田中一村展 奄美の光 魂の絵画(2)~第1章 若き南画家「田中米邨」東京時代
神童といわれた少年時代からの修業時代と自身の個性を発見していった時期です。
「菊図」という八歳のころに描いたものが展示してありますが、八歳の子供が描いたものとは思えない、日本画の作品となっています。父親が彫刻家だったというのですが、一種の英才教育を受けていたのでしょう。これを描いたのも凄いですが、それ以上に、それを作品として残していたとうのはもっと凄い。おそらく、何かのお手本があって、“たいへんよくできました”と描いたものでしょうか。なぞったというわけでもないでしょうが、サラサラと筆が流れるように描いたような感じがして、止まっていないとうか、ひっかかりがない感じがします。筆に力(気)が入っていない。それは。後々まで、この人の作品の性格に在りつづけたと思います。
「白梅図」(右側)という、また15歳で描いたという作品ですが、梅の枝が無秩序に絡み合うような筆跡は抽象画のようでもあります。しかし、それは梅を描いたというよりは、筆が無秩序に進んでしまったという印象です。筆に弄ばれたといった方がいいかもしれません。しかし、画面には讃の漢が所狭しとばかりにびっしりと右半分を埋め尽くすように書き込まれ、それに対抗すように左半分は木の枝を描く線で溢れています。画面を描写で溢れかえるという彼の特徴の萌芽的なものを、ここで見つけることができるというのは、少し早いでしょうか。それは同じ1924年に描かれた「藤図」(真ん中)で萌芽的だったのが2年後の「藤花図」(左側)ではっきり現われるので、よく分かります。
「艶鞠図」という1928年の作品です。これまでの作品にはなかった色彩のバリエーションが加わって、多彩になり、一気に派手になります。それ以上に、大輪の菊の花の一枚一枚の花弁がビラビラで、それらが、いわば反復するように重なっていて、その反復が画面を占めるようになるという、パターンが生まれている。それは、菊の花を描くとか、花鳥画の日本画を制作するというより、この反復を筆をもって繰り返すことを優先し、そのための題材として、菊の花を花鳥画として制作するようにした、と思えてくるようなのです。それは、生き生きとした生命感とか、菊の花を写実的に描くというのは違って、筆から生み出される、うねうねと曲がりくねる線の運動を反復することによって、画面に波動のようなリズムが生まれる。この作品では、数個描かれている菊の花ごとに、それぞれリズムがあって、それらが異なる色という色分けもあって、各個に波動を生んでいる。その無秩序さが、一見、菊の花を描いた花鳥画のなかで蠢いているのです。
「蘭竹図/富貴図衝立」は、1929年の作品で、片面金地に水墨のみの蘭竹図、もう片面には鮮やかな色彩で「富貴図」(下側)が描かれた両面の衝立です。展示室の真ん中にガラスケースに入った衝立がドーンと置かれて、裏表の両方から眺められるようになっていました。人だかりがして、人の隙間から窺うようにして見ることしかできませんでした。「蘭竹図」(上側)は金地の上に墨一色で、竹の葉が何十枚、何百枚と重なるように描かれていて、その下方には生い茂る下草の細長い葉の線が余白を埋めるように描かれています。これを見ていると、一般的な日本画のお行儀よく並ぶような配置された木や草とは違う描き方になっているのが分かります。何よりも、いわゆる日本画の余白を生かして余韻とか風情を感じさせるという要素が、ここには全くありません。そのあたりが、東京美術学校を入学して数か月で退学してしまったことなどから、アカデミックな型にはまった日本画の教育を免れたことも、その原因のひとつかもしれないと思います。それが、田中の特徴を形成させひとつの原因かもしれません。そして、裏面は対照的に極彩色に彩られた花々が描かれています。その花の花弁は、表面の竹のうねうねした線が重ねられて、花のなかで蠢いています。これらは、そういううねうねした線が埋め尽くされているようなのが、力強い線と捉えられるのでしょうか。私には、一本一本の線には、それほど力、あるいは気力が込められているようには見えません。それより、スゥーッと流れるように引かれているという印象が強いです。
「秋色」という昭和10年代の作品です。これまでなかったグラデーションが加わります。それが秋の枯れた感じを生み出す。様々な色に紅葉した様々な形の葉を、まるで抽象画のように配置している。紅葉の葉を反復するように重ねて配置しているが、紅葉の程度を黄色のグラデーションをつけることで、反復の変奏をするように変化を作り出しています。中でも赤い色を中央に流れるように配置していながら、木の幹や蔓はまた違う動きを出して、しかも落ち着いた茶色を配置することで対照を作り出している。それらにより、画面の平面的な動きに時間的な動きの要素が新たに加えられたのではないかと思います。
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