扱い方の美感を追求する限りにおいては、目に見えない意識や感覚や感情を表出するものとなる。このような動作の表情が秘めている美的な印象世界は、肉体の生理的な衰えに左右されることなく、人の内面の美感を「居ずまい」「佇まい」として、奥ゆかしく開示し続けるだろう。
衣服の構成技法というのは、布を媒介とする身体造形の技法である。つまり、このなかには身体に対する思想と素材に対する思想の両方が描かれている。素材と身体は、どちらも自然物である。それゆえ、素材に対する扱い方にしても、布地の構成によって表現される身体の見せ方についても、どちらも素材と身体に関する自然観をありのままに伝える資料として扱うことができる。
この点についても、和裁と洋裁の裁断技法の間には、素材に対する考え方の違いが際立っている。基本的に和服は直線裁断によって平面的に構成されているのに対して、西洋服飾の多くは曲線裁断によって立体的に構成されている。こうした構成の技法の基本的な相違は、生地を織り上げる段階から素材の構成方法を大きく左右している。
つまり、西洋服飾の構成は、一般的に人体の形に沿って裁断された布が立体的に構成されているために縫合部分にかかる負担が偏在的で、とりわけ袖付けや腰まわりの縫い合わせの消耗というのは大きい。こうしたことから洋服の布地は縦糸と横糸が同じ太さ、同じ強度で密に織られていなければならず、どちらの方向から布地に圧力がかかっても布地が損傷しないだけの強度を備えていなければならない。一方、和服の生地というのは、縦糸に対して横糸が太く織られている。この織り方の特性は和服の特色を理解する上でのいくつかの重要な視点を提示する。まず和服の布地は縫合部のほとんどが直線的に縫合しているために布地にかかる圧力が均等になる。この直線的な裁断と構成によって和服は布施にかかるストレスが少なく、耐久性に優れた特性を持つ。次に横糸の連なりは、地面に対して垂直方向に一定の重さを与える役割があり、とりわけ着丈の長い和服は、立ち姿の垂直なシルエットをより鮮明にさせる効果を与えている。洋服でもコートやワンピースのような丈の長い衣服では、布地の重さが重要視されるが、和服の場合は横糸を太くすることによって、すでに生地を織る段階でこの問題を解決している。さらに横糸に対する縦糸の細さは和服の収納面で一つの効果を発揮している。和服を構成するそれぞれの布地は、基本的に長方形の平面で構成されているために、収納時にも一定のスケールの長方形に畳み込むことができる。この畳むという和服の機能において、、縦糸が細いことは、畳みやすさ、あるいは畳んだ際の収まりのよさを助けている。布の繊維は太いものよりも細いものの方が畳みやすいのは明らかで、縦糸の細さ縦方向に折りたたむ和服の収納面でも合理的なのだ。そして、長方形を基本とした和服の直線的な構成は、袖や裾が摩耗してきたときに、布の上下を反転して再構成することを可能にする。④和服は寸法的にもゆとりが多いために、消耗した縫合部分を切断して上下を入れ替えても、もとの原型を大きく崩さずに再構成することができる。そして着物として利用が困難なほど傷みが進んだ場合には、今度は布団の生地として使用し、さらに消耗した時には座布団に作り変えるなど、きわめて使いまわしに便利だ。
和服の大きなゆとり量は、布地の消耗が少ない直線裁断により構成され、姿勢動作のくつろぎを確保し、さらに湿度の高い日本の風土のなかで、衣服の内部を常に風通しよく保つ役割を果たしている。その高度に様式化された服飾形態は、人間が一定の作法に従うことを要求するけれども、その着装と動作の技法を身に着けたときには、布と身体の自然本来の特性がともに機能する仕組みになっている。つまり、日本の服飾様式は素材と身体とが自然という共通の基礎に立って、相互の自然性を活かす形で様式化されており、この点において、和裁と洋裁とでは対極的な自然観に基づいた被服構成の技法であることが示される。
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