無料ブログはココログ

« 田中一村展 奄美の光 魂の絵画(4)~第3章 己の道 奄美へ | トップページ | 矢田部英正「たたずまいの美学 日本人の身体技法」(2)~第1章 立居振舞いの論理 »

2024年10月22日 (火)

矢田部英正「たたずまいの美学 日本人の身体技法」

11112_20241022231501  同じ洋服を着ているのに、日本人と西洋人の歩き方が違う。ヨーロッパは狩猟、牧畜社会で獲物を追い、牛や馬を放牧するための身体が形づくられ、歩き方もその一環として背筋を伸ばして、足を蹴り出すようにして大股で歩く。これに対して、日本は農耕、稲作社会で、水田の不安定な地面で腰を曲げて田植えや稲刈りをする。それに適した身体は、半身と比べて腰回りが太く、脚は短く、土踏まずは扁平に近く、足の甲は横幅が大きく広がっていて、どっしりと安定している。その身体では前屈みの姿勢で小股でちょこちょこ歩く。著者は人間はそれぞれの社会で日常の無意識的な反復により身についた動きを身体技法と呼ぶ。それは、歩き方だけでなく、坐り方や立ち姿勢にも及ぶ。日本では、それを洗練させたものが、武道や芸道の「型」といえる。このさまざまな日本の「型」に共通して根柢に「腰を入れる」という動きがあるという。身体の姿勢で言うと、上半身をリラックスさせて、骨盤を前傾させることで、身体の重心を腰で支えるという形である。これは、直立姿勢の西洋人とは異なるもので、和服という衣服や下駄・草履などの履物といった身体の一部となるようなものも、この姿勢に適した形をとっている。このような身体の姿勢は、日本人の生活の基盤となっているだけでなく、和服の形は織物や和裁といった素材や技術から美意識まで及んで強く影響を受けている。
 例えばヨーロッパの近代思想が、デカルトの心身二元論で精神が身体をコントロールするといったものに対して、本書の内容を敷衍すれば、日常生活で形成される身体のあり方が、実は精神的なものを形づくっているという。例えば、日本の仏教思想は、「腰を入れる」という状態の力を抜く姿勢と不即不離で、西洋の主体の考え方を肩をいからせた身体の格好のような煩悩と見なす、というのには納得してしまった。禅のそうだし武道や芸道の修業でも、真実は理屈により言葉で話されるものではなく、身体で感じるものだというのは、そういうとこから来ている。

 

« 田中一村展 奄美の光 魂の絵画(4)~第3章 己の道 奄美へ | トップページ | 矢田部英正「たたずまいの美学 日本人の身体技法」(2)~第1章 立居振舞いの論理 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 田中一村展 奄美の光 魂の絵画(4)~第3章 己の道 奄美へ | トップページ | 矢田部英正「たたずまいの美学 日本人の身体技法」(2)~第1章 立居振舞いの論理 »